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石原慎太郎「国家なる幻影 わが政治への反回想」続き4

「不毛な党内四十日戦争」「中川一郎の死に繋がる総裁選」「マルコスの罠」の途中まで読む。
P398では家庭内暴君ぶりを発揮したエピソードを。
季節外れの台風の襲来で、投票率の低下を懸念した著者。
「選挙事務所のスタッフたちは危機感にかられて一軒一軒電話で投票を依頼していたが、わかりましたと答えた相手にしてなお実際にこの吹き降りの中を投票所まで出向いてくれるかはわかりはしない。実際に私の家のお手伝いさんまでもが午後の五時を過ぎても投票に出かける様子がなく、私が声を荒げて投票にいかないならもうこの家で働いてくれなくてもいいとまで脅し私自身が運転し投票所まで運んだが、車から降りて建物に入るまでの間に横殴りの雨と風で彼女の下半身がびしょ濡れになるのがよくわかった。投票を終えて出てきた彼女は相変わらずの仏頂面で、あの分だと中で誰の名前を書いたのかわからぬくらいの気配だった」
→投票に行くことを強制することはできないと思うのですが……。ちなみに著者は“脅す”ことが好きらしく、この著書でも脅すシーンはいくつか登場する。

浜田幸一のラスベガス賭博事件が発覚した後のいきさつもなかなか読ませる。
青嵐会に所属していた浜田が、青嵐会のメンバーに事の真相を問われた際に、
著者が一言
「李下に冠を正さずだな」と言ったことで浜田が激怒したことがあったそうだ。

そのギクシャクした関係のなか国会の著者の席に近づいた浜田とのやり取りについて以下のように述べている。
P401 「そしてついに彼は私の議席の前までやってきて、私としても息をつめて待ち受けていたら、そのまま私を無視して過ぎようとしている気配の彼が、突然ふと私に気づいたように私に向かって振り返り、「おっす」と片手をあげて敬礼しにっこり笑って過ぎていってしまった。見守る人間たちには呆気なかったかも知れないが、私はその瞬間、限りなく浜幸を愛していたと思う。本当に利口で本当に世間慣れした男でないと、満座の視線の中であんなに旨くあっさりと自分で売った喧嘩を収めることなどできるものではない。人を好きになるとか本気で評価するとかはなまはんかな切っ掛けではありはしない、ということをあの出来事は教えてくれたような気もする」

政治についての自らの考えも述べている。
P403 「これはこと政治についても禁忌の発言かも知れぬが、政治が権力という大方の人間にとって最大の魅力ある目的獲得のための方法ともいえるなら、それに関わる者が目指すもののために手段を選ばぬというのも、人間として当然のことと思える。〜つまり変節や背信、恫喝、陰謀、あるいは裏切りといった非倫が政治という方法の公理、摂理として許されており、理念とか同じように政治における必然、あるいは必要ともされるのだ。そしてその故にこそ政治という、他のいかなるジャンルにもまして興味津々たる人間たちの劇の展開があり、その中で各々の政治家の個性や能力が露呈もしてくる。人々が往々政治における理想的な人物よりもむしろ悪人の雰囲気を備えた人物、あるいは一般社会ではまかり通らぬ政治家の所業に、反発しながら魅かれるのは誰しもが政治の虚構について本能的に気づいているからで、それに応えてこそまた政治はロマネスクなものになり得るともいえそうだ」
為政の側に立った現実的な政治論として、なるほどとは思わせる意見だ。

以下、著者が参謀として中川一郎を立て、中川派を立ち上げていく過程が述べられる。
自民党総裁に中川が立候補する際に、著者は中曽根も立候補させ共闘体制を作ることをたくらむ。
そして両者の会談を設けるが、中川は妙な行動に出て、中曽根と中川の共闘体制案は潰えてしまう。
P415「ともかくあの夜の中川氏は、中曽根氏という存在に何か故の知らぬいろいろなコンプレックスを抱えていたのだろうか、その態度は非礼というほかなかった」
1時間以上遅刻して、すでに酔っ払った状態で登場した中川は議員としての先輩である中曽根に絡み、大いに乱れたという。
中曽根はうけながしていたが、やがて中座し、中川はさらに飲んで大いびきで寝てしまったという。

この部分を読み、息子の中川昭一のことを連想してしまった。なんというか因果というものを……

その後、総裁戦で思いのほか、手ごたえを感じたと信じた中川は舞い上がるが、脇で見ていた著者はそのことに危惧感を抱いていたという。
P422「たぶん生まれて初めてこんなに世間に受けてしまったことでの、後の怖さや空しさをこの人はうまく受け止められるのかなとも思った。私自身かつて、いかなる恩寵が重なってか突然華やかに世の中に出てしまい、こちらももの珍しいまま飛んだり跳ねたりしていた折先輩の伊東整氏からいわれた、物書きという立場をかまえての覚めた心構えについての実に有益な忠告のお陰で足をすくわれることなく来たが、今私がその種の献言をしたとしてもこの人の耳には聞こえまいなと思っていた。そこらが物書きという意識家と無意識家との違いかもしれないが、知名、有名という玩具は時としてある人間にとっては命とりともなる。もし私が中川一郎をそそのかしてあの時総裁戦に出馬させずにいたら彼のその後の運命も違ったものになっていただろうが、そうかといって男としての欣快の膳立てをしたものまでがとがめられる筋もあるまい」
と冷めた目で過去を振り返っている。
といいながらもP426「とはいえ二人が親しくなったのもしょせん互いにどこかで間がぬけているところで似ていたということなのかもしれない」と語っている。

その一方、著者はフィリピンで獄につながれている親友ベニグノ・アキノ氏とのことを語っている。
アキノ氏の脱獄計画を進めていたという。
大物右翼の清水行之助に相談、著者と清水、あとは腹心の者数名でアキノ氏脱獄計画を進めたとのことだ。
ただ、実行前にアキノ氏は心臓発作の手術で米国に送られ、その後米国追放亡命という形で牢から出ることになったため、計画が実行されることはなかった。
一国の大臣をした政治家が数名で他国の獄中にある要人を脱獄させる。
これは実際は本当かなととも思えるが、お話としては面白く読めた。
→さらに読み進め、紹介されたアキノが著者へあてた手紙からこれが真実だったとわかる。疑ってすみません!

「私の文学の終生変わらぬ主題は生と死の対置」(P438)と語る著者。
著者にとっては暗殺されたアキノ、自殺した中川、大往生をとげた賀屋興宣、この3人の死が印象に残るとのことだ。
特に賀屋の死を前にしての透徹したニヒリズムには感じ入ったと語っている。

P442以降は著者とアキノの獄中、亡命してからの交流が語られる。興味深いエピソードが多い。
著者の描くアキノは理想家の政治家として描かれ、現実的な視点をもつ著者との対比が描かれている。

以下は帰りの電車で読んだ。

アキノと著者の友情についてはどの程度のものなのかと疑問を抱いていたのだが、文章を読むと
親友といっていい関係だったことがわかる。
P456「俺はただ君に忠告しているんだよ。そんな君の一番の魅力、君の一番美しいところ、みんなが誰よりも君を愛するその訳ことが君を損ないかねないんだ。これからそれをいつも頭において自分を偽りでも出来ぬ限り、君は間違いなくあるマルコスを倒して大統領になることは出来ないと思うな」
いったら思いがけぬパンチを食ったボクサーみたいに彼は唇を歪めね挑みなおすとも和を請うともつかぬ微笑を浮かべてみせた。後々になって思い出してみれば、私は大方同じ事を自殺してしまった中川一郎にもいったものだった。
と締めて「中川一郎はなぜ死んだのか」に続く。

中川派の情勢が思わしくないと判断した参謀の著者は、中川派をいったん福田派に組み入れて、福田派で力をつけて、後に再び中川派を立ち上げることを画策する。ことはスムーズに進むかに見えたが、中川がそのこことを知り猛反対する。
P464「あんた、ひどいじゃないか、なんで勝手に、福田さんの所へ逃げ込む話をしたりするんだよ」。身を乗り出していった。驚いて見直すとその目にいっぱい涙を浮かべている。「そんな話を誰から聞いたんです」「誰だっていいよ。俺はあんたに言われてその気になり、派閥も作ったし総裁選にも出たんだぜ。そのあんたが今さら何をいい出すんだ」
著者は懸命に説得しようとするが、中川は子供が駄々をこねるように嫌だ嫌だと訴えたという。
そして年を越し、正月の9日、中川が札幌で自殺する。当初は自殺と著者にも知らされていなかったという。
自殺については他殺などの噂もあるが著者はここでは、当時のソ連とつながりを持っていた中川がアメリカの手で葬られたという説は否定している。ただ、なんらかの事情があったということは著者も匂わせている。

中川の死については以下のように語る。
P427「それにしても、中川一郎の突然の死というのはいったい何だったのだろうかと改めて思う。その確かな死因についてだけでなくて、ああした魅力に富んだ一人の政治家が志の半ばで非業の死を遂げなくてはならぬという政治の陰の仕組み、それにからむ気が遠くなるような量の金と、その驚くほど薄い効用との対比の不条理さ」

著者は中川の死の後を受け、中川派を率いて後処理として総選挙もしたが、自身の政治家としての限界も感じたという。
今までに著者は政治は結局、金であると再三言ってきたが、
えげつない金の取引が自分にはできないのだと語っている。
強気の言動の多いと思われる著者であるが、この部分については、かなり弱気な調子である。

結局金を采配できる人間が日本の政治家には必要不可欠であり、
私自身にはそれをこなしていく資質には欠けている。
清濁含めてやっていくのが政治家であることは、自分にもわかっている、
権謀術数が必要なこともわかるし、自分でもそれなりにやってきた。
ただ、金をえげつなく集めてそれを使って采配を振るうことは自分にはできなかった。
著者が自身の政治家の略歴を振り、語っていることのひとつの大きなポイントがこれだったような気がする。

「予告されていたアキノ暗殺」はこの本でのクライマックスなのではないだろうか。
アキノついて著者は、共通の友人とこう語りあう。
P481「そうなんだ、アキノに欠点があるとするなら、時々理由もなく楽観的になるということだ。
彼はなぜか、たとえそれが最上のものであろうと、自分が抱いている理念を必ずしもある人たちは必要とはしない、
いやそれを憎みもするということがわからないことがある。
それは美しくはあっても、ある人間たちにとっては愚かにも見えるかも知れないな」
「そうです。しかし、人はそこに魅かれるのでしょうが」
「彼にはある種の人間たちが持つ薄暗い情熱などというものがわからない。
独裁者が独裁者にして初めて持つのだろう、人間的な理念理想からはるかに外れた衝動が実際にどんなにも思いもかけぬ形で現れるだろうかがわからないんだ。
だから彼がもし独裁者になれたとしたら、この世で初めて理想的な独裁者が生まれるということかも知れないけどね」

アキノは結局フィリピンに入ると空港ですぐさまに暗殺されてしまうのだが、
その前にアキノが著者に託した長い手紙が紹介される。
正直、この手紙には心を打たれた。
著者は前フリとしてこう語る。
P486「アキノが託してきた長い手紙をもう一度読み直してみた。あれは私が一生の間で受け取ったいろいろな手紙の中で最も印象的な、最も真摯な、そしてその楽観的な多くの期待があえなく覆されてしまったが故にも、最も悲痛な手紙だったと思う」
アキノは手紙の中で著者への深い友情と感謝を心を込めて書いている。
ここでは長いので省略するが心を打つ内容だ。

その後、フィリピン入りの前夜、電話でも2人は話す。
アキノは空港で暗殺が予定されていることを知りながらも、自分が生き延びる可能性が30%を切るだろうと語りながらも、帰国することを著者に語る。
暗殺後、9ヶ月して行われた選挙ですったもんだがあり、アキノ夫人が大統領となる。
その後、著者はアキノの墓を訪れ号泣したと語り、以下の分でこの章を締める。
P497「政治というすべての悪徳と、稀有ではあるがある崇高な理想にも飾られた世界の中で私はいろいろな政治家を眺めてきたが、ニノイ・アキノの死ほど私の内側でいつまでも風化せず忘れ難いものはない」


正直、この章は感動してしまった。
アキノ氏は結果として著者の抱くヒロイズムをまっとうした人物なのだと思う。
↓に続く。これでおしまい!
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20110828/1314504931

国家なる幻影―わが政治への反回想

国家なる幻影―わが政治への反回想