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映像、書物、音楽などについての感想

中原昌也「死んでも何も残さない 中原昌也自伝」

中原昌也自伝”とタイトルにあるが読んでみてわかったのは、
“書くのは嫌だと駄々をこねていたら、編集部がぐだぐたの語りをまとめて本にしてくれた著者としては楽チンな本”ということ。
語ってるだけなのだから。
「本書は著者の談話を編集部が構成したものである。」との文が巻末にある。

この著者は過剰な自意識と、何も求めないといいながら、何かを渇望する感じが妙なものを醸し出している点が面白いのだが、この本を読むのは正直つらかった。

この本を手に取った人は、40過ぎた男による子供のような繰言を延々と読まされる羽目になる。
そこに面白さを見出すか否かは読み手しだいと思うが、私はこういうものに付き合って楽しい気分にはなれないし、得るものもなく正直苦痛だった。語りなのでなんも考えずに読めるが、読みやすければいいというものでもないだろう。

この本では自身の出自を語っているが、そのことがネタバレ的になり、著者がいわゆる“教養”というものをまったく拒否して、身に着ける気もないことがわかる。
“教養”は決して馬鹿にできるものではないと私は思う。

音楽をやるがメロディーが嫌い、小説を書いたが物語を拒否する。
この姿勢は興味深いのだが……

語りではあるから仕方ないのかもしれないが、
この本、全体的に言葉の意味することに対して割と無自覚なところが感じられる。
個人的にはそのあたりはあまり好感が持てない。
言いっぱなしで、後は読んだ人にお任せみたいなのは好みではないので。
それって安易な方向に流れて楽だとは思うが。
“投げてるだけ”と言ってるので承知してはいるのだが……

再度書くが、一言でいえば読んでいて気分のよくなるものではないし、さして面白いものでもなかった。

通底するのは“怠惰”というキーワードのような気がする。
この人の打ち出すイメージは“無頼”よりは“怠惰”の方がふさわしいのではないだろうか。良くも悪くも。
あまりこの本について書くのは時間の無駄と思えるのでこの辺にする。所詮、語りっぱなしの本だし。

ちなみに興味深かったこと。

(1)手作りCDの販売について書いているが、これは税金の申告はしているのだろうか? 余計なお世話だが気になった。

(2)SPKのグレアム・レベルがハリウッドの音楽作曲家グレアム・レベルと同一人物とこの本で初めて知った。
音楽担当リストを見るとドラマの第一作としてニコール・キッドマン出演の「デッド・カーム/戦慄の航海」を手がけていた。
以降、ハリウッドに渡りかなりの大作も含め数十本の作品を作っている。
http://www.imdb.com/name/nm0006251/
この本を読んで一番驚いたことだ。

(3)「人と一緒にやるときはキング・クリムゾンの『太陽と戦慄』に参加したパーカッション奏者のジェイミー・ミューアのポジションだと考えている」(P131)
→ほかの言葉からも推測するとまあ、好きにやってるようで実はそれなりに合わせているということですかね。でもジェィミー・ミューアはすごいですよ。そこまでできるなら大したものです。知らない人は下記のリンクを。
http://www.youtube.com/watch?v=tCed47HdRu8

(4)「僕は大映東映の映画が大好きで、あとはどうでもよかったりする。大映の上品さはいったいだれに向けられているものだか全く謎だし、東映の下世話さは低俗という枠を超えた別の何かに到達している。」(P150)
→これには共感。意図不明の大映の上品さというのは確かにある。

(5)「トイ・ストーリー3」をすばらしいと絶賛しながらも
「だからこそ、仕事をやる気が本当に吹っ飛ぶ。個人の作家でなく、無理しないレベルのいろんな才能があり、ベストな形でみんな一緒にやって、いい結果を生んでいるものを見せられると、個人でやっている人は何なんだ、という気がする」(P171)
→“無理しないレベルの”とあるが、この“無理”という言葉の使い方が変に含みがあり、ぞんざいな表現だ。無理してないと著者にはわかるのだろうか。「トイ・ストーリー3」を作ることはスタッフにとって相当なプレッシャーだったと思われるのだが。

この文で言いたいのは隣の芝生は青いが、隣に行く気は“いまさら面倒くさいので”ないというようにも聞こえる。

死んでも何も残さない―中原昌也自伝

死んでも何も残さない―中原昌也自伝