見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

ジュリアン・コープ「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー 」03

ジュリアン・コープ「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー 」02
からの読書メモの続き

第1章
2.日本のエクスペンタリズムの音楽(1951-69)
3.エレキ ブーム
4.グループ サウンズの時代
第2章
5.カム・トゥギャザー'69

の途中まで読んだ。

第1章では、高松次郎、赤瀬川原平らのハイレッド・センターの活動、日本のジャズミュージシャンの動向、それと世界的な文化の状況などを語る。情報量は多く、知らないことも多く、かつ明らかな間違いもある。

グループサウンズについては、間違いも多いのだが、脚注に嫌味なほどの間違いの指摘があり、ちょっとうっとおしい。

以下は初めて知ったことや、個人的に気になった部分のメモ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-
小杉武久についてはグループ・音楽、その後のタージ・マハル旅行団、などこの著作で最初から最後まで登場する人物になりそうだと思った。

ドイツのジャズピアニスト・ウォルフガング・ダウナーが'60年代にジャン・リュック・ポンティエバーハルト・ウェーバー、グルグルのマニ・ノイマイヤーと活動していた。

ベテラン・ジャズギタリストの高柳正行はシカゴ(Chicago Transit Authority )のファースト・アルバム「シカゴの軌跡」のサイド3のソロを聴き、フリージャズを志向するこようになった。

一柳慧のオペラ「横尾忠則を歌う」では内田裕也がプロデュースしたグループ・フラワーズが参加している。
一柳が中心となって開催したという「クロストーク/インターメディア」ショウ。
'60年代末の一柳の活動についてはチェックしてみたいと思った。

著者が寺内タケシの活動・作品についても詳しかったこと。
P86「このギタリストはポピュラー音楽のほぼあらゆるジャンルをエレキ化してみせた」

P100 タイガースのプロデューサー的立場に立とうとしていた内田裕也は、契約をした渡辺プロダクションにタイガースを奪われ、“スウィンギング・ロンドン”に旅立った。

P131 村八分に対する著者の評価と日本のロック史における位置づけ。
「彼らの音楽は大半が単調なクズだったのにもかかわらず、村八分はほかのストリート・ミュージシャンや重要なアンダーグラウンドのロック・バンドと幅広く関わっていたため、彼らの物語はかなりの部分まで、そのまま日本のアンダーグラウンドの物語となっているのである。」

P142 裸のラリーズ村八分の山口富士夫とチャー坊が参加していた時期があった。

P143 裸のラリーズのステージにハルヲフォン―ビブラストーンのメンバーが上ったことがある。

日本人からするとあり得ないような間違いがある。
P127 「文化的な前面攻撃といえば、1969年のなかばには、長髪のライフスタイル丸ごとが大いに信用度を高めることになった。永島慎二の漫画「フーテン」が『男はつらいよ』と題する長編映画になったのだ。人気俳優の渥美清が「フーテンの寅」役で主演した映画は日本全国で大ヒットを記録し、日常に幻滅した日本の少年たちが、冒険に次ぐ冒険をくり広げる「フーテンの寅」のような自由気ままさを求めて、さらに次々と家を出るようになった。」(本文ママ)
→ゲラの時点で日本人の校正とか通さなかったのだろうか? この部分についてはほとんど妄想である。
永島慎二の漫画「フーテン」を外国人が知っていることが驚きだが、それでいて映画「男はつらいよ」の内容をまったく誤解しているのが笑える。


↓に続く。
ジュリアン・コープ「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー 」04