見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

週刊文春0728号

◆グラビア 玉置浩二結婚式の「危険地帯」、P34玉置浩二青田典子「120分披露宴」旭川潜入ルポ 
興味深いのが、取材記者が「とんでもないことばかりする玉置だが、熱唱する歌声を聴くととすべて許してしまう気分になってしまう、天才とナントカは紙一重」といったことを書いていること。辛口のコメントで締めることが多いなか異色だ。
そういえば故中村とうよう玉置浩二のことはほめていた(10年以上前の「ミュージック・マガジン」だったと記憶)。私はライブは見たことないのでなんともいえない。ただ、非常に興味深い人物なので、マスメディアが取り上げることが少なくなっても注目していきたいと思っている。
◆P67 近田春夫「考えるヒット712」 
湘南乃風のHAN-KUNを好評価。はみ出しで近田氏が公共屋外プールに頻々に行っていることを知る。30年近く通ってる!とのことだ。ファンとしてはそのプールにちょっと行ってみたい。70年代に双葉社の「週刊漫画アクション」で人生相談をやっていたころからのファンなのです。
ビブラストーン時代には念願のインタビューもさせていただきました。
ただ、この連載コラムはもはや若い世代の音楽状況を知るためを兼ねての義務という感じですね。
◆P98 新 家の履歴書 せんだみつお 
非常に恥ずかしい話だが、私の笑いの原点はこの人だ。「ぎんざNOW!」「うわさのチャンネル!!」、幼少期、私はドリフよりはせんだみつおだった。
“ぎんざなう”、今となってはツイッターですね。ナウという言葉、日本人には意外に馴染み深いものだったりすると意外な発見をした。
ただ、せんだみつお、当時は小学校は学習院に行っていたと和田アキ子が話していたような気がするのだが。中学までは公立で、高校が法政一高、大学が駒沢だったのですね。
◆P126 山崎努「私の読書日記」
興味深い発言があった。
保坂和志の「猫の散歩道」に関連しての言葉だ。
山崎によると、保坂はいつものように、“小説の展開の決定権は作者にあるのでなく、小説それ自体にある”と作者の設計図どおりに収まったものはつまらない、優れた芸術作品は“作者の意図”を超えている。その“超える状態を私は『自由』とよんでいる”と書いているという。
そして山崎自身はそれに共感しつつ、演技について、
ひとことで言えば頭よりは身体性を重んじた、逸脱する「自由」について語っている。
「バカなのかも?」と思われるのがやりたくて演技をしてきた、と語り
“かも?”がポイントなのだと書いている。なかなか読み応えがあった。
山田太一の「空也上人がいた」についても書いている。
この小説を“読みながら激しい演技意欲をそそられた。どうも僕は最近どちらかというと女性役を演じたくなる”と書いている。
ただ、女装趣味とかでなく、内面の屈折は女性のほうがユニークなのではと思うからとのこと。
でも、激しく演技意欲をそそられるとはうれしい言葉だ。
緒形拳原田芳雄不在となった分、山崎努にはまだまだ活躍してほしい。
そういえば、山田太一のある種の代表作ドラマである「早春スケッチブック」は山崎主演(私にとっては)だった。
さっきの演技論的な逸脱する演技が炸裂していた力作だった。
◆P130 宮崎吾郎 インタビュー 
ゲド戦記」は私もひどいつくりの映画とは思った。
だが、それぞれのシーンの構図から、もしかしたらこの人は山岳映画や画家のフリードリヒやセガンティーニが好きなのかもしれない、などと勝手に推測、そういう点で好感を抱いていたりした。
ここでは大したことは語ってません。「コクリコ坂から」もまだ観ていません。