見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

やなせたかしの童話集「十二の真珠」

十ニの真珠 (ふしぎな絵本)

十ニの真珠 (ふしぎな絵本)

この本はすでに読んでいたのだが、記録メモを残すことができずにいた。
書くと長くなりそうだったからだ。

ただ、書かないでいると記憶も薄れてしまうので、手短に書いて残すことにする。
表現者やなせたかしの“本質”に触れることのできる、原点といえる作品集だからだ。
この作品について触れないわけにはいかない。

「十二の真珠」には、まえがきが3つある。
(1)’70年にサンリオから出版されたときの“ヤルセ・ナカス”として書いたまえがき。
(2)’90年に復刊されたときのまえがき。
(3)2012年に復刊ドットコムで復刊されたときのまえがき。

’70年といったら今から43年前である。
とはいえ、現在やなせ氏は94歳。
このときですでに50歳を超えていた。

’70年版のあとがきに書いてあることは、まんが家として大成できずにいる自分への鬱屈とした思い、
童話を書くことへの心情を吐露した非常に“青い”ものとなっている。
そして自分の一番好きな作家がサン・テグジュペリと「飛ぶ教室」で知られるドイツの童話作家エーリッヒ・ケストナーであると書いている。
さらにケストナーの作品でもとりわけ「五月三十五日」を気に入っていると語っている。
私はやなせ氏のエッセイは何冊も読み、ブログに感想メモを記録しているが、
好きな作家について、ここまでストレートに書いた文章を読んだのは初めてのような気がする。

’90年復刊のまえがきでは、「今読むと非常に恥ずかしいが、ぼくのその後の作品の基本形はすべてこの十二編の中に含まれている。未熟ではあってもぼくには大切だ」
と深い思い入れがあることを明らかにし、
「復刊するのにはかきあらためたい部分もあり、特に絵は全面的にかきなおしたかったが、これはやはり原型のままにしておくべきだとの意見にしたがった」
と書いている。そして3回目のあとがきでは「アンパンマンの原点になった本」と題して、この本にまつわる因縁を語っている。

そして、さらに2012年版では、あとがきで新たな解説もしている念の入りようである。


以下、「十二の真珠」の内容をざっと書く。

やなせ氏は
「十二の真珠を並べたような十二篇の童話をかこうと思って一番最後の童話のタイトルは『十二の真珠』と、かく前から決めていた」(’90年版のまえがき)そうだ。

目次の前にはイラストとともに詩が載っている。
引用させていただく。

「ぼくの愛した雲」

ぼくの愛した雲があった
とても浮気な
雲だったのに
もう流れるのは
やめにして
ぼくといっしょに
くらしてた
イカリおろして
おちついていた
やさしかったな
ぽくの雲
はずかしそうに
ふくらんでいたのに
ある日
ひどい風がふいて
雲はどこかに
ふきとばされた
まいにちに
空をながめているが
ぼくの愛した
雲はみえない

やなせたかしらしいセンチメンタルな詩である。
中村圭子・編「やなせたかし メルヘンの魔術師 90年の軌跡」に

やなせたかし (らんぷの本)

やなせたかし (らんぷの本)

やなせ作品の特徴として“大衆性とシュールな叙情性”があげられていたが、独特なセンチメンタリズムもやなせ作品の特徴かもしれない。
初期作品なだけに、その色が濃いのがこの「十二の真珠」の特徴でもある。

そして目次。これがまた凝っている。
「12の表題と内容」として以下の言葉が書かれてある。

この本を読もうとしててっとりばやく内容を知りたいひと、
また読まないで批評文をかこうとするひとのための親切なガイド、
または血わき肉おどる予告篇であります。

そして各話ごとにストーリーの概略が書かれてある。これがまた面白い。
最初の話の「バラの花とジョー」だけ以下に書く。こんな具合だ。

美しいバラの花と雑種の犬ジョーの愛の物語。バラとジョーはふかく愛しあったが、やがてジョーは盲目となる。

どんな話なんだろうと読みたくなってしまう予告篇だ。

12の童話のタイトルを以下、列挙しておく。
・バラの花とジョー
・クシャラ姫
・天使チオバラニ
・チリンの鈴
・アンナ・カバレリイナのはないき
アンパンマン
・星の絵
・風の歌
・デングリ蛙とラスト蛙
・ジャンボとバルー
・キュラキュラの血
・十二の真珠

やなせたかしの代表作「アンパンマン」「チリンの鈴」がすでに収録されているのが驚きだ。

作者本人が「絵は全面的に書き直したい」と書いていたように、’70年前後の時代性を感じさせる絵のタッチは、今見ると、個人的には若干違和感もある。
だが、それも当時の雰囲気を伝えるものでもあると思えば興味深い。
なんせ、43年前に出版されたものなのだから。

ともあれ、やなせたかしの作品の魅力の原点に触れることができるという意味で、やなせファンならば絶対に読むべき本だ。