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映像、書物、音楽などについての感想

高森朝雄・ちばてつやの漫画「あしたのジョー」1〜12巻

漫画 書籍

あしたのジョー 全12巻セット (講談社漫画文庫)

あしたのジョー 全12巻セット (講談社漫画文庫)

先月、三浦しをんの「風が強く吹いている」を読んで、なぜか「あしたのジョー」を思い出した。

気になっていたところで「あしたのジョー」が図書館のカウンター奥にまとめて保管してあるのを見た。
何かの縁かと思い、借りて再読した。
文庫版で12巻。今の漫画を考えるとそれほど長い話ではない。

少年マガジン連載の後半ではリアルタイムに読んでいた。
金竜飛戦あたりからは、毎週読んでいたように記憶する。
多分まとめて読んだのは30年以上前になる。

よくいわれるように梶原一騎ちばてつやのいい部分が溶け合った傑作ということで間違いないと思う。
ちなみに私は両作家ともに大好きである。

今回読んだ感想は、昭和の漫画を堪能した、という感じだろうか。

ただ、時代を超える突出したものも多くあった。
再読して、思った以上に感動してしまった。

あまりに多くのことが語られている漫画なので、ここでは今回読んで気になった部分のとりとめのない感想メモを残す。

ちばてつやの描く’70年代の街並みがいい
その中でも白木葉子が登場するシーンは、ちばてつやの力が入っている気がする。
素朴で叙情的、だが意外に洗練されている。

ジョーの成長に合わせるかのように、マンガ的な絵が劇画的なタッチに変わっていく
劇画時代の風潮、ちばの作画技術の変化・向上もあったと思うが、この変化は作品の深みを出すことに大きな貢献をしていると思う。画風の変化は力石が試合後に死亡するジョー×力石戦が分岐点となっているように思えた。
ちなみに、ちばの次作「おれは鉄兵」は、この作品とは逆に主人公・鉄兵の描写が劇画調からマンガ調にと変化していった。

◆“行間のある表現”というのだろうか、読むものの想像を誘う部分がある
これが今回再確認できた最大のポイント。ちばの描く“行間”が、この漫画を読んだ人にそれぞれの思いを抱かせ、色々なことを語らせたのではないか、などと思った。この“行間”ある表現が時代を超える名作にしているのかもしれない。それについての説明はあまりに長くなりそうなので、ここでは省く。

ジョーはヒーローではない
そもそもヒーローというものは正しきことを行い、他人のために身を捨てることができる人である。
言うまでもなくジョーは、そんな人間ではない。
ジョーには一般的な社会的良識はない、といっていいだろう。ジョージョーなりの行動律に基づいて動いている。
ジョーは戦っているときに自身の中で燃えるものを見つけ、ただひたすらにそれを求めていく。そして戦った相手を壊し、自らも壊していく。
これは呪われた存在ともいえるが、このひたむきさ、ジョーのなかで研ぎ覚まされていく完全燃焼することへの意識、感覚が読む者を惹きつけたのではないか、などと思った。
自分の信じるもの、価値感のためには命を捨ててもよしとする。
このことは時代を超えて人の心を打つものだと思う。

◆“あしたの”と謳いながら、ジョーの意識に明日はないということ
有名な「真っ白な灰になる」というせりふはこんな具合に語られていた。
これは食料品店の娘・紀子に、ボクシングをやめることを勧められて語ったセリフだ。

「おれ 負い目や義理だけで 拳闘やってるわけじゃないぜ」
「拳闘がすきだからやってきたんだ」
「紀ちゃんのいう青春を謳歌するっていうのとちょっとちがうかもしれないが、
燃えているような充実感は いままで なんどもあじわってきたよ……
血だらけのリング上でな」
「そこいらのれんじゅうみたいに ブスブスとくすぶりながら 不完全燃焼しているんじゃない」
「ほんのいっしゅんにせよ まぶしいほどに まっかに 燃えあがるんだ」
「そして あとには まっ白な 灰だけが残る……」
「燃えかすなんか のこりゃしない……」
「まっ白な灰だけだ」
「そんな充実感は 拳闘をやるまえには なかったよ」
「わかるかい紀ちゃん 負い目や義理だけで拳闘をやってるわけじゃない」
「拳闘がすきなんだ
死にものぐるいで かみあいっこする充実感が わりと おれ すきなんだ」

このシーンはラストのホセ・メンドーサ戦で回想場面としても登場する。
このシーン自体を描いていたときにラストに使うとは考えておらず、編集者に教えられて、再登場することになったそうだ。
創作の不思議だ。何気なく描いていたことが、結果として不思議な符合となる。
過去に意識せずに描いたことが、ある地点で大きなテーマを浮かび上がらせる奇跡。
そんな名作ならではのエピソードだと思う。
この漫画には、力石の死に顔の微笑み、カルロスの笑顔、ジョーのラストの微笑みなど、そういう符合が多い。

ちなみに、ジョーの拳闘をやる理由を説明するときの“前提”がまたすごい。
前提となることばが「チャンピオンになりたい、とか金がほしい、名声がほしい」でない。

そして言うのがこうだ。

「負い目や義理だけで 拳闘やってるわけじゃないぜ」

である。

無頼で暴れ者で飢えていながら、卑しくない。
不思議なキャラクターである。そして魅力的だ。

ジョーの涙
この漫画でジョーが涙を流したのはたった2回だったと思う(多分)。
1つは丹下ジムが開き、ドヤ街の皆が自分を祝福、深い愛情を注いでくれたと気付いたとき。祝宴の後、ボロ布団の中で、生まれて初めて人から愛されたことをかみしめ、ジョーは涙を流す。
このあたりの表現は梶原・ちばならではのもので、今どきの漫画ではあり得ないだろう。この昭和的な叙情性は、この作品の前半部分での魅力でもある。
もう1つは、パンチドランカーで廃人となったカーロス・リベラと再会したときだ。
ホームレスとしてリングサイドに現れたカーロスを控え室に招き、カーロスのヘロヘロパンチを受けたジョーは涙を流す。

「ああ…… あの閃光のようだったジャブがこんなになっちまって……」
「こんなに見るかげもないほどボロボロに……」
さらにヨレヨレのパンチを繰り出すカルロス。
ジョーはポロポロと泣きながらカーロスを抱きしめる。
「う……うううっ……」
「パンチドランカーで こうまで廃人になっちまっても……勝負の妄執だけは まだまだ燃えくすぶっているんだ…!!」
そこに白木葉子が現れる。
ジョーは怒り、葉子を追い出そうとする。
「出ていけえ〜っ」
「ここは女のくる場所じゃなえ 出ていけえ〜っ」
葉子に殴りかからんばかりの勢いで、
「カーロスを見るんじゃねえ! 出ていかねえとぶっ殺すぞ〜っ」

力石の死に顔を見たジョーは涙を流していない。ショックを受けたというのもあるが、すべてを出しつくした力石のおだやかな微笑をたたえた顔を見たからだ。
ジョーがカルロスと接して涙を流したのは“パンチドランカーで こうまで廃人になっちまっても……勝負の妄執だけは まだまだ燃えくすぶっている”からなのだ。
この涙は、言葉はほとんどかわすことはなかったが、拳を交えたことで深く交流したカーロスとの深い友情、彼への敬意を表し、そして“真っしろな灰になる”というジョーのテーマにつながるエピソードだ。

◆最後の試合後、ジョーはグラブを白木葉子に渡す
上記のエピソードでは、葉子に対していつものように拒絶的な態度を取ったジョーだが、最後の試合の前後でついにお互いのことを理解し合うことになる。
試合直前の控え室、ジョーの元を訪れた葉子は、試合をしてホセのパンチを受ければカーロスのように廃人となってしまうことを告げ、試合をしないよう頼む。
ジョーはこう返す。
「あんたから ごていねいな忠告を聞かせてもらうまでもなく 以前から うすうす知っちゃいたさ 自分のからだだよ」
「だからって どうってこともないさ もう ここまできちゃってはな」
「すでに半分ポンコツで 勝ちめがないとしたって そういうことじゃないのさ」
と「ここは女のくる場所じゃねえ」と拒絶する。
葉子は涙を流していかないでと懇願する。
しかし、相手にしないジョーに対して葉子はドアの前に立ち
「すきなの 矢吹くん あなたが」
「すきだったのよ 最近まで気がつかなかったけど」
「おねがい…… わたしのために わたしのためにリングにあがらないで!!」
と告白する。
ジョーは葉子の肩に両手を乗せ
「ありがとう」と言ってドアから出て行く。
試合はさまざまな攻防があるが、結局ジョーはホセから一方的に打ち込まれる展開に。
見るのが辛くなった葉子は会場から出て、車で走り去る。だが、打ち込まれるようすをラジオで聴き、会場に戻ることを決意する。
「ああ わたしは…… わたしは また いつかのように逃げようとしている」(少年院での力石戦のこと)
「わたしが首謀者なのに……矢吹くんゆるして」
「逃げないわ もう…… この試合 これからさき どんな結果で待ち受けていようと」
「もう わたしはけっして逃げたりはしない」
休憩中のリングサイドに現れる葉子。
リング上では段平が、もしよろけるようなことがあればタオルを投げ込むとジョーに語る。ジョーはそのタオルを取ってリング下に投げ捨てる。
段平からタオルを取ってくださいと頼まれ、拾い上げる葉子。
段平の手に近づく、タオルを持った葉子の手。
だが、葉子の手からタオルは落ちる。
団平「あ……」
ジョーに駆け寄る葉子。
葉子「も……もうすこしじゃないの矢吹くん……」
葉子「がんばるのよ」
ボロボロの顔で葉子を見るジョー
葉子「あなたが あの世界一強い男と どこまで立派に戦いぬくか このリングの下から 最後まで しっかりと 見とどけさせてもらうわ!」
葉子をみつめるジョー
葉子「さあ いいわね 力いっぱい打つのよ! 懇親の力をふりしぼって 悔いのないようにしっかり 打つのよ!」
団平「おじょうさん あんた そんなむちゃなことを……!」
葉子「がんばるのよ 見てるわ 矢吹くん」
葉子をみつめるジョー

試合終了後、リングサイドにジョーが座り、判定を待つシーン。
団平に「グラブをはずしてくれや」とジョー
ジョー「葉子はいるかい」
葉子「こ……ここにいるわ 矢吹くん…!」
差し出されるグラブ。
ジョー「このグローブ もらってくれ」
差し出されたグラブを見つめる葉子。
ジョー「あんたに もらってほしいんだ」
ジョーはグラブを葉子に渡す。
これがこの作品でのジョーの最後の言葉だ。

今まで読んでいたときは白木葉子の存在についてはあまり意識していなかった。
今回再読して、この物語での葉子の存在を再認識した。
初めの出会いから、ずっと反目しながらもつながりを持っていたジョーと葉子は最期の最後にお互いを理解し認めるのである。
恥ずかしながら、今回再読して作品の大きなテーマのひとつともいえるそのことが初めて分かった。
再読してよかった。

書いていてきりがないのでこの辺にする。
今回強く思ったのは、ちばてつやの“行間のある描写”。
梶原一騎発案のトリッキーな技は、今となっては陳腐なところもある。
昭和のマンガ的な部分も前半部には多分にある。
だが、それを超える魅力は今もある名作だと思う。
文庫サイズで12巻。さほど場所もとらないので買ってもいいかな、と思った。

作品にのめり込んで読んだので「風が強く吹いている」との比較はどうでもよくなってしまった。