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伊坂幸太郎「モダンタイムス」

小説 書籍

モダンタイムス (Morning NOVELS)

モダンタイムス (Morning NOVELS)

先月、たまたま伊坂幸太郎の中編集「魔王」を読んだ。妙に中途半端なところで終わっており、読後、もやもやした気分になった。

「魔王」を読んだ感想メモ
魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

文庫版のあとがきを読むと、続編的な作品「モダンタイムス」を書いています、と著者の言葉があった。

ということで、この小説「モダンタイムス」を読んでみた。
作者としては最長の1200枚の作品だそうだ。
漫画誌の「週刊モーニング」に2007年〜2008年連載されていたとのこと。

私が今回読んだのは連載時に載っていた花沢健吾の挿絵をすべて載せた“特別版”。
絵がちょっと邪魔臭い気もしたが、図書館にちょうどあったので、それで読んでみた。

モダンタイムス 特別版 (Morning NOVELS)

モダンタイムス 特別版 (Morning NOVELS)

漫画誌に連載ということで、著者は漫画のようにすらすらと読めるものを意識したと思われる。今年読んだ小説のなかで、最も頭に負荷をかけずに楽に読める作品のひとつだった。長編を読むエネルギーはまったく使うことはなかった。

詳細な情景、心理描写は省かれ、テンポのよい会話と簡潔なシーン描写で物語はサクサクと進む。著者は1回連載分を書くごとに、その冒頭と終わりを意識して書いたとのことだ。確かに連載1回分のシークエンスで序・破・急があるので、ダレ場がない。
あとがきにはこう書かれてある。

漫画雑誌での週刊連載でしたので、いつもとは違う書き方になりました。大きな筋書きや展開は決まっているものの、細かいアイディアについては、毎回、担当編集者と打ち合わせをし、次号の内容をそのつど決めて書き進めるやり方を取り、さらには、毎週、冒頭と終わりを意識することにもなりました。そのため、こうして一つの本にまとまると、長いお話を56回に分けて連載したというよりは、全力疾走した短いお話を56個積み重ねたかのような、不思議な小説になったような気がします。

“短い話を全力疾走で56個積み重ねた”とあるように、読み終えてみると、物語全体の整合性、キャラクターの造形で腑に落ちない点がある。
しかも挿絵に描かれていることと文章表現が違っていることもあった。作文と作画が同時進行で情報に行き違いがあったためだろう。サングラスをしていると書いてありながら、絵ではサングラスをしていなかったり、個室と書いてしながら大部屋となっているなどなど。

そういった瑕疵はあるのだが、勢いをつけて書いたと思われる“ライブ感”ある文章が読んでいて心地よかった。

実はあまり気乗りせずに読み始めたのだが、結果としては今までに読んだ伊坂作品のなかでは一番気に入った。(2012年11月時点)

この作家はシナリオ作法上で言われる、“フォーシャドーイングペイオフ”を使うのがうまい。
一度出したセリフ、行動、事件を伏線として物語に埋め込み、後半の思わぬところで、それを再度提示、物語を集約して盛り上げたり、笑いを取ったりする手法である。
“前フリ(伏線)”と“思わぬオチ”とでもいえばいいのだろうか。

この作品でもそういうものがうまく散りばめられている。
「勇気はあるか?」という言葉から物語が始まり、何度もこの言葉を物語で挿入。そしてラストでは「勇気は彼女が」というオチ。
「魔王」での“腹話術師”の能力についてなどなど。
ゴールデンスランバー」でもこの手法は多く使われていた。

で、内容についての感想。

「モダンタイムス」は「魔王」の約50年後の世界が舞台。

「魔王」は超能力を持つ(持つことになった)兄と弟をそれぞれ描いた2篇の中編集だったが、その中編集に出ていた人間も登場する。単純な“続編”とは言えないのだが、世界、そして因果関係はつながっている。

どんな話かをログライン的に、表面上の出来事を三行ストーリーで書くとこんな感じだろうか。

システムエンジニアの青年が、
あるシステムの調査をはじめたことで、
国家の陰謀に巻き込まれる。


物語は超能力、国家、暴力、ネット、検索といったものをキーワードとして展開する。


そして、この物語をテーマ的に言えば
「巨大なシステムに異を唱える“個”の話」
ということになるのだろう。

だから、巨大なシステムとして国家のことに触れ、
個を抑圧する“暴力装置としての国家”ということから暴力に触れているのではとも思われる。


結局、タイトルの「モダンタイムス」はまさにチャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」から来ているのだ。
ウィキペディアによる「モダン・タイムス」の解説はこうなっている。

資本主義社会を生きている上で、人間の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。

この小説ではチャップリンのほかの作品「独裁者」「ライムライト」の内容に触れ、「ライムライト」からのセリフを登場人物が語るシーンもある。

「人生を楽しむには勇気と想像力とちょっぴりのお金があればいい」
「宇宙の力を考えろ。宇宙の力は地球を動かし、樹木を育てる」
「その力は君の中にもあるんだ」

「宇宙の力〜」が語られるシーンは感動的である。

作者はあとがきでこんな風に書いている。

この連載を続けるのと並行し、書き下ろし長編「ゴールデンスランバー」というお話も書いていました。だからなのかどうかは分かりませんが、この二つのお話には類似点がいくつもあります。(中略)この二つの作品は、生真面目な兄と奔放な弟とでも言うような、二卵性の双生児に似ています。「ゴールデンスランバー」にあったものが「モダンタイムス」になく、「ゴールデンスランバー」になかったものが「モダンタイムス」にはあると、そう感じてます。

この2つの兄弟といえる作品、私は粗いところはあるが、奔放な弟である(ですよね?)「モダンタイムス」の方が気に入った。突っ込みどころは満載で、物語の着地の仕方も実はヘロヘロだったりもするのだが。
なんというか、勢いのある文章、心意気に感じるものがあった。

しかし、参考文献として“闇の支配者の陰謀論”で知られるベンジャミン・フルフォード著作を2冊も上げているのには驚いた。
中国が地震発生装置を開発したというお話がここで語られていたが、これはベンジャミンさんが著作に書いている電磁波地震発生装置“ハープ”からヒントを得たのだろうか。


この流れでいけば、著者の目線はグローバル資本主義新自由主義批判的に方向に流れていくような気がするのだが、その後著者の長編作品がどういうテーマのものになっていったのかは私はまだ知らない。この後、長編を書いているかどうかも知らない。

この作品、“奔放な弟”とのことなので、設定・物語の整合性について突っ込みをするのは野暮なのかもしれない。
だが21世紀の半ばになればテクノロジー的には(特にIT関連では)相当な進歩・変化があると思えるのだが、ここで描かれているのはほぼ、ゼロ年代とほぼ同じものとなっている。
もう少し、世界設定を練りこんで調査してから書けば、未来世界の描写もより深みのある興味深い作品になったのではないだろうか。

あとひっかかるのは主人公の妻の存在だ。彼女の暴力に対する考察、行動の謎については釈然としないものが残る。

一体彼女は何者だったのか? 巨大組織の秘密諜報部員という感じだが……
そしてそんな正体不明の女にあのような信頼関係を夫は築くことはできるのか? 私だったら彼女に対して恐怖感を抱くだけだ。

大目に見るにしてもここだけはひっかかる。

でも、まあいいか、という読後感ではあった。


ということで、突っ込みどころは満載なのだが、総体として私はこの作品は気に入った。


とりあえず書いたが、うまくまとまらなかった。
後日更新したいと思う。



追記
著者は松岡正剛が国家と暴力についてわかりやすく書いた「誰も知らない世界と日本の間違い 自由と国家と資本主義」は読んでいないのだろうか。
ベンジャミンさんの本より、こっちを読んだほうがいいと思うのだが。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

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