映画「ヒューゴの不思議な発明」の原作小説、ブライアン・セルズニック「ユゴーの不思議な発明」
- 作者: ブライアンセルズニック,金原瑞人
- 出版社/メーカー: アスペクト
- 発売日: 2007/12/18
- メディア: ハードカバー
- クリック: 89回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
↓以下は映画感想。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20120306/1331020565
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ハードカバーで542ページ。
1キロ以上はあると思われる重い本(量ってないのであくまでも体感)で、価格は2800円だ。
さすがに買うわけにもいかず、図書館で借りて読んだ。
(後で文庫もあることを知った)
ちょっと変わった本だった。
文章は心理描写など内面を描くことは少なく、目で見えるものを具体的に描く非常に視覚的なもの。
小説風に書かれたシナリオを読んでいる感じだった。
そして見開きページいっぱいを占める大きなイラストが、160枚近く(あとがきによる)ページのあちこちに、配置されている。
挿絵という感じではない。
冒頭の導入部分、エンディング、そして登場人物の移動する場面、シークエンス(物語を構成するパーツとなるひとまとまりの部分)とシークエンスをつなげる場面などで使われているものが多い。
そしてそのイラストは何枚も続いている。
カメラが捉えた映像のように全体からズーム、少年の歩く足、見つめる眼にクローズアップという具合に。
見開き1枚の絵が何枚も続くので、漫画や映画を見ている気分にもさせられる。
それ以外には、ジョルジュ・メリエス本人の描いたイラスト、当時の映画のスチールなども挿入されている。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
以下は、映画を読んでの感想比較メモ。
◆上記のように、この小説自体がシナリオのように視覚的に書かれている。
映画化の際には、基本的には原作のイメージ通りに映像化されていることが分かった。
映画で見られた、俯瞰からズームしてクローズアップにいたるカメラワークは、小説に載ったイラストの連続が生むイメージを踏襲したものだった。
◆お話の筋も映画と基本同じである。細部で演出上変えている部分はあるが、大きな部分での違いはないといえるだろう。
特にテーマについては、本で表現しているものをうまく映画に置き換えていると思った。
機械のこと、マジックのこと。
以下の部分は映画でもしっかり描かれていた。
「メリエスは映画が必ずしも現実を映す必要はないということを、人々に知らしめたパイオニアのひとりで、映画は夢を現実に変える力を持っていると考えた」(P363)
「ときどき、夜、ここにくるんだ。点検の必要はなくても、ただ街をながめにね。世界ってひとつの巨大な機械だと思うと楽しくなるんだ。機械にはひとつとしていらない部品はない。ちゃんと必要なだけの数と種類の部品がある。もし世界が巨大な機械なら、ぼくも何か理由があってここにいるに違いない。そう思えるからね。きみだってそうさ。きっと理由があるからここにいるんだよ」。
ふたりは星をながめ、高い空にかかる月を見た。眼下の街がまぶしく輝いている。聞こえてくるのは、時計が時を刻む規則正しい音だけだ。(P386)
「映画作りを志したマジシャンはわしひとりじゃなかった。多くのマジシャンが、映画は新しいマジックだと考えて、映画の仕事をしたがった」(P413)
「ある日の午後、スタジオにこられたご主人が、わたしの手を握って、おっしゃったのです。それは忘れられない言葉になりました。〜ご主人はこうささやいたのです。『夜、眠るとき、夢がどこからくるのだろうと思ったことはないかい? まわりを見てごらん。ここで夢は作られているんだ』」(P395)
◆この原作を読む前に一番気になっていたのがタイトルにある“発明”の部分。
原作タイトルは「ユゴーの不思議な発明」(原題:The Invention of Hugo Cabret)で、原題にもちゃんと“Invention(発明)”が入っている。
ちなみに、こちらは人名をフランス風にユゴーとしている。
だが、映画化の際には「ヒューゴの不思議な発明」(原題:Hugo)と、邦題には“発明”はあるが、原題では“Invention”が抜けているのだ。
映画を見たときにも“ヒューゴによる具体的な発明”は登場しなかった。
一体、何が発明なんだ? と思った。
タイトルに偽りありじゃないかと。
原題では“Invention”を抜いているので、もしかしたら原作にはヒューゴによる発明があるのかもしれない、などと思っていた。
そこが気になっていたのだ。
で、読んでみると、あった!
厳密には発明品といっていいのかわからないが、
最終章で、後のユゴー(ヒューゴ)の創ったものが登場していた。
映画では、最終章に触れず、物語を終えていた。
映画を見ていたときにはからくり人形の作品における位置について、釈然としないものもあったのだが、原作の最終章まで読んで、からくり人形の意味が頭の中でカチッとはまった気がした。からくり人形を通してすべてがつながった、みたいな。
最終章について知りたくない人は以下は読まないほうがいいかもしれません。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ユゴーは後に、自分の手で新たに、からくり人形を作るのだ。
そして何かをさせる。
さすがにその何かについては書くことはしません。
興がそがれると思うので。
ただ、映画としてはここまで触れると作品のテーマが拡散してしまう危険性が高いと思う。
だから映画では、最終章を省き、タイトルから“Invention”を抜いたのだ。
などと自分では勝手に納得している。
映画では、原作の最終章まで続けなかったことで、からくり人形が中途半端な小道具となってしまった感はあるが、それはそれでよしと私は思う。
この本、かさばって重いので電車内で読むのに苦労したが、こういった装丁にするだけの意味はあると思う。
文庫で読まなくてよかった。
あ、これって小説というより絵本なんですね。