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伊坂幸太郎の小説「SOSの猿」

SOSの猿 (中公文庫)

SOSの猿 (中公文庫)

伊坂幸太郎の小説はもうかなりの数を読んできたと思う。
ちゃんと数えていないが、20作くらいは読んでいるので、半分以上は読んでいると思う。

その中でもこの小説はかなりの珍作の部類に入るのではないか、というのが読後の印象だ。
解説や読書レビューは読んでいないが、おそらくあまり評価は高くないと思える。
実は数ヶ月前に読んだので、記憶も薄れてきているのだが、興味深い内容だったので感想メモを残すことにする。

この小説は漫画家の五十嵐大介との競作として企画されたものとのことだった。

「猿」「孫悟空」「エクソシスト」というキーワードを基に2人が別の物語を作ったとあとがきに書いてあった。
そして、両者の書いた2つの物語はどこかでリンクしているという構成になっている……とのこと。
私が読んだのはハードカバー版。
文庫版の解説にはそのあたりが書かれていると予想される。私は読んでいないが。

SARU 上・下セット (IKKI COMIX)

SARU 上・下セット (IKKI COMIX)

漫画も読んだ。2つの作品を読んだことによって何か大きな意味が浮かび上がるというほどの共作にはなっていない。ただ、画力には感服した……この漫画家、画力がありながら理屈っぽい人なのかもしれない。説明的なストーリー展開と画力のギャップがなんともすごいというのが読んだ印象。

で、「SOSの猿」だが、荒唐無稽な設定が荒唐無稽な話で終わってしまった感が強い小説でもあった。今まで読んだ伊坂作品でも着地がうまくできなかった部類に入るように思われた。

ただ、この作品は逆に伊坂作品に出てくる特徴、作家の言いたいことがはっきりと現れているように思えた。

「悪とは何か、正しきこととは何か」
これは伊坂作品の中に通低する読者への問いかけだと私は思っている。

「『ねえ、おばあちゃん』と質問してきたの。『ねえ、おばあちゃん、暴力はいつだって悪いのかな』とか言ってね」
「それ、どういう意味なんですか?」私はテーブルの上のどら焼きを手に取り、袋を剥きながら、訊ねる。「暴力はいつだって悪いのか、って」(P159)

私の問いかけに、眞人君は黙った。じっと彼の唇が開くのを待った。
「この男は」としばらくして声が出てくる。「この男は物事をくよくよと悩みすぎる」
「眞人君は物事をくよくよ悩むのか」私ははっきりとした口調で言葉を繰り返す。「それは悪いことではない」
「何が正しいことなのかを悩んで、結局何もできない。そういう男には、俺のような存在が必要なんだ」
「眞人君は、何が正しいかで悩んでいたのか」(P198)

「暴力は悪なのか」
どうなのだろう。すぐに答えは浮かばない。頭の中で「暴力」という単語を呑み込み、噛み砕き、想像を巡らせてみる。「暴力は、暴力性は誰だって、抱えている」
それもSOS信号の一種だ。(P199)

ほかの作品ではもっとソフィストケイトされて表現されているこのテーマが、むき出しに読み取れる作品になっているように思えた。
彼の作品の中では仕上がりとして出来の良い部類には入らないと思う。
だが、そうだからこそ、作者の言いたいことがストレートに読み取れる、そんな気がした。

「悪とは何か、正しきこととは何か」
私が伊坂幸太郎という作家の小説を読み続けているのは、物語を巧みな手法でつづる面白みより、むしろそういうことについて真摯に向き合っている作者の姿勢に惹かれているからのような気がする。
私は「ユージュアル・サスペクツ」のような映画をたくさん見たいと思う人ではない。

あと、もう一点興味深い作者の主張があった。
「物語」とはどうして、何のために存在しているのかというくだりである。

「そういう意味では西遊記はぴったりかもね」ふいに雁子が指を鳴らした。「西遊記ってね、作者がはっきりしないのよ。三蔵法師が天竺にお経を取りに行く史実を元にはしてるんだけど、いろんなテキストがあってね、それを寄せ集めて、組み立てたのが西遊記だ、って聞いたことがあるわ。ってことは、西遊記自体が、いろんな人間が持っている、普遍的な物語を収集したものってことよね? イガグリさんが今言った、普遍的無意識の集まりが、西遊記ってお話になったんじゃないの。複数の人間のイメージが集合したやつなのよ。ねえ、そう思わない?」
わたしにはそうは思えなかった。面白い考え方だと感じたのは事実だったが、納得はできない。(P243)

このようにわかりやすいユング的な発想に対して主人公は疑念を投げる。
そして、以下のようなくだりとなる。

「お師匠様。大事なのは物語ですよ。お師匠様が、奥さんの不愉快の原因を想像したように、過去や未来の物語を考えることは大事なんです。たとえば、ほら、今、その奥さんがどうしているかを考えてくださいよ」
猿の化身の声はとても親しげに、私に喋りかけてきた。「お師匠様の奥さんは今、どうしてると思います? お師匠様と離婚した後、どうなったと思います?」
わたしは知らなかった。別れた妻とは、離婚後、まったく会っていない。東京にいるかどうかも知らないほどだった。できれば幸福な生活を送ってほしいものだ、と思ったが、それと同時に猿の化身の声がした。「幸せに暮らしているんですよ、奥さんは。その後、仕事で知り合った年下の男性と結婚して、今は子供を儲けて、小さな一戸建てで幸せに暮らしています」
「本当ですか」わたしは咄嗟に、それが実際に存在していないはずの、孫悟空の言葉だと分かっているにもかかわらず、訊ねてしまった。(P247)

「物語を考えることは、救いになるんですよ」わたしは言う。言わされているのだろうか、という疑念は依然としてある。「たとえば、二度と会えない誰かが今どうしているのか、最後まで見届けられなかった現実がその後どうなったのか、そういった物語を想像してみると、救われることはあるんです」(P261)

このあたり、伊坂幸太郎らしく、好感を抱いた。


読むものが思い浮かばないときに読むことにしている伊坂幸太郎
そして読んだときはたいてい感想メモを残している。

妙に心に残るところがあるのだ。
読む際に負荷がかからず楽に読めて、心に残るところもある。
あまり意識しなかったのだが、いい作家なのかもしれない。
(以前書いていた感想メモ時点より、私のなかでの評価はあがってきている気がする)

このメモを書いていて、読まずにいた阿部和重との共作「キャプテンサンダーボルト」も読んでみようかと思った。