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ジョニー・デップ主演、ティム・バートン監督の映画「ダーク・シャドウ」

見る前は、私はこんな映画と思っていた。

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18世紀のアメリカ。資産家の男性が、恋愛で逆恨みをした魔女の呪いでヴァンパイアに変えられ、棺おけに閉じ込められ土に埋められてしまう。
200年後の1972年。彼は、棺おけから解放され再び世に出る。
そして自分の末裔が落ちぶれた姿でいるのを見た彼は、一族の再興のために立ち上がる。
そこに’72年の風俗と18世紀に暮らしていた主人公のカルチャーギャップをギャグとしてからませるコメディー・タッチのヒューマンドラマ。

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全然違っていた。
実はこの主人公が蘇ったおかげで細々とはいえ、続いていた一族は崩壊してしまうのである。
これって皮肉?
だが、そうとも取れなかったりする。
しかも主人公は平気で、善良なヒッピーの若者の命を奪ったりしている。見ている人からは共感はとうてい得られない非道な行動だ。
だが、その非道な行為がシュールな雰囲気やブラックユーモア的なものを醸しだしているかというとそんなことはなかったりする。
変な映画である。
あえて破綻している作品にしているのだろうか。
それぞれのキャラは立っているし、ビジュアル的には見所はある。見ていて退屈はしない。つまらなくはないので、始末におえない感じである。

私にはこの映画が、何を訴えようとしているのかさっぱりわからなかった。
先月に見た「ドライヴ」という映画も妙な映画だったが、あちらはその妙さがよかった。
だが、こちらは単に整合性が破綻しているだけとも思えてしまう。
ちんぷんかんぷんの映画だ。

私が見た限りでの簡単なプロットはこんな感じではないかと思う。

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18世紀のアメリカ。ジョニー・デップ演じるバーナバス・コリンズは失恋した魔女の呪いで、恋人ジョゼットを崖から落とされ、自身はヴァンパイアに変えられ、生き埋めにされる。

時は移り1972年、ジョゼットとうりふたつの若い女性ビクトリアが、ある導きで、コリンズ家の家庭教師として雇われる。
そんな中、バーナバスの棺おけが偶然掘り起こされ、彼は土木作業員の生き血を吸って復活、コリンズ家を訪れる。
現在の当主・エリザベスにヴァンパイアとして蘇ったバーナバスということを納得させた彼は、イギリスから来た遠縁の男性と称して、コリンズ家に居つくことに。

やがてバーナバスは、自分をこんな目にあわせた魔女アンジェリークがその後も当地で生き続けて、コリンズ家に代わり町を支配する存在となっていることを知る。
バーナバスは一族を再興するために行動を開始、またアンジェリークに接触を図る。
バーナバスはアンジェリークに深い復讐心を抱いているが、アンジェリークは未だにバーナバスに対して深い愛を抱き、激しく求愛する。

一方、エリザベスの甥っ子の家庭教師となったビクトリアは、広間のシャンデリアからジョゼットの幽霊が落ちるさまを何度も幻視する。実はエリザベスは幽霊を見ることができ、ジョゼットの幽霊の導きでこの地に来ていたのだ。

バーナバスの事業は一時は成功するかに思えるが、アンジェリークにたてついたため、改装した工場は全焼、さらに一族はあらぬ疑いをかけられてしまう。
激怒したバーナバスはコリンズ邸でアンジェリークと対決。だが、到底かなわない。一族滅亡かというときに、アンジェリークに殺された甥っ子の母の幽霊が出現、彼女の攻撃でアンジェリークは死亡する。

そんな中、何かに取り付かれたビクトリアが、かつてジョゼットが身を投げた崖から同じように身を投げる。バーナバスも一瞬後に飛び降り、彼女の首筋をかむ。墜落する2人。断崖下の岩場、ジョゼットの顔となったビクトリアが蘇る。

一方、バーナバスの血を輸血していたコリンズ家付の女医・ジュリアが息を吹き返す。

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集中力が途切れてしまったので、若干間違いもあるかもしれないが、おおまかにはこんな感じだろうか。墜落するときバーナバスがビクトリアの首を噛んでいたことには実は確信は持てないのだが。

この映画のログラインはつまりこういうこと?

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バーナバスの復活が近いと知ったジョゼットの幽霊が、自分そっくりの女性を呼び寄せて崖から飛び降りさせて、自らの復活を図る。

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ただ、ラストに蘇ったビクトリアがジョゼットとして蘇ったのか、ビクトリアとして蘇ったのか、2人が結合した存在として蘇ったのかわからない。




ほかに不思議だったのが、ビクトリアは導入の部分ではたっぷりと登場するが、バーナバスが現れてからは画面にほとんど登場しないこと。

むしろ描かれるのはバーナバスと魔女・アンジェリークの関係である。アンジェリークのバーナバスへの報われない愛がかなり屈折した形でしっかりと描かれていたりする。
魔女アンジェリークの熱愛に対して拒否をする主人公。
最期に心臓を取り出して渡した愛が拒否され、崩れ散る場面が美しい。

見ている人間はアンジェリークに感情移入してしまいそうである。
逆に主人公は平気で人の命を奪い、一般的な意味での共感を得られるキャラクターではない。

元となったTVドラマのことを知らないのだから内容の理解にきついものがある。

この作品において、
魔女はどのようなものなのか。
ヴァンパイアはどのようなものなのか。
そのあたりも不明である。

マイケル・ジャクソン? と思わせるシーンもあるのだが、意図は不明だ。

つらつらと思ったことを書くとこんな感じだろうか。
この作品については、あまり詳しく書いてもしょうがない気もするのでこの辺で終える。

で、結論としての個人的な感想。

私は倫理的な面で、この映画を受け入れられないものがある。
そもそも建設作業員を殺し、若くてナイスなヒゲの若者たちも殺した主人公。
そんな主人公の愛が成就するということを、私は認めたくない
主人公も理不尽なまま生きていく(命を失う)のであれば作品としてはOKだが、そのあたりはなし崩し的に終えている。
マーズ・アタック」で火星人が人間を虐殺するのとは作品のありかたが違う。

ティム・バートンの映画はビジュアル重視でストーリー運び、キャラクター設定においての整合性には欠けていることが多い気がする。
しょせん、ちょっとエキセントリックな面白いおとぎ話で終わっているような。
そういう意味で、私は彼の主要作品を大体見てはいるが、あまり彼のファンではない。

彼の場合、ディズニー出身でもあるところからヒューマンドラマの企画がくるが、それを微妙に外した内容に仕上げているところが、結果として擦り切れることなく映像作家としての長命を保っている点はあると思う。
そういう意味では幸せな映像作家だとは思う。