見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

山田順「資産フライト 『増税日本』から脱出する方法」

資産フライト 「増税日本」から脱出する方法 (文春新書)

資産フライト 「増税日本」から脱出する方法 (文春新書)

「出版大崩壊 電子書籍の罠」という本を読み、著者である山田順という人に“興味を持った”。

↓「出版大崩壊〜」を読んだ感想メモ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20110819/1313722794

書いてあることに深く共感するというよりは、これ書いてる人、何か変な人だなーと思い、興味を抱いたのだ。
この人、近くにいるとちょっと困るが、遠目で見ている分には、「おっ、また何かやらかしてるな」みたいな人に思えた。ともかくズバズバと言い切る人なのだ。顰蹙をかうようなことを平気で書く。この迷いのなさはすごい。

とはいえ、思ったことをただ、放言しているだけの人ではない。
自分の語ることについては、立ち居地をはっきりさせ、その上で、明快な論旨に基づいて話を展開している人だと思った。

そうなのだが、その論旨の奥に見え隠れする微妙な感情、差別的ともいえる妙なプライドの高さ、人を見下したような語り口がなんとも読み手にとって刺激的なのだ。
読んだ人によっては気分を害する人もいるように思える。アマゾンのレビューを読むとそのような意見もあった。
そして、「出版大崩壊」を読んで何より面白くスリリングだったのが、当初は初めに示した見通しに基づいて語り始めるのだが、それが個人的な思いから“崩壊”、暴走し始めるところだった。
本論よりもそっちのほうが面白かったという、個人的には非常に興味深い本だった。

その山田順が、日本の富裕層の資産海外持ち出しに関して、事情通として文春1110号でコメントを寄せていた。
「日本人の『資産フライト』恐るべき実態!−“虎の子資産”を海外に移せ」という記事である。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20111123/1322071142

要するにこの記事、同じ文春新書から出た山田順による「資産フライト 『増税日本』から脱出する方法」の宣伝も兼ねたものだったのだ。
電子書籍”から“富裕層の資産海外持ち出し”とは随分ジャンルが違うな、とは思った。

とはいえ、「出版大崩壊」を読んで、著者は“リッチな暮らし”“ワンクラス上の暮らし”に執着があると私には思えたので、なるほどと思えるところもあった。

で、ついに入手、読了した。
改めて思ったのだが、カバー裏に著者の写真が載っているのだが、これがなんとも挑戦的なまなざしでカメラを見据えている、“らしい”写真だ。“どや顔”とまではいかないのだが、不敵な面構えでいい味を出している。

カバー裏にはこんな言葉も。
「最近は500万円や1000万円を現金のまま運んでいる人間がいる。医者や弁護士、中小企業オーナー、大企業をしかるべきポストで退職したサラリーマンなどである。そんな中の一人を紹介してもらい、彼が香港に現金を持っていくというので同行させてもらった」

編集者出身の著者的には「これでつかみはバッチリ」という感じなのだろうな、と思った。

しかも、本にはデカデカと大きな帯が。
「出版大崩壊〜」では、自分が編集者の時には、帯をつけることはコストが掛かるので無駄と大反対していた、と語っていた。
だが、またしても目立つ帯をつけている。
要は自分の金じゃなければ、ぜひつけてくれということなのか、と思った。
しっかりしている。

以下、内容の感想メモを書く。
まずは目次。
この人はページの構成は、きっちりとしているので、目次を見れば、内容のアウトラインはわかる。

                                                                                                            • -

はじめに
第1章 成田発香港便
午後便に乗れば午後いちばんで香港に
婦人と二人でバッグに500万ずつ
出国ゲートの探知機をあっさりと通過
日本の金融機関のサービスは世界で最低
香港では外貨の持ち込み制限はない
普通のOLまでが口座開設
なぜ香港? なぜHSBCなのか?
1ドル80円台という円高の不思議

第2章 震災大不況
続々と東京を逃げ出した外資金融
現代はコンピュータ取引の時代
まったく無益な円高阻止の為替介入
日本は投資する魅力がない国
「日本は強い国」は単なる希望的観測
明治維新とも戦後復興とも違いすぎる環境
原発問題の処理に唖然とする外国人投資家
歴史のアナロジーならポルトガル

第3章 海外投資セミナー
毎日のようにどこかでセミナーが
相続税対策としての海外預金
日本の相続税富裕層に懲罰的
相続増税で一般層を狙い撃ち
外資産の申告漏れ過去最高
多種多様な海外投資セミナー
長期的には円安、そしてインフレ
今後20年も日本は独り負け
マレーシア不動産投資ツアー
海外口座開設ツアーの落とし穴
シンガポールドルでも口座開設
あまりに簡単にできる人民元口座
海外投資の最終デスティネーション

第4章 さよならニッポン
ライブドア・ショックの影響
金融ビッグバンでなにが変わったか?
ニューリッチの登場で変わった資産運用
大手邦銀の富裕層向けサロンを訪ねる
お金を持っている人間がすべきこと
資産フライトが新聞記事になった例
日本を捨て「永遠のトラベラー」になる
パーセプション・ギャップが崩れるとき
「金持ちはもっと税金を払え」と財務省
「さよならニッポン」は政府に対する反乱

第5章 富裕層の海外生活
高級会員制ホテルから見る東京の夜景
大震災に心配で日本に帰国
武富士裁判の判決に怒りを隠せない
日本はルールを守っていても罰せられる国
ロサンゼルス一のトレンディなホテルで
グリーンカードが取得できる投資プログラム
世界は減税競争なのに日本だけ増税
PTは富裕層だけの生き方ではない
朝日新聞』も紹介してPT

第6章 税務当局との攻防
武富士裁判「逆転勝訴」の衝撃
今後間違いなく強化される海外資産税
『ハリポタ』翻訳家の申告漏れ事件
J&J元代表の海外脱税事件
多国間関税ネットワークに参加
オフショアはグローバル経済の必要悪
じつはアメリカ自身が巨大なオフショア
ますます発展を遂げるオフショア

第7章 金融ガラパゴス
大金持ち未亡人に対する銀行の対応
日本の居住者でなければ口座は開けない
あのジム・ロジャースも口座開設拒否
かえって規制を強化させた金融商品取引法
毎月お小遣いがもらえるわけではない
パッシブ投資とアクティブ投資
投資信託からETFへの投資革命
日本の金融は手数料で成り立っている
日本のファンドはほとんどが海外調達商品
政府と官僚は金持ちが大嫌い

第8章 愚民化教育
グローバル資本主義に適応できていない
いくら働いても外国人株主に奉仕するだけ
「貯蓄から投資へ」の後にいきなり金融危機
間接金融から直接金融の時代に
国内金融を無意味にしたグローバル化
アメリカでは大人も子どもも「投資教育」
資産形成は早く始めた者が勝つ
「お金持ちになりたい」と願う子どもたち
英語ができないと経済発展はできない
なぜ日本人は投資が下手なのか?
英語プアはどこまでもカモられる
英語プアは決して自己責任ではない
英語の授業時間が少なすぎる
税金をドブに捨てている英語教育

第9章 愛国心との狭間で
外から見ないと健全な愛国心は育たない
官僚統制がますます強まる日本
イデオロギーや思想は中流階級の錯覚
なぜ、高額納税者は国に冷遇されるのか?
「思考停止」をもたらす源泉徴収制度
日本人の「こすさ」と懲罰的課税
付加価値税と資産課税の2ウェイ方式
ロシア、中国でなにが起こったか?
豊かになったら復讐する理由がなくなった
人はみな裸で同じように生まれてくる
寄付税制の大幅な改革が必要
ジム・ロジャース氏の日本への警告

おわりに

                                                                                                          • -

今回は前回ほど感情に走ることはなかった。
ただ、やはり刺激的ではあった。
内容よりは、著者の存在感がである。

この本の内容、大雑把に言えば、
「円の価値が暴落することが、現在の財政赤字、国力衰退などから予想される。そして増税も官僚が着々と計画を進めている。お金持ちは自分の資産が目減りすることを恐れ、利殖において国内ではメリットもないので10年以上前から海外に資産を移し始めている。そして3.11以降それが加速している。私は大金持ちから小金持ちまで、さまざまな人に具体的なそのやり方を取材しました。それを紹介しています」
こんな感じだろうか。

さらには、“グローバル資本主義”である現在において、“日本の問題点”を著者なりの見解で列挙して、日本を憂いている。

この人が日本の問題点として挙げていることの根幹にあるのが“官僚主導体制”ということになるのだろうか。
付箋をつけながら読み終えて、そんなに酷い本ではない、とは思った。
専門的でなく、わかりやすい立脚点から論を展開する著者の話は親しみやすく、なるほどと思う点も多くあった。
第8章の“愚民化教育”という言葉は強烈だが、それなりに私も納得できる内容だった。

とはいっても、読んでいる際に常に違和感はつきまとった。
私には、サラリーマンでありながら日本人である自分の娘を、バカ高いインターにわざわざ通わせる感覚は理解できない。
ただ、それは人それぞれの価値観だろう。

ただ、最後の第9章“愛国心との狭間で”になると、やっぱりというべきか、山田順節は炸裂する。
イデオロギーや思想は中流階級の錯覚”と見出しのあるあたりが強烈だ。
著者は、1億総中流時代が幻想とはいえ、かつての日本にあったと述べ、こんな言葉を続ける。

「じつは、この中流であるということが、人間としてもっとも醜いことなのである」(P230)

びっくりした。
以下こんな言葉が続く。
「なぜ、中流が人間として醜いのだろうか?
それは、この層がもっとも激しく内部抗争をしているからだ。周囲と自分を比較し、少しでも上に行きたい、もっとお金がほしいと、嫉妬心を隠しながら、立て前と本音を使い分けて生きている。日本の官僚はその典型だ。
社会の上層にいる人々にはこんなマインドはない。また、底辺にいる人々も、こうしたマインドは持ち合わせていない。私の経験では上流と下流のメンテリティはほば共通している。格差の底辺にいる下流の人々の特徴はまずは正直だということだ。彼らはけっして高尚なことは言わないし、知らないことを知っているように『知ったかぶり』もしない。第一、本もほとんど読まないから、宗教、イデオロギー、思想、文学、占い、文化なども信じない。信じているのは、日常生活で経験したことだけである。その意味で、まったくのリアリストだ。そして、彼らは日本人としては、日本を純粋に愛している」(P230)

この言葉、著者は本気で書いているのだろうか?
底辺にいる人達は無垢な動物のようなものとでも思っているのだろうか?
正直で知ったかぶらず、本も読まないし、宗教も信じない?
これは酷すぎる。

そしてこう続ける。
「同じく富裕層、社会の上層にいる人々も、信じているのは自分の経験したことだけであり、ほとんどイデオロギーと思想を持っていない。絵空事の文学などにもあまり興味がない。そして、自分が育った日本を素直に愛している点では、下流層と変わりない」
これは無茶が過ぎる展開だ。
この人、文学部出身だそうだが、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」とか知らないのだろうか?

そして下流と上流が同じということの一例として、酒の注文の仕方を例にあげる。
下流は銘柄など指定する余裕はない。なので単に「酒をくれ」という。
そして上流も「ワイン」と言うだけだという。つまり、上流の人が行く店はしかるべき高級店であり、「ワイン」と言っただけで、しかるべき高級銘柄が出されるからだという。
そして銘柄にこだわるのは、その中間にいる層だけだと著者は語る。

「つまり銘柄やブランドにこだわるのは、その中間にいる層だけということだ。絶対に高級ブランド品など変えない層と、いつでも数千万の高級ブランド品が買える層は、そのもの自体に興味がなくなる」(P231)

これに続けてこう語る。
「ところが、中流層となると、下流を『まだ下がいる』と見下すことで心のバランスを保ち、上流を「カネに飽かせて好きなことをやっている』となんとか引きずり降ろそうとする。そこで、もともとたいして税金を払っていない層は煽って上流層への課税を強化しようとする。これが『国民生活が第一』の正体だとしたら、本当に損をするのは国民自身だ。本当に必要なのは、上からの富を奪い、それを広く配分することで平等な社会をつくることではなく、誰もが下から上まで行けるチャンスが平等にある社会をつくることである」(P231-232)
結論はその通りなのだが、過程が無茶すぎます。

さらにこう続く。
「しかし、日本の官僚はほとんどが中流人間だけに、こうした考え方がない。
中流人間は、イデオロギー、思想、理想がないと人間は生きていけないと信じて、本や新聞を読み、メディアに接する。その結果、取るに足らない意見や理論に耳を傾け、現実を忘れてしまう。必要なのは徹底した現実主義であるのに、それをおざなりにする」(P232)

そしてポール・ファッセルという人が書いたという本の文章を引いている。
この本、著者がいた光文社から出ているようだ。
「ポール・ファッセルの『階級』によれば、アメリカの上流階級が信じているのは、『資本はけっして侵されてはならない』ことだけだという」(P232)
ネットでちらっと見ると、この本はタイトルどおり、平等社会といわれるアメリカが、実は階級社会であると解説している本らしい。

結局、この人の“グローバル”は明らかに“プラグマティズムのアメリカ”という感じだ。
それも極端な。

著者は本気で上記引用部分のように考えているのだろうか?
そうだとしたら、私の感覚ではちょっと量りがたい人ということになると思う。

もう一点、すごく違和感があったのは“人はみな裸で同じようにこの世に生まれてくる”という見出し以下の文章だ。
「階級」という本から引用している人が、こんなことを語ることには、あまりに違和感があった。

家族で上海を歩いていると、浮浪児のような貧しい身なりの子供から著者はお金をせびられたという。
「〜中国の子どもにしては珍しい丸い目が光っていた。それで私は、思わずその子の頭を手でなで、ポケットから取り出した1元硬貨を渡した。
すると、私の娘は『パパ、なぜそんなことをするの?』と怒った。娘は私の手を指して、あんな子を撫でた手で私を触ったら嫌だからね」と言った。
それで、今度は私が娘を叱った。
『あんな汚いかっこうをしているけど、あの子も生まれたときは、汚くなかったんだよ。赤ちゃんはみんな裸で、同じようにこの世界に生まれてくるんだ。そのことを考えなさい』」(P244-P245)

娘も娘なら、親も親だと思った。

私なんかこう思う。
みんな同じように裸で生まれてくる。
ただ、生まれてくる環境は選ぶことができないのだ。
生まれた家庭の環境、生まれた社会の環境、自分の身体能力、知的ポテンシャル。
そういったものは選んで生まれてくることはできない。
私だって、もしかしたら中国の貧しい家庭に生まれたのかもしれない。
生まれてきた環境で努力していくしかないのだ。

そういう発想なんて、とうていできない人だろうな、というのがこの文章から感じたことだ。

今回も明快な論旨の展開と、読んでいて心にさざなみを立てる著者の“思想”が刺激的な一冊だった。
やっぱり面白い人ですね。
“中流”に対する愛憎入り混じる微妙な感覚が、文章からにじみ出てなんともいえません。
立教大学文学部出身、別に経済誌とかで働いていたわけでもないのに経済、金融を語りまくるというのも興味深い。
変に経済学とか学んでいないから、“思想”抜きにプラグマティックに“利殖”の観点からすぱっと書けるのかもしれない。

                                                                                    • -

数日後にほかのサイトでこの本についてどんなことが書いてあるかちらっとのぞいた。
私みたいな妙な突っ込みをしてる人は皆無だった。

もしかしたら私は山田順というライターのファンなのかもしれない、などと思った。

これからも、遠くから彼の著作をチェックすることにしよう。
楽しませてくれそうだ。