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映像、書物、音楽などについての感想

スティーブン・ダルドリー監督の映画「めぐりあう時間たち」

映画

めぐりあう時間たち [DVD]

めぐりあう時間たち [DVD]

私はヴァージニア・ウルフの小説は読んだことがない。
「ダロウェイ夫人」についてはバネッサ・レッドグレーブが主演した映画とそのあらすじを知っているくらいである。
このことを前置きにして感想メモを残す。

1回見ただけでは、内容を咀嚼しきれなかったのだが、これは傑作なのではないだろうかと見ながら思った。
ここ10数年の傾向として、映画におけるストーリーの語り口においては、複数の物語が複雑に交差する入り組んだ構成の作品が目立ってきているように思える。
いわゆる群像劇だけで説明できない、編集の妙によるところのストーリーのポリフォニー(多声音楽)的な作品のことである。「パルプフィクション」あたりを嚆矢として「マグノリア」、最近では「クラウド アトラス」など。「めぐりあう時間たち」も、その映画の流れにある作品のように思える。

群像劇というとロバート・アルトマンを思い出すが、ここでいう流れはアルトマンの群像劇とは違った流れにあるものだ。緻密な編集で3つの時間帯を自由に行き交う「めぐりあう時間たち」とアルトマンのある種おおらかな群像劇「ショート・カッツ」との間には大きな隔たりがある。

そういった(比較的新しい)潮流の中で、この映画は相当な完成度でポリフォニーの映画を作り上げたといえるのではないだろうか。
そんなことを思った。

で、内容だが3つの時代に生きる3人の女性を並行して描きながらも、複雑に絡み合わせて物語をつむぐものとなっている。

◆名作を書きながら自殺の衝動と戦っている20世紀前半のイギリスの作家ヴァージニア・ウルフ
◆その名作を読みながら家庭を捨てようとしている’50年代アメリカの主婦ローラ・ブラウン
◆現代のニューヨークでパーティーを開こうとしているレズビアンの編集者クラリッサ・ヴォーン

それぞれに共通するものは“生き難い”ということだろう。
ゆえに、この映画は常に“死”を感じさせるものとなっている。

この映画の秀逸さはアーチストの生き難さを描くだけでなく、一見平凡な主婦のもつ生き難さも描いていることにあるような気もする。

借りたDVDに収録されていたスティーブン・ダルドリー監督と原作者マイケル・カニンガムのオーディオコメンタリーでダルドリー監督はこんなことを言っていた。

ローラ・ブラウンをアーティストとしてとらえる。
完璧なケーキを作る、などなどかなわぬ完璧を求めるのはウルフと同じで、それが2人の原動力だった。
そう考えると彼女の描写がうまくいくようになった。

内気で生き難い女性をアメリカの王道の暮らしに引き込んだ。
これが彼女にとって最大の不幸だった。
それが悲劇の始まりだった。

ローラは人生のミスキャスト、彼女には場違いだったんだ。

実はこのテーマ、この後で見たサム・メンデス監督による「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」と同じものだった。
しかもなぜか監督は、2人ともイギリス人。

最後に付け加えるとこの映画の音楽担当はフィリップ・グラス。反復でつづられていくミニマル・ミュージックが映像の効果を増大させていた。
クラウド アトラス」もフィリップ・グラスが音楽を担当していたら、と思ったゆえんである。

色々と書きたいのだが、時間と労力をかけることができないのでこのくらいにしておく。

この映画でのニコール・キッドマンはすごくよかった!