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やなせたかし「アンパンマンの遺書」

アンパンマンの遺書

アンパンマンの遺書

誰もが知っている「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしの自伝。
「遺書」とあるように、彼が自らの人生を“アンパンマン”創成を軸として総括した本だ。

四コマ漫画に則って“アンパンマン”「以前史」「創成期」「盛期」「未来期」と起承転結の章立てになっている。

目次は以下の通り。

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起の巻 アンパンマン以前史
故郷の空
貧乏坊ちゃん
数学駄目人間
制服は背広
銀座学校
卒業はしたけれど
地獄の軟弱マン
空白地帯
国敗れて
焦土から
ハンドバッグと西瓜

承の巻 アンパンマン創成期
ツッパリ社員
三越の包装紙
レモン画翠成功譚
無名時代は続く
ストライキもあります
潜在失業者のように
漫画学校の先生
超天才手塚治虫
谷内六郎の衝撃
永六助の来訪
宮城まり子
焦土のひまわり
ハローCQ
最初の詩集
ミスター・ポオ
やさしいライオン
運命の電話

転の巻 アンパンマン盛期
三つの出発点(「詩とメルヘン」の創刊、漫画家の絵本の会、アンパンマン絵本の誕生)
幼児という批評家
バッハとつきあう
おむすびまんとエルジェ
カミさんとぼく
アンパンマンの始動と昭和の終わり

結の巻 アンパンマン未来期
平成の夜明けと奇跡の出発
アンパンマンの勲章
鎮魂
墓標
四コマ目のオチ

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センテンスが短く、歯切れよく書かれてあるのでストレスなく読み進んでいくことができる。
文章はうまい。と思う。

読んで強く感じたのが、
「ぼくは優れた知性の人間ではない。何をやらせても中くらいで、むつかしいことは理解できない」(P61)
「ハイレベルのインテリゲンチアには生涯なれなかったし、なる気もない。通俗が性に合っている」(P36)
と一貫して語っていることだ。

そして嫌味なくその言葉が受け取れる自伝となっている。

個人的に興味深かったエピソードも多い。
以下、列挙する。

◆やなせの卒業した学校は、戦前の東京高等工芸学校という官立学校。
第一次大戦後、工業学校と美術学校との境界領域(産業デザイン)の専門学校として設立されたそうだ。
現在の藝大と東工大の中間に位置するような官立学校といえるのだろう。相当な名門だったと思われる。
この学校は芝浦の校舎が空襲で消失したため、千葉の松戸に移転、その経緯もあってか、戦後、千葉大学の工芸学部(現・工学部)になった。
以前、荒木経惟千葉大工学部の写真印刷工学科を卒業というプロフィールを見たときに、なぜ千葉大に写真印刷工学科が? と思った。
この本を読んで、その疑問が解けた。

やなせはこの本で東京高等工芸学校の図案科の試験に合格したことを「これは奇跡だったと、今でも思っている。ぼくは何をやっても運の悪い子供だったが、この時は運がよかった。そして、この東京高等工芸学校図案科はその後のぼくの人生のすべてにかかわってくる。この学校でなければ、今の僕はなかったと思う。現在は千葉大学工学部となり、千葉大学卒業生名簿の中に確かにぼくの名前はあるが、どうも千葉大ではあまりなつかしくない」(P20)と語っている。

アンパンマンを創る自身の土壌として「このフランケンシュタイン井伏鱒二太宰治と、その他いろいろがごっちゃになって、後世アンパンマンを書く伏線になる」(P36)と語っている。

◆学校卒業後に田辺製薬に入社、兵役を経て、三越百貨店に入社した。三越の包装紙のデザインの文字作成(レタリング)をやなせが行ったことは、インタビューで読んでいたが、当時、宣伝部にいたときの主任は後の三越の社長として有名になった岡田茂だったそうだ。(P95)

◆NHKの「漫画学校」という番組に出題者の“漫画の先生”として出演していた際に立川談志と交流があった。

◆「歌手に持ち歌があるように、誰でも知ってる人気キャラクターを持たなければ、この世界では存在しないと同じということを痛切に思い知った」(P103)という発言からやなせも“キャラクター”ということついて持論があるようだ。

◆羽仁進からの依頼でテレビドラマ「ハローCQ」のシナリオを書くことになった。
シナリオを一度も書いたことはないのに、なぜか羽仁から依頼され、「映画シナリオの書き方」という本を読みながら書いたという。
当時の東京12チャンネル(現・テレビ東京)開局記念番組で岩波映画制作だったようだ。
1年分の番組の1/3くらいのシナリオを書いたという。
映画雑誌にも映画解説の記事を寄稿していた。
雑誌は「映画芸術」と「映画ストーリー」。
「映画ストーリー」の原稿取りに来ていたのが向田邦子だった。
その後、シナリオライターになった向田に「ハローCQ」のシナリオを2本紹介したという。
その際に、やなせは向田の原稿を直していた。

やなせたかしは、向田邦子のシナリオに直しを入れていた!

「『どんどん直してください』と彼女は言ったが、今思えば思えば冷や汗ものである。許してください、向田さん」(P129)と語っている。

◆アニメのことはまったく知らなかったのに、手塚プロから初の長編劇場用アニメ「千夜一夜物語」で主要キャラクターのデザインを依頼された。

以上、
とっちらかった内容だが、読書メモということで忘れる前にとりあえず、書き留めておく。

やなせたかしの本はこの本の後も何冊か出ているので、続けて読んでみることにしたい。

↓その後、やなせ先生の著作はかなり読んだので、記事一覧にやなせたかしのタグを設けた
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