見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

宮崎駿・丹羽圭子脚本、宮崎吾朗監督の映画「コクリコ坂から」

宮崎吾朗の監督第2作。

前作の「ゲド戦記」の酷評から比べると評判はおおむねよいようだ。

私自身の見た感想は、丁寧だがちょっとおとなしくし過ぎたのではという印象だ。
見た人間で、映像演出上での説明不足を指摘する人もいたが、話の内容理解には大きな支障はなかったので許容範囲内のレベルだったと思う。
映画自体は飽きることなく見続けることができて楽しめたが、
ゲド戦記」にあった監督の個性、志向はだいぶ抑えられているように思った。
宮崎駿・丹羽圭子脚本を丁寧に映像化した小品という感じだ。
脚本の力と登場キャラクターの魅力があってこその、この作品という印象を抱いた。
ただ、宮崎吾朗の創った“世界”もちゃんと魅力的だった。

以下、的外れかもしれないがアニメの素人なりに、この映画を見て“映像的”に思ったことを。
彼の監督作2作を見て、
宮崎駿の映像展開がダイナミック(動的)・立体的とすると
宮崎吾朗の映像はそれと対照的にスタティック(静的)・平面的なものという印象を抱いた。

今作で気になったのが、絵を撮影しながらカメラをゆっくりとパン、ズームインすることでシーンを始める手法が非常に多く見られたこと。
昔のアニメ(現在でもあるのかもしれない)を見ると、手を抜いて(アニメーターの作業が間に合わずに)、紙芝居的にカットを続けることでごまかしたものがあったが、そんなことを思い出した。
天下のスタジオジブリ制作だから、まさか手抜きでやったとは思えないが。
ただ、(動かない)絵をつなげてアニメにしてしまう映像感覚が基本的にこの作品の基調となっているように思えた。

宮崎駿監督作では視点がダイナミックに動いて、対象の前後左右上下に回り込みズーンイン・アウトをしていたことから比べると、大違いだ。
この映画では映像での視点の激しい移動、ズームはなく、いたっておとなしい。
坂道を自転車で下るシーンも非常に平面的に描かれ、自転車に乗った2人を横から捉え、その後ろで背景が動いているという感じの映像だ。
おそらくアニメーターは父の作品から比べると相当楽が出来たのではないか、などと素人の私には思えるのだが、どうなのだろう。

そういった意味で宮崎(駿)アニメにあった、ダイナミックな映像を見るカタルシスはほとんどなかった。
これはアニメ作品としては、かなり致命的なことではないかと思う。

退屈せずには見れたのだが、映像に躍動感がない。
これにつきるような気がする。

否定的な文になったが私は宮崎吾朗という映像作家には興味がある。
ゲド戦記」を見て、映画のつくりとしては出来はよくないと思ったが、
個人的に魅力を感じたところもあった。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ

ジョヴァンニ・セガンティーニ

といった山を描く画家や、
戦前のドイツの山岳映画的なものを感じたからだ。
作品のトーンも妙に内省的で興味深かった。
面白い“世界”が描ける映像作家かもしれないと私には思えたのだ。

ただ、今回はその路線ではなかった。

今作でとりあえず、前作の汚名は晴らしたということで、次作では宮崎吾朗カラーをもっと出した作品を見てみたい。
消化不良で終わっていたあの“世界”がどのようなものだったのかを知りたい。
ただ、この作品を見て、
この人は“アニメ”向きではないのではという気もちょっとしている。
ダイナミックな動きを描くことより、静的な“もの”を作ることが向いているのかもしれないなどと思ってしまった。
“映像”よりは“絵”にこだわる人なのではないか、などと。
以上、アニメ素人の個人的な感想です。