読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

大崎善生の小説「ロックンロール」

小説 書籍

ロックンロール (角川文庫)

ロックンロール (角川文庫)

“痛い”という言葉は、ここ20年くらいで、本来の“痛み”とは違った意味でも使われるようになってきた。
ニコニコ大百科では、その用法についてこんな風に説明されている。

1.痛みがある状態(痛覚を刺激されるもの)→国語辞典参照
2.非常識な様。本人は格好いいと思っているにもかかわらず、客観的にみると非常識であり、そのギャップが痛々しい様。ダウンタウン松本人志が積極的にこの用法を用いたことから、世間一般に認知され広まったものと言われている。アニメのキャラクターを目立つところに表示している場合に用いられることが多い。
3.さらにそこから派生して、「痛車(キャラクターの絵柄をプリントした車)」など、キャラクターを表示する対象物の前に「痛〜」をつける表現が一般化しつつある。
この用法では、キャラクターの絵柄をプリントという行為をどの程度受け入れているかによって、否定的な意味でも、中立的な意味でも、肯定的な意味でも用いられる。


微妙な意味合いのある言葉なので、私は本来の意味とは別の使い方で“痛い”を使うことはない。使うことに少し抵抗がある。
だが、この小説を読んで、2の意味での“痛い”という言葉を使いたくなった。
この小説はものすごく“痛い”!

こんな話である。

小説を1本書いて気分はすっかり“作家”の気分になり、会社も辞めた中年男。そんな男が、執筆のためと称してパリにわざわざ行って、アパルトマンを借り、そこに滞在することに。アパルトマンにはパティオ(中庭)まであったりする。男は特にフランスに対して深い思い入れがあるわけでもないようだ。フランス語もほとんどできない。
“右ポケットにロックンロールの小石を忍ばせている”と自らを語る、そんな無頼な作家気取りの男の元を、日本から一度だけ面識のある若い女性編集者がいきなり訪れてくる。男は“作家”として滔々と人生や芸術を語り、若い女性と微妙な肉体関係をもち、慕われるようになる。

この作家のことはまったく知らなかった。
何かの紹介文で、ロックがモチーフになっている小説ということを知り興味を抱いたのだ。
紹介文にあった“ポケットにロックンロールの小石を忍ばせる”という表現はちょっと面白いかなと思った。
だが、“小説執筆のためにパリに滞在”という点には辻仁成あたりを連想させるものがあり、ナルシスティックなアーチスト気取りの話になるのではという危惧もあった。

で、読んだ感想は、読んでいていたたまれなくなるような恥ずかしくなる“痛い”作品だった。

特に入り組んだ話でもなく、改行が多いので読むのはまったく楽チンである。ただ、読み進めるのがとても辛かった。

読んでいる心が痛くなるほど、主人公に自分の姿を重ねる作者のナルシスティックな妄想が炸裂しているように私には感じられた。自分が中年男であるだけにその痛さは格別だった。
妄想は創作において必要不可欠なものだが、自己満足的な妄想に付きあわされる読者はたまらない。

文章に対して作者はそれなりにこだわりがあるようで、それっぽくなっているのがまた始末が悪い。

まったくファッションに頓着していなかった高校の野球部員、または典型的なオタクが、卒業後がんばっておしゃれをした、そんなものを感じた。なんか自然でなく、格好悪いのだ。
いくらポケットの小石を磨いても、原石に似合わない輝きを持たせることはできないと思う。

タイトルが「ロックンロール」ということもあり、この小説にはミュージシャン、グループの名前も登場、主人公がロックについて語る部分もある。
それがまた、浅い。
作家の男が入れ込んだのは初めはビートルズ、レッド・ツェッペリン、その後はポリス。
あまりに一般的すぎる。
そこから派生、深化していった音楽体験についてはまったく語られていない。
タイトルはツェッペリンの曲「ロックンロール」から取っていた。
主人公が書いている小説には、この曲を口笛で吹くという家出少年が登場するという設定なのだ。

だが、あの曲を口笛で吹くというのもちょっと変ではないか。イントロのにぎやかでハイテンションなドラム、ギターのリフ、伴奏、プラントの叫びを口笛で吹くのだろうか。しかも、歌部分は同じメロディーのくり返しだし。
ツェッペリンの曲としては親しみやすい曲ではあるが……。
曲調からすると、少年は気持ちを盛り上げ、異様な高揚感の元で歩き続けているということなのかもしれないが、曲を知らない人にはこれは伝わらないだろう。
いずれにしても、この曲を知っている人なら口笛で吹くということには違和感を抱くと思う。
↓このアルバムに収録

レッド・ツェッペリンIV

レッド・ツェッペリンIV

また、「天国への階段」での歌詞“To be a rock and not to roll.”について作家の主人公が色々思うことを語る部分もある。
だが、これは渋谷陽一が昔、さんざん書いていたことである。今さら、これを取り上げてどうしようというのか、という感じである。作者は、もしかしたら昔のロッキング・オンを読んでいたのかもしれない。
この浅さからすると、主人公がパリに滞在というのも、晩年のジム・モリソンがパリに住んで、そこで死んだということあたりから連想したのかもしれない。
ジェフ・ベックについては、突っ込んでロックを聴いた人でなければ彼の曲など聴かない、という文章がある。それはないでしょ。3大ギタリストですよ!
ただ、ベックの’75年のソロ・アルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を、昔の邦題『ギター殺人者の凱歌』と表記しているのは、いかにもということで興味深かった。でも「哀しみの恋人たち」が作中で何回も流れるという設定もなんだかなー、という感じで、ほかに曲が思いつかないのだろうか、と思ったりもした。
↓かつての邦題は『ギター殺人者の凱歌』。「哀しみの恋人たち」も収録。
ブロウ・バイ・ブロウ

ブロウ・バイ・ブロウ

私だったら「ロックンロール」という曲名からベルベット・アンダーグラウンドの「Rock And Roll」を連想する。そっちのほうが、家出少年の話に合っていると思うのだが。
「天国への階段」の歌詞は“To be a rock and not to roll.”だし。

↓「ロック・アンド・ロール」は名盤『ローデッド』に収録。

Loaded

Loaded

もしかしたら作者はベルベット、ルー・リードすら聴いていない人なのかもしれない。

そんなことも思った。
ロックについて語るなら、もうすこし深い見識を示してほしい。
中年男の独りよがりの妄想とロックに対する見識の浅さが感じられ、読み進めるのがつらかったが、なんとか読了することができた小説だった。
この作家、文章に対するこだわりはあるようだ。
それなら別のネタで書いたほうがいいと思う。

こう思ったのは私がロックをずっと聴いてきた中年男だからなのだろうか。

若い読者は、この小説を読んでこの世界に魅了されるのだろうか?