見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」

物語というものの構造に興味を持ち、物語創作における技術、過程を知りたいと素人なりに本を読み始めて約10年。
物語の構造を分析するには小説よりはむしろ、映像における“ドラマ”が適していることを知り、シナリオの習作などを始めてからも7年以上になる。
物語論、脚本術の本は何十冊と読み、気になった本についてはメモを取り何度も繰り返して読んできた。


そこで知った考え方を使い、それなりに分析するとかなりの多くの物語、映画がわかったような気分になる。

ただ、この手法があまり通じない、することに意味が感じられない魅力的な作品も数多くある。

宮崎駿の新作「風立ちぬ」がそうだった。
宮崎自身も「千と千尋の神隠し」以降、物語の構成というものにもはや興味はないという趣旨の発言をしていた記憶がある(きちんと確認していません)。

風立ちぬ」は、
因果関係で物語が進み、目的が生まれ、葛藤があり、敵との戦いがあり、勝利(敗北)がある。
そういう話ではない。
物語は時代ごとに、ひとかたまりの話(シークエンス)を断片的につないだといってもいいい構成。
ある種、あっさりしているといえばあっさりしている。

描かれるのは
夢想家の個人主義者の生きざま。
主人公は社会的な人間ではない。
優しい心を持ちながらエゴイスト。
追求することの基準にあるものは“美しさ”。
草原があり風が吹いている。そして風にのって飛行機が舞う。
そんな話である。
そんな話に“生きる”というテーマが幾重にも込められていた。
庵野氏の声は現実感に乏しい夢想家の声としては悪くはないと思った。
意味のない飛行シーンが多いという批判もネットで読んだが、いいんじゃないんですか。夢の世界なんだから。

ドラマの構造的にどうこう分析する話ではないような気がした。

老境の映像作家による“夢”のシーンが多い作品ということで、黒澤明の「夢」のことを思い出したが、比較するのはちょっと無理があるだろう。


宮崎駿は間違いなく、世界的に見ても映像作家として抜きん出た人物だ。
とてつもなく感動した。
できれば、まだまだ彼の作品は見ていきたい。

この映画にあった漫画映画の表現手法は、宮崎氏が亡くなったら消滅してしまうのだろうと思うと悲しいものがある。

断片的な文章ですみません。