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シカゴ『シカゴXI』

シカゴXI

シカゴXI

プラス・ロック・バンドとしてデビュー、徐々に変化をしながらポップ・ロックバンドになり、商業的に成功を収めたシカゴの、ある時代の終わりとなったアルバム。'77年発表。

知っている人には言わずもがなのことだが、『シカゴXI』発表後、バンドにとって2つの大きな転換となる“事件”があった。

1つは、バンドの意思で、育ての親であるマネジャーでプロデューサーでもあるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオを解雇したこと。
ライナーを読んだ限りではギャラの取り分のあまりにも多くの部分をガルシオが得ていたことに対してのバンドの“反乱”だったようだ。
お金のこともあるのだろうが、バンドとして成功した自負から、ガルシオのオーバープロデュースに対しての反発もあったと思われる。
もはや俺達だけで、金をがっぽりせしめるガルシオがいなくてもやっていけるというものが。
これは、音楽が大きなビジネスとして成功したときによくある話ではあると思う。

ただ、もう1つの事件、バンドのギタリストであり、ボーカリストでもあったテリー・キャスのピストルの暴発事故による死は、このバンドの方向性を大きく変えることになった深刻な事件だった。
もしテリー・キャスが生きていれば、バンドの'80年代以降の極端な甘いポップス化はなかった可能性がある。キャスの音楽的志向からすると、シカゴはロック・バンドとして活動を続けていたかもしれない。

とはいえ、『シカゴVIII(未だ見ぬアメリカ)』を聴くと、キャス作詞作曲による「Oh,Thank You Great Spirit(安らぎの朝の光)」では“幽体離脱”的な歌詞を延々と歌い上げていたことからも、すでにかなりドラッグに耽溺していて、精神的に不安定な状態にあったと思われる。
暴発事故もロシアン・ルーレットをしていたときの事故とのことだ。『シカゴX(カリブの旋風)』のインナーに載っていた彼の写真も、不健康そうな肥満体でそうとうヤバイ感じだ。
そのままバンドから排除されるということもあり得たとは思うが……

なのだが、テリー・キャスの死はバンドにとって、とてつもないショックであったことは間違いないと思う。
最近になって初めてシカゴのアルバムを年代順に聴いた私としても、彼がいたらこのバンドも……と思わせるものがある。

初期のアルバムにおけるテリー・キャスの、音程が外れて声がうまく出なくても歌いきってしまう暴走するようなボーカルはとても魅力的だった。

で、今回の『シカゴXI』の感想。

1曲めの「Mississippi Delta City Blues(ミシシッピー)」は『ライヴ・イン・ジャパン』にも収録されていたテリー・キャスの曲。初期の曲らしいが、このアルバムでは、当時のシカゴらしい“洗練された”ファンキーな味付けがされている。『ライヴ・イン〜』では演奏も歌も洗練度は低く、もっと荒々しかった。
この同じ曲の仕上がりの違いがまさに『ライヴ・イン〜』当時のシカゴと『シカゴXI』のシカゴの違いといっていいと思う。
やはり、個人的には『ライヴ・イン〜』の方が好みではある。

ただ、前作の『シカゴX(カリブの旋風)』よりはこちらの方が、ロック的なテイストはあるように思えた。ソング・ライターも偏りなく、各メンバーが数曲ずつ担当という構成になっている。
メイン・ライターだったロバート・ラムもここでは2曲しか手掛けていない。
ロバート作曲が少ないのは残念だが、作曲者がばらけたことがあってか、アルバムとしてのバランスは今聴いている限りではなかなかいい感じに思える。

このくらいの路線でうまく進めばイーグルスみたいな感じでいけたようにも思えるのだが……。

ちなみに調べてみたら、イーグルスは『Desperado(ならず者)』が'73年、『One Of These Nights(呪われた夜)』が'75年、『Hotel California(ホテル・カリフォルニア)』が'76年発表だ。
ホテル・カリフォルニア』の翌年に発表されたアルバムか……。
比較するのはなんだが、大きく負けているのは事実だ。

シカゴもコンセプト・アルバム的なものに挑戦するのもありだったと思う。
何らかのものを作り上げる力はこのバンドにあったはずだ。
そうすれば、ファースト・アルバムのみが評価される、日和ったロック・バンドとしての地位に甘んずることがなく広くロック・バンドとして認められたと思うのだが……。
今さらこんなことを言ってもしかたないのだが、そう思ってしまう。
なかなかいいバンドということがわかったので。