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黒川創の小説「若冲の目」、漫然と思い出したテオ・アンゲロプロスの映画「ユリシーズの瞳」

若冲の目

若冲の目

黒川創を読むのは初めてである。
彼にとって初の長編とのこと。
江戸時代の画家・伊藤若冲をモチーフにした中篇「鶏の目」「猫の目」2作で構成されている内容だった。

非常に読みづらい本だった。
登場人物の状況をわかりやすく提示して、物語がどのように進んでいくかを予想させるような小説ではない。
シーンの切り替えもあいまいなところもあり、回想と現在の区切りもはっきり示すことはないので漫然と読んでいると何だかわからなくなってしまう。
現実と回想の区切りがあいまいで、長回しが得意なギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの作品を思い出した。
それなりに集中して読まないと置いてけぼりを食ってしまう。
実際、私は置いてかれてしまった。
まして私は若冲の絵のこともよく知らないので。

ただ、興味深いところ、色々考えさせられるものはあった。
若冲の目」とあるように、この作品は“視る”ということについて語られている作品でもある。
人が“視る”世界。
世界がどのように視えるか、どのように世界を視ているのか。
そんなことが小説を通して色々と表現されている。

先ほどあげたアンゲロプロス監督の映画に「ユリシーズの瞳」(1995年)(原題的には多分“ユリシーズオデュッセウス〉のまなざし”になると思われる。英題はその通りの「Ulysses' Gaze」となっている)という作品があるのだが、この小説を読み、表現のスタイルとは別に、この作品のことを漫然と思い出した。

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この映画の主人公はギリシャからアメリカに渡った映画監督のA(ハーベイ・カイテル)。
Aは、バルカン半島最古の映像作家マナキス兄弟が残した、20世紀初期に作られたギリシャで初めての映像フィルムを探すためにギリシャに帰国する。
彼は未現像といわれるそのフィルムを求め、ギリシャからアルバニアルーマニアサラエヴォと動乱のバルカン半島を旅していく、という話だ。

この映画で描かれているテーマは色々とあるのだが、大きな軸となっているのは“視る”ということについてだったと思う。
かなり昔に見た作品なので、もはやうろ覚えだが、カメラを通して“視て”、それをフィルムに焼付け、それを他者が視れるものとしたというメディアである映画の意義について語っている面が興味深かった。
ギリシャで初めて生まれた共有できる“まなざし”について。
そして、それと同時に物語としては、もうひとつの“まなざし”がある。その映像を求めてバルカン半島を北上する現代に生きる映画監督Aの“まなざし”のことである。
そして神話上の旅をするヒーローの名前をタイトルに冠し、Aの旅を奥深いものとしている。

映画はこの2つのまなざしの交差を描いた作品だったと思う。
アンゲロプロスの映画は、映画好きではない私の映画許容力を超えるところがあり、正直見ていてしんどい作品が多いのだが、この映画には心を深く動かされた。

で、小説「若冲の目」に戻る。
読んでいて非常に興味深かったのはスロヴェニア出身の盲目の女性カメラマンについての記述だった。
参考文献にもあるように、そのモデルとなっているのは実在の写真家ユジェン・バフチャルのことだろう。彼女はこの小説に書かれているように、子供のころに怪我で片目の視力を失い、その後、もう一つの視力も地雷の爆発で失ったそうだ。
盲目のカメラマンが撮る写真。
この部分について小説ではこんな風に書かれてある。

自動露出オートフォーカスになったカメラなら、写真家の目が見えなくても、鮮明な写真は撮れる。カメラに視力があると言うべきなのか。違う。そのカメラで写した画像は、誰が見た光景でもない。誰も見なかった光景、しかし確かにそこにあったはずの光景を、覗くという行為に、そのとき写真を見る第三者は引き入れられる。見るものは、写真家に代わって、彼の「目」になる。けれど、写真家は、そんな第三者の行為が自分に所属することを望んでさえいない。たぶん、こう言うだろう。それはあなたが見るべきなんだよ。フィルムが、盲目の撮影者の網膜の代役を果たしたとしても、その写真家は、独力では、自分の思うものを撮ることはできない。他者の声。導きの声が必要になる。たとえば、モデルになる人の声に誘われて、(中略)あるいは、背後から写真家を支える導きの声」

「盲目の写真家」と「若冲の目」。
このあたりもっとフィーチャーしてくれれば、“視る”ということについてより興味深く、飽きることもなく読める作品になったのでは、などと勝手に思ったりした。
“物語派”の私としては、もう少し構成的に、引きのあるものにしてほしかった。構成として錯綜している点があることは否めない気もする。

表現力はあり、惹かれる部分も多々あるのでこの作家も少しずつ読み進めていきたい。

とっちらかった感想メモだが、以上。