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高木仁三郎「宮澤賢治をめぐる冒険」

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

東大で原子核化学を専攻後、黎明期の企業による原子力開発に参加、その後研究所、大学での教職を経た後、脱原発の“市民科学者”として活動をしてきた高木仁三郎の講演集。
「市民科学者として生きる」を読んで感銘を受けたので、この人の書いたものは時々読んでいこうと思っている。

「市民科学者として生きる」を読んだ感想メモ

市民科学者として生きる (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)

今回読んだのは、彼が敬愛する宮沢賢治についての講演したものをまとめたもの。

第1話 賢治をめぐる水の世界
第2話 科学者としての賢治
第3話 「雨ニモマケズ」と私
あとがき

で構成。
第3話は正味10ページ程度なので、第1話、第2話の部分が読みどころ。

第1話「賢治をめぐる水の世界」では、自然・命の連鎖を、賢治の描く水のイメージに託して語っている。
取り上げられるのは、最愛の妹トシを亡くした賢治がその悲しみを克服していくまでに書かれた「無声慟哭」「オホーツク挽歌」などの一連の詩、
物語としては「やまなし」「雁の童子」「銀河鉄道の夜」など。
それらが上記の水のイメージに則した、賢治の宇宙観が反映した作品として解説される。

特に「銀河〜」については四次元の時空空間の概念を取り入れた作品として高く評価、「アインシュタインの世界をいちはやく賢治は作品の中に取り入れているんです」と語っている。

第2話「科学者としての賢治」が個人的には読みどころのある内容だった。
高木は宮澤賢治に対して自身の生き方と重ねて著書を読んでいるようで、かなりの思い入れがあるようだ。
「賢治を読むということは、自分の生き方と賢治の生き方を何らかの形で摺り合わせて、その接点のところで読むという、そういうところがあります。賢治の作品そのものが、賢治自身にとってもそのようなやり方で生まれたものだと思います。また、われわれにそうさせる力をもっているというふうに、つくづく考えます」(P75)

がんに侵されてから自身の人生を振り返った「市民科学者として生きる」の第5章「三里塚宮沢賢治」にもあったが、大学卒業後、科学者としての道を模索する高木は、賢治の書いたある言葉に衝撃を受けたという。
↓この言葉である。
「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」

ここではこう語っている。
「この言葉を読んだときの私の衝撃といったらなかったです。私は現場で苦しみながら、まさに、そういうことを考えてきた、まったく、賢治のことなど知らずに考えてきた。私たちの、まさに、現代的な悩みだと思ってきたことがすでに、六十年以上も前に、こういう言葉を発した人がいた。賢治とはそういう人だったのかという驚きと、身震いするような感動といいますが、その時のことを私はいまも忘れることはできません。」

そして、大学、企業、研究所、そして実験室といった学者の閉じた世界にこもるのでなく、“外の世界”に出て科学者として生きることを決意するまでの経緯を語っている。この部分は「市民科学者として生きる」を読んでいたので、興味深く、共感を抱いて読むことができた。

そして高木自身が運営していた原子力資料情報室を、賢治の作品「猫の事務所」、そして賢治が設立した羅須地人協会になぞらえて語っている。

高木が最も好きな作品は「グスコーブドリの伝記」だという。
ここでは、科学者として賢治の見識を高く評価し、ブドリの最期については単なる犠牲という発想ではなく、賢治も用いていた“大循環”という言葉を通して解説している。
失敗や死を断絶するものと捉えるのでなく次につながるものとして考えることが重要であると訴えている。
そして、失敗に終わったとされる羅須地人協会についてもこう語っている。
「あえて、挫折と言ってもいいけれども、その挫折というのは、むしろ挫折によって、今度は新しいものを生む。そういうものであったと思います。これを単に『失敗であった』『彼は結局、農民の中に入り込みきれなかった』と言ってしまうのは、私には納得がいかないのです」(P130)

宮澤賢治という存在が高木仁三郎という市民科学者をいかに鼓舞し続けてきた存在なのかがよくわかる講演となっている。

今回読んだ講演集も、自分の立ち居地をきちんと示したうえで物事を的確にわかりやすく解説していこうという高木の誠実な姿勢が感じられる内容だった。
やはりこの人の語ることは読むに値すると私は思う。

余談的にだが、興味深かったのが賢治を科学者として高く評価した後にこんなことを語っていたこと。
「現代でも、SF作家の中で私が知る限りでも、非常に現代科学に通じている人がいます。ひととおりでなく、現代科学の本質というものを理解しているSF作家がいるような気がします」(P111)
これは、どう考えても小松左京のことと思えるのだが、高木の中学の同級生だった豊田有恒の紹介とかで知り合っていたのだろうか。この2人の間に交流はあったのか、2人の間での対談とか著作物とかあるのかがちょっと気になる。