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シカゴ『シカゴVII(市俄古への長い道)』

シカゴVII(市俄古への長い道)

シカゴVII(市俄古への長い道)

実はよく知らなかったバンド、シカゴのアルバムを発表順に聴いている。
このバンド、リアルタイムでは甘い歌もの人たちというイメージがありきちんと聴くことは避けてきた。

しかし、久しぶりにファーストを聴いたことで改めて興味を引かれ、聴くことになった。
彼らの軌跡を追うささやかな音楽の旅という感じだ。
ファーストから現在8枚目までを聴いた。

現在は名実ともにアメリカを代表するロックバンドだったということを強く感じている。

シカゴはデビューから3作目までは全て2枚組のLPを発表、4作目のライブはLP4枚組だった。
そのボリュームからして、破格といえるバンドである。
そして、その勢いがアルバムに詰まっている。

そして5作目で初めてアルバムが1枚に。
内容がコンパクトにまとまった内容だった。

『シカゴVI』を聴きたかったのだが、入手できなかったため、一つ飛ばして『VII』を先に聴いた。

『VII』で再びLP2枚組となった。
そして、これがバンドとしては最後の2枚組アルバムとなった(らしい)。

当時のLPでは1枚がインストゥルメンタルをフィーチャーしたジャズ(風)もので、1枚が歌ものという感じの構成だったようだ。

聴いて驚いた。
一体どうしたんだというくらい、音が変わっていた。
しかもとっちらかった内容。
1、2回聴いた限りでは印象は悪かった。
ジャズ風のもの、ラテン風のもの、甘いラブソング、そんな曲がごっちゃになっているように聞こえた。
初期の硬派なブラス・ロックのシカゴが、私のかつて認識していた軟派なシカゴに変貌しているように思えた。
もう、シカゴを聴くのはやめようかとも思った。
ただ、どこか引っかかるところがあり何度も聴くことにした。

10回くらい通して聴いてやっと曲、アルバムがつかめるようになってきた。
実はこのアルバムはいいのではないか。
ゴリゴリと前進するサウンドを生んできたシカゴが、いい意味で柔らかく、洗練されたものに変わってきたように思えてきた。
じっくりと作りこまれたものを感じた。特にジャズサイドに。

このバンドのことは、グループの周辺情報とかはあまり知らずにずっと聴いてきたのだが、このアルバムを聴いて、各メンバーがどんな曲を作っているのかということにも興味を持ち始めている。

どうも私はローバート・ラムの曲にジェームズ・パンコウが巧みにホーンのアレンジをつけた曲が好きなようだ。
そしてテリー・キャスの硬派な部分に引かれ、ピーター・セテラの軟派な甘い曲を好まないようだ。

多分、私がかつてシカゴに抱いていたイメージは、ピーター・セテラ色の出たシカゴだったのかもしれない。

このアルバムは、冒頭の1曲目から5曲目までがインストゥルメンタル
フルートとパーカッションのやりとりにロバート・ラムの弾くメロトロン(!)が入ってくる前奏曲から始まる、これらのインストゥルメンタル曲は聴き応えがある。
そして歌ものの(6)「ライフ・セイバー」(邦題は「愛の女神」。勘弁してほしいタイトルだ)、(7)「ハッピー・マン」、(8)「サーチング・ソー・ロング」(邦題は「遥かなる愛の夜明け」!)、(9)「モンゴヌークレオシイス」に至る流れは、なかなかのいい展開だ。
このジャズ・サイドは今まで聴いたシカゴのアルバムの中でも最上のものかもしれない。と現時点では思っている
これからもときどき聴くことになる気がする。

歌ものサイドについてはまだなんともいえない。
ただ、正直、今後甘くなるシカゴの萌芽を感じさせる。
ソウルっぽいところもある。

しかし、日本版ですぐに“愛”“恋”に類する言葉をつけてバンドのイメージをゆがめるタイトルは本当にやめてほしい。

“市俄古”だし。
ヤンキーじゃないんだから(当時はまだヤンキーはなかったが)、このセンスはちょっと勘弁してほしい。
邦題から思うに、当時のレコード会社の担当の趣味がどうもイマイチだったのではと思えてしまう。
もしかしたらこの邦題がなければ、私はシカゴをもっと前から聴いていたかもしれない。
私は『原子心母』『狂気』『青空と廃墟』『恐怖の頭脳改革』といったタイトルのプログレを聴いていた人間なので。

ピンク・フロイドのアルバムの邦題、オビのコピーで有名なEMIの石坂敬一が担当だったらシカゴも邦題はきっと違っていただろう。