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萩尾望都「マンガのあなた SFのわたし」

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

サブタイトルは「萩尾望都 対談集 1970年代編」。
'70年代編の対談の相手として登場しているのは手塚治虫水野英子石ノ森章太郎美内すずえ寺山修司小松左京
そして手塚治虫松本零士との鼎談もあり。
それに加えて現代編として、羽海野チカとの対談が掲載されている。

'70年代編は'76年から'78年にさまざまな雑誌で行われた対談を集めたものだった。

以下、とりつめもなくつづった感想メモ。後でまた更新するかもしれない。

興味深かったのが、手塚治虫石ノ森章太郎松本零士、当時の売れっ子漫画家それぞれが話題として「百億の昼と千億の夜」を取り上げ、原作小説、SFのことなどを話し合っていたことだ。

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫 JA (6))

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫 JA (6))

百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)

百億の昼と千億の夜」は光瀬龍のSF小説を萩尾が漫画化したものだ。
(リンクを張るとき相当数のブログがあったことに気付いた。ということは、これって説明するまでもないことなのだろうか。私はこの小説が現在、どう評価されているかを知らない)

ウィキペディアによると、光瀬の小説「百億の昼と千億の夜」がSFマガジンに連載されていたのは'65〜'66年で、単行本が刊行されたのは'67年。
そして萩尾の漫画化作が少年チャンピオンに連載されていたのが'77年。

ちょうど対談のころは、この連載が話題になっていた時期だったのだろう。
私も少年チャンピオンの連載は読んでいた。

とはいえこの作品、時空を大きく飛び超える相当に観念的な内容で、小松左京の小説「果てしなき流れの果てに」と同様、当時としては“難解”な内容だったと思う。
私は両小説を小学校高学年のころに読み、内容にやっとのことでついていきながらもその世界にどっぷりはまった人間なので、彼らが語っているのを読み、非常に懐かしかった。
皆SF好きだったのだ。
ただ、今はこういう小説はSFというくくりで説明されないかもしれない。

これらの対談が行われたのは約35年前。
'70年代編に登場した7人のうち4人は故人である。
こうした対談をまとめて読むと、'70年代後半がある意味では“SFの時代”だったのかな、などと思えてしまう。
筒井康隆が、「SFの浸透と拡散」を主張していたころだったと思う。
私が愛読していた奇想天外社によるSF雑誌の「奇想天外」が出ていたのもこのころだった。

ただ、ここでいう“SFの時代”というのは、“SFの浸透と拡散の前の時代”という意味での私の個人的な感慨なので、異論のある人もいると思う。

手塚がこの対談でSFをスペキュレイティブ・フィクションと語っていたのも懐かしい。
石川喬司がこの言葉をメディアでよく語っていたような記憶がある。
ただ、このあたり自分にとっての専門ではなく、厳密な記憶、知識はないのでこの辺にしておく。

また、情報の共有化も簡単にはできない時代ゆえの素朴さ、熱意みたいなものが、読んでいると伝わってくる。
ピンク・フロイドを現代音楽としたり、ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーについての会話など、彼らについての評価の定まった現代から見ると「あれっ」みたいなところもある。
当時は今のように何でもすぐに情報が入手できる状況ではなかったのだ。
ただ、そんなことが逆にまだ評価の定まっていないものが醸し出すダイナミックな文化状況の“熱”を感じさせたりもして面白い。

そして何よりもこの本を読んで強く思い至ったのは、萩尾の創作者としての息の長さだ。
近年の彼女の作品を、私はきちんとは追っていない。
ただ多少読んでいる私でも、この本を読み、改めて彼女の近年の創作にいまだ衰えない力があることに気づき、感心した。
そして、対談の最後になる現代編に、羽海野チカを置いたという彼女の見識についても(もちろん編集者の意向もあるのだろうが)。

最大の読みどころはこの羽海野チカとの対談である。
多分、この対談がなければ私はこの本を読んでいなかったかもしれない。
そして、読むに値する対談だった。

よしながふみの対談集「あのひととここだけのおしゃべり」の最後に萩尾望都との対談がある。私はそれを読んで感銘を受けたが、この対談もそれに匹敵する充実した内容だった。

よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり

よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり

よしながふみ対談集「あのひととここだけのおしゃべり」の感想メモ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20111104/1320429667

よしなが、羽海野ともに、萩尾ら“24年組”からの影響を認めている漫画家だ。
そして2人とも、萩尾の多くの作品を改めて読み直し、色々な話したい思いを抱いて対談に臨んでいる。まず、そのことに感心した。
よしながの場合、何度も萩尾と会ったことがあるようで、比較的クールに分析を語り合うという印象の対談だった。
だが、羽海野の場合は、漫画における技術、手法についての話はあるが、尊敬する先人に対する思いがストレートに出ているので、こちらのほうが、より“熱い”。
ちょっと感動してしまった。

以下、個人的に萩尾×羽海野対談で興味深かったこと。
◆ネームとプロット作成について
対談を読む限り、萩尾はプロット作成については、いくつかの話の塊(シークエンス)の組み合わせとして物語を模索しているようだ。結末のシークエンスから考えていくこともあるようだ。

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萩尾「(ネームより先に文字の)プロット作るかな。ラストだけ出来ていて、とりあえず頭のプロット(私はシークエンスの意味と理解した)作ったり。いろいろです。頭と途中とラストが出来ていて間を埋めなきゃいけないとか」
羽海野「何度も描き直す感じですか?」
萩尾「何度も何度も描き直します。例えばエピソード(私はシークエンスと理解した)を10個集めて、ラストは10だとしますよね。1、2、3はできたけれど、4ができない」
羽海野「はい」
萩尾「でも5、6、7はあるとか、そういうこともあったりするんです」
羽海野「はいはい」
萩尾「だから1、2、3のストーリーを繰り返し何度もプロットで描いてみるんです。そうしたら初めて4が出てきたりするんです」
羽海野「よくわかります」
萩尾「4が出てきたんだけど、どうもうまくいかない。そうしたら、また1から描くんです。そしたら、またはずみで別の4が出てくる。これを何度も往復リピート。そのうちぴったりの4が出てきて、ああ良かった。これでいこうって。だから4がでてこない時は一日中、4のことを考えます。あっちに行こうか、こっちに行こうか。ウロウロ、ウロウロウ」

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このあたりプロットづくりの過程として興味深く読んだ。

◆羽海野はプロの漫画家になる前は、サンリオでキャラクターグッズのデザインの仕事をしていた
サンリオに勤めながら同人誌をずっとやっていたとう。

最近、私が著書を続けて読んだ、やなせ先生とかと交流があったりすると面白いのだが。

よしながふみとの対談では(「あのひととここだけのおしゃべり」)
羽海野「『困っている人がいたら、とりあえず何かを食べさせる(ことを書く)』っていうのが私の決まりなんですけど」(P206〜)と語っていた。
そのあたり、やなせ先生の「アンパンマン」での主張に近いものがある。まあ、偶然でしょうね。

◆羽海野の「はちみつとクローバー」の本当の結末について
羽海野の頭の中では、作品の終了後の展開が、連載時で既にあったとのことだ。
それは萩尾の「ゴールデン・ライラック」のようなものになるらしい。
彼女によると、はぐはその後いろいろあって結局は竹本と一緒になるそうだ。
それを作品にするかは語っていない。

メモを書き続けるときりがないのでこの辺にしておく。