ラース・フォン・トリアー監督、キルスティン・ダンスト、シャルロット・ゲンズブール出演の映画「メランコリア」
色々な賞を取った評価の高い作品のようだ。
映像の色味とか構図にちょっと惹かれるものがあり見ることにした。
ワーグナーの音楽、“ドイツロマン主義芸術からの影響”などの言葉からもどんなものかと期待を抱いていた。
キルスティン・ダンスト演じるジャスティンとシャルロット・ゲンズブール演じるその姉クレア、2人の名前を冠した「ジャスティン」「クレア」の2部構成となっている。
「ジャスティン」はクレアの住む館でのジャスティンの結婚披露宴の始終。
「クレア」はクレアの館で暮らすクレアと夫(キーファー・サザーランド)、息子、そこにジャスティンが加わった暮らしぶり。
そしてラスト、小惑星が地球に激突する。
私はシネフィルではないので、正直見ていて何だかさっぱりピンとこなかった。
映像は美しいが、途中で結構寝てしまった。全体の20%くらいは寝ていたと思う。
週刊文春の0209号の「この人のスケジュール帖」(P111)にキルスティン・ダンストのこの映画に関してのコメントがあった。
「この作品にはラースのうつ病体験が反映されている。彼は実体験を芸術に昇華できる、最高の監督のひとりだと思うわ」とのこと。
うつ病体験を芸術に昇華した作品なのである。
だけど、見た感想は、個人的には、で、何なのという感じでもある。
この監督は幸せな人だと思った。
映像において秀でた才能があるとはいえ、
自分のうつ病体験を作品にするという芸術活動で、これだけの規模の作品を作ることを可能にするスポンサーがつくのだから。
自分の映画における読解力のなさを思い知らされた作品だった。
もっと私に映画を見る力があれば、感想は違ったのかもしれない。
ただ、自分の好みの映像作家ではないということは再認識できた。
ラース・フォン・トリアーという人は、見るものをおいてけぼりにしても気にしない人なのだ。
独善的な作家であるということは否定できないと思う。
とはいえ、説明的であればいいというものではないが……
そして作品の中には“毒”がある。
精神的に体力のある人はいいが、なまじっかこういうものに耽溺すると、体力のない人にはあまりいい効果を及ぼさない気がする。
この世界に共感している人はそれでもいいのかもしれないが、残念ながら私は違うようだ。
彼の作品で、芸術の普遍性に至るまでの入り口は狭い。
私は入り口ではじかれてしまう。
また思うことあれば更新したい。
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会社で映画好きの人間に聞いたところ、「見てないが、この作品はセカイ系のものではないか」との意見があった。
自分が、うつ病になってだめになることを、大風呂敷を広げて小惑星の激突で地球の崩壊にまで描いたものではないかと。
自分がだめになれば地球も崩壊だ!
みたいな。
そういう風に思えば、このシリアスで壮大な話も、笑えて面白い妄想話だと思えてきた。
ラース・フォン・トリアーは、真面目で知的に見えるM・ナイト・シャマラン?
やはり、シネフィルではない私にはよくわかりません……
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その後、同時期公開で“世界の崩壊”を描いた「ニーチェの馬」を見た。
私はこの監督の作品は初めて見たが、断然「ニーチェの馬」の方が好みである。