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高木仁三郎「いま自然をどうみるか 増補新版」

書籍 高木仁三郎

いま自然をどうみるか(新装版)

いま自然をどうみるか(新装版)

昨年の秋に「原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛」という本を読み、高木仁三郎という著者を知った。
2000年に出版されたものの復刻版だったが、福島原発事故の背景にある構造的な原因、そして“原発”“核”の根本的な問題点が、11年前に書かれたこの本で、すでに筋道立てて誰にでもわかるように書かれていた。

著者は初期の原子力開発にかかわった後、脱原発市民運動をしてきた科学者ということだったが、文章は扇情的になることなく、原発に対する自分のスタンスをはっきりと示した上で、原子力の問題点をわかりやすく俯瞰した内容となっており、読んで感心した。

その後、「市民科学者として生きる」

市民科学者として生きる (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)

↓感想メモ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20111014/1318588212


宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

↓感想メモ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20120107/1325955901

と読んだが、どちらもわかりやすく奥深く、読んでいて心動かされる内容だった。非常に感銘を受けた。

間を置きながら、この人の著作は読み進めていこうと思っている。

今回読んだのは「いま自然をどうみるか 増補新版」。
1985年に出版されたものを、高木氏が手を加え1998年に増補として出版。
そして、それが死後の2011年に“新版”として白水社から出版されたものだ。

前口上である序章の最後で高木氏はこう書いている。
「先学に教えられて、最近は著作の作品性ということを少し気にしている。〈自然観〉というややかた苦しいテーマの作品ではあるが、自然を語るにふさわしい作品性ということを私なりに心がけて書いた。もちろん、この点も判断は読者に待つよりほかにない。」(P27)

謙虚な言葉だが、作者の力が注がれた“作品”であることをうかがわせる。

さらに、初版から10年以上を経てから自身が増補として発表したことからしても、高木氏はこの書物を自身の代表的著作のひとつとして位置づけていたのではとも思われる。

というか、読み終えた私はそんな風に思っている。

私は本を読むときには気になる部分、興味深い部分に付箋(プラスチック)を付けていくのだが、読むページ読むページに付箋を貼りたくなる部分が続出してしまった。
平易な文章でいながら、その言葉の的確さ、その射程距離は深い。
わずか300ページ弱の軽い本なのだが、驚くほど内容が充実している。
読書の指針として各章の頭には〔本章の要約〕という短い文もつけているという念の入りようである。
読みながら、大学の教養課程で科学史のテキストとして使うに最適な本なのではないだろうかなどと思った。


目次は以下の通り。

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序章
ある早朝に 科学的な自然像 二つの自然 核テクノロジーの意味するもの 第二の自然 孤独な征服者 自然観の見直し エコロジー エコロジズムは解放の思想たりうるか 本書の構成 
第1部 人は自然をどうみてきたか
第1章 ゼウスとプロメテウス
1プロメテウス神話
プロタゴラス』のプロメテウス 遅れてやってきた人間 プロメテウス讃歌 縛られたプロメテウス ゼウスの正義

2ヘシオドスの世界
ヘシオドスのプロメテウス 『仕事と日』 ヘシオドスの正義と自然 正義の都市 自然と人間

第2章 ロゴスとなった自然
1宇宙大の動物
万物は水なり 宇宙大の生物 ロゴスとなった自然

アリストテレスの宇宙
アリストテレスの宇宙構造 自然論としてのアリストテレス宇宙 「神」の投入 宇宙の中の人間 中世キリスト教社会とアリストテレス

第3章 機械としての自然
1解放の時代
革命と保守化 コペルニクス 宇宙観の解放 ジョルダーノ・ブルーノ 自然に内在する原理

2近代的自然観へ
機械としての自然 精神と肉体 数学の導入

ニュートンのもたらしたもの
りんごと月 最初に法則があった 「私は仮説をつくらない」 自然は単純を喜ぶ キリスト教と科学 職業としての科学

第4章 宇宙は解けたか
1数学的宇宙
数学的自然 上からの数学 相対性という絶対主義 宇宙原理 完全宇宙原理 ビッグバン宇宙論 力の統一

2宇宙と自然
宇宙と神 ビッグバン理論は「我々の時代を説明できる」か? ニューサイエンス ニューサイエンス批判 自然観の転換

第2部 いま自然をどうみるか
第5章エコロジー的地球像
1宇宙船「地球号」モデル
かけがえのない地球 人間自身についての認識 宇宙船「地球号」の限界

2開放定常系のモデル
生きている系 天動説の復活?

3ガイアのモデル
生きものとしての地球 ひな菊の世界モデル 共生の意味

4生物と自然
生物の文化 プロメテウスの末裔 生命の文化

第6章 民衆の自然
1先住の世界から
土着の自然 非核太平洋 ロンとの会話 バッファローのこと 伝承の説得力

2近代を超える精神
石牟礼道子の世界 近代をつきぬける生命観 人と自然とのかけあい 遊びとおかしみ の遊びの歌 たたかい

第7章 自然と宇宙
1自由の国・必然の国
ネイチャー・ショック 子供じみた態度? 自由の国 有用性としての労働 自然との戦い

2労働と時間
労働の意味 現代の労働 労働時間について 生活と自然 生きた社会 人間の主体性としての労働

終章 自然に生きる
内なる自然性 金芝河のエピソード 偏見からの解放 狩する人 フェミニズムと自然観 反差別と自然性 自然主義 ナチュラルな社会 運動について 結び

増補 そしていま、自然をどうみるか
1激動の時代のなかで
12年がたつ チェルノブイリ原発事故 情報の公開 地球環境問題 

2根源的転換に向けて
「地球環境」について 転換 共生 未来を取り戻す 転換期における科学

引用文献・参考文献

あとがき

増補新版へのあとがき

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この本は、基本的に第1部「人は自然をどうみてきたか」、第2部「いま自然をどうみるか」の2部で構成されている。

第1部、第2部は以下のような感じだろうか。

第1部「人は自然をどうみてきたか」
人間の自然観がどのような変化を遂げてきたかを、ギリシャ古典時代から近代ヨーロッパを経て現代にいたるまで俯瞰する。
ここでは“征服すべき・利用すべき自然観”の隆盛と、それを背景にした科学文明の発達が語られる。

第2部「いま自然をどうみるか」
第1部の自然観により科学文明は発達したが、その自然観を基盤とした技術文明は環境問題、核の問題などを引き起こした。
そこでそれらの問題点を乗り越えるため、今、どう自然をどうみることが、その問題点を乗り越えることに結びつくかについて考察する。

という感じだろうか。
第1部の内容が素晴らしい。
ギリシャにおけるプロメテウス神話を軸として、ギリシャの賢人プラトン、ヘシオドス、タレス、アリストテレスの自然観からルネサンス期のジョルダーノ・ブルーノ、コペルニクスデカルト、そしてニュートンに至り“近代科学的自然観”が決定づけられたこと。さらに現代物理学では数学的秩序により宇宙を解明しようとする流れに至ったこと。
これだけのことがしっかりとした視座の下、わずか150ページ程度で的確にめくるめく調子でつづられているのだ
自分の言葉としてこれだけの文章を書ける人はちょっといないのではないだろうか。
巻末の参考文献のリストを見ると、科学者である著者が専門外である人文、社会科学関係の書籍を大量に読んでいたことがわかる。しかも書名から推測するにアカデミックな環境での読書ではないと思われる。自発的に入門書的な新書から読み始め、興味をひいたもの・自分の知的栄養となるものを専門書レベルで読み進めていったように見える。
著者の文章のもつ力のバックボーンにはそういった自発的な読書があるのでは、などと思った。

第2部も非常に読み応えがあり学ぶことも多かった。
“ニューサイエンス批判”は第1部で行っていたが、それに続き“宇宙船地球号”モデルの問題点をわかりやすく検証、開放定常系(定常開放系)のモデル、そして“ガイアのモデル”を検証、おおむねそちらのモデルを支持することを表明している。
第2部は著者の具体的な体験なども紹介しつつ、これからの“自然観”がどうあるのが好ましいかを考えている部分でもあり、第1部のようなゆるぎない視座のもとには書かれておらず、若干、情緒に流れている面もあるが、私は好感を抱いて読んだ。
高木氏自身が著書「市民科学者として生きる」で「私は理想主義者である」(P238)と書いているように、第2部には“甘い”部分もある。ただ、それは著者自身が承知していることだ。

序章でこう書いている。
“テーマを大きくとりながらも、ささやかな議論しかなしえないのは著者の非力のゆえであるが、それでも実践にひきつけた科学批判ということにこだわってきた人間にとっては、〈自然論〉は冒険であった。さまざまな弱みをさらすことにはなったが、さらにこの先へと何かしら読者の想像力をかき立てるものがあったとすれば、著者にとってはわが意を得たことになる。本書が多少ともそのようなものになりえたか、判断は読者の側にあるが、私自身についても、本書によってまた新しい歩みがはじまっている。”(P27)

あいかわらず、自身の立ち居地をはっきりさせて、どのポイントについてどう書くかということをきっちりさせたうえで論を展開している。
私が高木仁三郎という人の文章が好きなのは、そのような文を書く上でのフェアな姿勢だ。
詭弁を弄せず、正論できっちりと書く。しかもわかりやすい表現で。
そして、その根拠を著者は膨大な読書により培っている。



この本を読んで、高木仁三郎という人の文章にさらに魅了されてしまった。
なかなかいない人だと思う。

当初、気になった部分などについて感想メモを書こうと思ったのだが、きりがないのでこの辺にしておくがプロメテウスとヘシオドスのことは簡単なメモとして残しておく。

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◆たまたまリドリー・スコット監督の映画「プロメテウス」を見た後だったので、ここで紹介されているさまざまな“プロメテウス像”はなかなか興味深いものでもあった。

高木氏はプロメテウスが神から盗んで人間に与えた“火”を“原子力”になぞられて語っていることが多い。

映画の場合だと、この“プロメテウスの火”は“遺伝子操作”という“技術”といえると思えた。
映画に出てきたエンジニアという言葉も、ここで語られている“機械としての自然”観と重なることを思わせて興味深かった。
映画の続編がどうなるかをちょっと想像してしまった。

◆ヘシオドスはギリシャの農民詩人、哲学者として知られる人物。
読んでいて、著者が敬愛していた宮沢賢治のことを連想した。
こういったところからも、高木仁三郎という人の思想の一貫性を強く感じた。