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よしながふみ対談集「あのひととここだけのおしゃべり」

よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり

よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり

「大奥」「西洋骨董洋菓子店」などを読み、よしながふみという漫画家に興味を抱き、この対談集を読んでみることにした。

読んだ感想は女子版“まんが道”を語るといった内容。
非常に面白く、興味深く読めた。
特に三浦しをん羽海野チカとの対談が読み応えあり。
意気投合し、それぞれがまんが道を熱く語り、その熱意にちょっと感動してしまった。

また、よしながという人は漫画を意識的に読み解くことができる見識を持ち、かつそれを的確に語るすべを持っている人と感心した。

6章立てでの対談集となっている。

第1章 やまだないと×福田里香
第2章 三浦しをん その1
第3章 こだか和麻 
第4章 三浦しをん その2
第5章 羽海野チカ
第6章 志村貴子
第7章 萩尾望都

対談相手のセレクトもバランスが取れていた感じだった。各章についてのメモは以下の通り。

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第1章 やまだないと×福田里香(料理研究家)
姉さん的な先輩漫画家と友人との鼎談。
鼎談後のやまだないとのコメント文を読むと、これはよしながメインの鼎談というより、やまだありきから始まったもののようだった。
よしなが自身は相手が年長の人でもあり、若干抑え気味な感じだった。
大島弓子くらもちふさこ吉田まゆみ江口寿史岡崎京子について語っている。
正直この章は鼎談でもあり雑談めいた展開。
後の対談から比べると深いところまで突っ込んではいない印象がある。

よしながふみはここで都立高校出身と語っていた。
どこを出ているのかちょっと興味を抱いた。勉強はできた感じもするので西高あたりなのだろうか……。
→あまりいい加減なことを書くのも何かと思いウィキペディアで見たら、都立青山高校でした。訂正させていただきます。
→と思ったらウィキペディアでは都立富士高校にも卒業生として名前が……
ここから推測するに、対談で“杉高”という名前が出ていたことから学区を考えると富士高校なのではないでしょうか。多分当時は学校群制度で西高校と同じ群だったのでは。
どうでもいいことですが……

第2・4章 三浦しをん
三浦しをんは、漫画読みとして相当な熱意と深い見識を持っている人のようだ。
よしなが、三浦ともに、「24年組」からの深い影響を語っている。
世代的には2人ともほとんどリアルタイムでは読んでいないと思うが、やはり時代を超える作家が多かったということだろう。
特に大島弓子萩尾望都山岸凉子の影響は大きいようだ。

少年漫画、少女漫画の話法・文法、テーマ性などが語られる。

BLは、かつてあった「JUNE」系の耽美なものでなく別の系統であると語られている。ただ私はこのあたりの作品を読んでいないので、作家名を出されてもよくわからなかった。

よしながふみ、三浦はさまざまなバリエーションでBLを語る。

よしながふみは自身の根底のテーマとしてフェミニズムがあると語る。
彼女は、女性が“対男”として求められる部分があること、社会において抑圧されている存在であることにずっと意識的だったようだ。ただし本人としてはそれを作品の前面に出すことはしたくないと語る。ただ、三浦はそれを物語に盛り込むのはアリだと語っている。

三浦「でも『大奥』は私の中でのこの一年のベストマンガです。確かにフェミなんですけれど、フェミと物語性の非常に高度な合体がなされていると思います」
よしなが「私はマンガをすごく愛しているから、マンガを自分の思想を伝えるための手段にはしたくない。でも、物語を語るためにそこは触れざるを得ないときはウソはつけないので……。すいません」
三浦「物語の中で発露するのは自然なことだし、かまわないんじゃないかと私は思います〜」
よしなが「私の十代の頃のテーマは、自分がフェミニストであるということでの世間との摩擦をいかに少なくするか、ということだった(笑)。〜なんで男ができたくらいで自分が変わらなくちゃならないんだと内田春菊さんのマンガのような事を思いながら、そういうふうに考える人の気持ちもわかるし、そっちの価値観のほうが世の中では当たり前な訳だから、どうでも黙っていようって思っていたんです。でも周りの話をうなずいて聞くことはできるんだけど、『あなたはどうなの?』って聞かれたときに嘘がつけない自分がいる訳です。〜そういうときにどうやったら相手を傷つけないで言葉を返せるんだろうって、そういうことばかり考えていました」(P70〜)

このあたりは、三浦と話が合うからこそ出てきた切実な経験の素直な心情吐露だと思う。
こう語るよしながの意識は「大奥」という作品にも息づいているように思える。
よしなががBLに向かったことの理由の一つでもあるのかもしれない。

やおい」というものの定義も語られる。

よしなが「私や友人たちの言うやおいっていうのは、セックスをしていない、つまり恋愛関係にない人たちを見て、その人たちの間に友情以上の特別なものを感じた瞬間に、これをやおいと名づけるわけ。2人の関係が性愛に踏み込んでいたら、それをやおいとは言わないんです」(P154〜)

そしてTVドラマ「ケイゾク」「トリック」のコンピを、やおいと定義している。
以下、2人はこう語り合う。

よしなが「最初は反発し合っているけれど好きになっちゃうという展開ではなく、ずっと最後まで平行線をたどりながら、たまに交わったりすることもあるというのがミソなんです」
三浦「わかります、私も、自分がいちばん好きな人間関係はどんなものだろうと考えると、テーマは『孤独と連帯』なんですよ」
よしなが「まさに(笑)。それこそやおいの本質ですよ」(P155〜)

しまいには、ケーブルTV局でBLTVを立ち上げて欲しい! という話題で盛り上がる。
そして、よしながは口にすることで実現することもあるのだ、とばかりに、
“なので私はことあるごとに「いつか大河で『日出処の天子』」と言い続けています。”とまで語る。

大河で「日出処の天子」とはすごい発想だ。だが確かに見てみたい。キャストは誰になるのだろう?

この三浦との対談である2つの章は2人のマンガ愛が炸裂してものすごい展開となっているが、両者とも“愛”を裏付ける深い見識、高い言語化能力があるので読み物として非常に楽しめた。
この対談を読み、三浦しおんの小説、エッセイはまだ読んだことがないのだが、読んでみようと思った。

第3章 こだか和麻
BLの大御所なのだろうか。まったくわからない分野なのでそれすらわからない。
この章は読んだだけという感じだ。
元々は少年チャンピオン出身でもあるようだが、ちょっと記憶にない。
会話で、BLの源流にある作家として青池保子を挙げている。

第5章 羽海野チカ
よしながふみ羽海野チカコミケで隣の席になったことが何年もあり、その頃からの顔見知りであったとのことだ。ちみなに2人とも描いていたのは「SLAM DUNK」だったそうだ。
羽海野はよしながより年齢は上だが、デビューは「釣りキチ三平」の矢口高雄(30歳)より遅く、「ナニワ金融道」の青木雄二(45歳)よりは早かったとのこと。
意気投合する2人ならではのテンションの高い会話が非常に面白く刺激的だ。
「マンガで世界をよくしたい」と語る羽海野の創作へのストレートな意欲にちょっと心打たれた。

羽海野「『困っている人がいたら、とりあえず何かを食べさせる(ことを書く)』っていうのが私の決まりなんですけど。それを読み続けてくれた人は、いつか困った人を見たら『とりあえず何かお食べよ』っていうかもしれない」(P206〜)
羽海野「昔のマンガは、描いていた先生方がどんなに大人だったんだろうと思う。子供の頃、困ったことがあると、小説とか歌とかマンガに救いを求めちゃって、どっかに答えがないかと思って見ると、見つけられたんですよ。だから、今度は私もやんなきゃ! って思ってるんですけど」(P206〜)

「三月のライオン」の5巻以降で、ひなたのいじめに関する問題が描かれるが、あの部分が読み手の心を打った理由が、このあたりの羽海野コメントを呼んで納得がいった。書き手にこういう志があったからなのだ。

羽海野は業田良家自虐の詩」を読んで救われたと語る。
よしながは、それよりクールに辛さを整理するために辛いマンガを読んだと語り、安達哲さくらの唄」を挙げている。

興味深い言葉が数多くある対談だ。

→この後に出版された萩尾望都の対談集「マンガのあなた SFのわたし」で
羽海野は萩尾と対談をしている。書籍用に萩尾のご指名での対談だったようだ。
これも読みどころが多い本だった。

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

↓「マンガのあなた SFのわたし」を読んだ感想
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20120324/1332585017

第6章 志村貴子
好きな漫画家なのでどんなことが語られるか期待していた。
単行本のための対談だったようだ。
よしながとしても注目している同世代の漫画家ということで対談となったのだろう。
ただ、この対談に関しては、あまり深まることなく終わった感じだ。
三浦、羽海野は漫画について方法論を考え、言語化することに力も入れるタイプだが、志村の場合は違うのかもしれない。
メモに残すほどのコメントはなかった。

第7章 萩尾望都
大きな影響を受けた「24年組」の中でも特に敬愛する巨匠との対談。
この対談を読むと、よしながは、萩尾望都の作品を何度も何度も読んでいたことがわかる。
憧れの作家に思いのたけをぶつけているという感じで非常に好感がもてる。
しかもその分析は鋭い。
萩尾望都の作品をまた読み直したくなった。

→と書きながらずっと読まず、
2014年の10月に「ポーの一族」を何十年ぶりに読み、衝撃を受けた。
名作の中の名作です。

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あとがきで、よしながは
「私は、紙の上に文章を書くのは大変苦手で、まえがきを含めこんなに作文するのは、学校で以外は本当に初めてです。」と書いているが、漫画の分析とそれを言語化することにおいては、この人は萩尾望都が語っていたように非常に鋭いと思う。

よしながはもしかすると10年後くらいには慶応大学か東京藝大でコミック専攻の少女漫画、BL分野で教授とかになっているかもしれない。
対談なので読みやすいが、非常に興味深いことがたくさん語られている本だと思った。
あと、自分の語る言葉に対して誠実であることに感銘を受けた。
自分の都合のいいように物事を恣意的に語らない人と思った。



そういえば三浦しをんのこんなコメントもあった。

三浦「私は最近『ONE PIECE』というマンガが読みこなせなくなってきました。〜このマンガ読み人生の中でここまで難解なマンガは初めてだと思いましたね。最初はそうではなかったんですが、段々コマを読みこなせなくなってきたんです。ここで何が起きているかというのを読み解くのに普通のマンガの3倍くらいかかるようになったんですよ。おもしろいのはすごくわかるんですが、私にとっては読みにくいですね。〜なんで理解できないか自分でも理解できないです」(P61)
※このあたりは中川翔子が語っていることと通じるものがあるかもしれない。
よしながは、それは「ドラゴンボール」の洗礼を受けていないからではないかと語っている。そして、ジャンプならではの技法、ルールがあることと関連するのではと語っている。主役を勝たせなければいけないことから生じているジャンプ独特のルールからと。
よしながの見解についてはなんとも言えないが、非常にポピュラリティのあるマンガでありながら、ある種のマンガ読みには読めない作品と言われる「ONE PIECE」はちょっと興味深い作品と思う。

この本で批判的に語られている大島弓子のことがわかってない、大島弓子好きと称するおじさんて、犬童一心のことではないですよね……