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五味康祐「薄桜記」

薄桜記 (新潮文庫)

薄桜記 (新潮文庫)

この「薄桜記」を読もうと思ったのは、山田風太郎の研究本「列外の奇才 山田風太郎」を読んだことがきっかけだった。

列外の奇才 山田風太郎

列外の奇才 山田風太郎

本を開くと目次には「私の山田風太郎」と題した、北村薫桐野夏生関川夏央など著名人の寄稿がずらりと並んでいた。それぞれ面白かったのだが、
その中で、特に興味を引かれたのが、そのトップに位置する沢木耕太郎による「彼らの幻術」だった。

小学校5年になってから時代小説に耽溺するようになった沢木は、アトランダムに作品を読んでいたが、やがて読む作品に強く吸引されるものと、そうではないものがあることに気づくようになったという。
そして、こんなことを書いている。
「とりわけ、少年の私が強く惹きつけられたのは柴田錬三郎五味康祐の作品群だった。中でも、柴田錬三郎の『剣は知っていた』と五味康祐の『薄桜記』は、それこそ何度繰り返し読んでも飽きなかった。そこには、のちの私が時代劇の本質と思うようになる二つの要素が濃厚に埋め込まれていたのだ。
その二つとは、運命は乗り越えようとして乗り越えられないものとしてあるという認識論と、士はおのれを知る人のために死すというヒロイズムだった」

沢木の寄稿文は、主に山田風太郎司馬遼太郎について書かれたものなのだが、本論と別に、上記の文章になぜか強く惹かれた。

“時代劇の本質と思うようになる二つの要素”。
それは
“運命は乗り越えようとして乗り越えられないものとしてあるという認識論”
“士はおのれを知る人のために死すというヒロイズム”
だという。

この言葉が心に強く残った。

そんなわけで、ついに「薄桜記」を読むことになったのだ。
文庫にして600ページ以上のものだったが滞ることなく一気に読み進めることができた。
そしてその面白さに驚いた。

ともかく、意表をついた展開、いったいどうしてこんなことをするのかという謎、コロコロと転がっていくストーリー。
ずば抜けた筆力を持つ作家であることは間違いない。
中山安兵衛が、高田の馬場に伯父を助けるために駆けつけるシーンから、丹下典膳が江戸から忽然と姿を消すに至る後半までの話の面白さは抜群である。
ここまで書ける作家はそうそういないと思う。
赤穂浪士討ち入りの説明部分で若干勢いは落ちるが、触れないわけにはいかない話題でもありこれは仕方なかったのかもしれない。

この話、主人公は丹下典膳という架空(?)の人物なのだが、この人はすさまじいほどの非合理の世界に生きる悲運の人である。
三河以来の旗本の家に生まれ、剣の腕も非凡な力量を有しながらも、相思相愛だったはずの妻の不義にからんで左腕を切り落とされて浪人の身に落ちぶれる。そして、かつて親交を結んでいた堀部安兵衛赤穂浪士に与するのとは対蹠的に、心ならずも吉良方につかざるを得なくなるのだが、その吉良方からも侮られ、疎んぜられるのである。」(P690 荒山徹のあとがき「本物だけが放つ本物感」)

この小説の中にいる人物は、現代の人間とは違う行動律に基づいて生きている。
その根底には先の
“時代劇の本質と思うようになる二つの要素”が確かにあった。

惹かれるものは確かにあった。
それが何かはまだはっきりとはつかめていないが。

五味康祐の小説は少しずつ読んでいきたい。

ちなみに
昔見た市川雷蔵主演、森一生監督の「薄桜記」はこの小説が原作だが、
脚色でかなり違ったストーリー展開となっていた。
あれはあれで妙な面白さのある映画だったが、この小説とは別モノといっていいかもしれない。

薄桜記 [DVD]

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※2012年7月13日から、ジェームス三木脚本でBS放送されるものはかなり設定が違うものになるようだ。
大ベテランが書いているので、“ジェームス三木版”的なものになるのでは。
丹下典膳は山本耕司。吉良上野介が早くから登場して、しかも長塚京三が演じる。