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見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

坂元祐二の脚本によるテレビドラマ「それでも、生きてゆく」02

坂元裕二脚本のテレビドラマ「それでも、生きてゆく」の感想メモの続き。

概略については前回に書いたので、ここでは個人的に気になった点、ドラマの着地点について書いてみる。
↓前回の感想メモ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20140309/1394346802

【会話、せりふについて】
第1回を見たときに、テレビドラマとしてはあまりにせりふが少ないので驚いた。
画面をずっと見ていないとストーリーが追えない。
放送回を重ねるごとにせりふは増えていく印象だったが、第1回はともかくせりふが少なかった。

それと正反対に第11回の最終回では、延々とセリフの応酬の続くシーンがある。
洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)が、初めてで最後のデートをした日、2人が別れる前にベンチに座って話すシーンだ。
ここでのセリフのやり取りは、新たな情報を提示するものでもストーリーを進展させるものでもない。
別れがたい2人がグダグダと会話を繰り広げるものだ。
このシーンを見ながら、これは一体何なんだ……と思ったのだが、今、こうして文章を書いて、放送第1回での寡黙さと照らし合してみると、11回のドラマでの2人の変化というものを象徴している味わい深いシーンという気もしてくる。
また、主人公の弟の耕平が、漫画、アニメのネタから状況をいきなり語るシーンが何回もあった。
ONE PIECE」のジンベイのせりふ、「銀河鉄道999」のメーテルのせりふなどなど。
しかも、そのせりふはドラマの流れを断ち切るようで、当初は非常に違和感のあるものだった。
だが、これも何度も見ていくうちに、それなりのお楽しみとなるようになった。

坂元は、ユリイカ2012年5月号「特集 テレビドラマの脚本家たち」のインタビューの中で、2種類のドラマについて語っていた。

“アメリカン・タイプ”のドラマと“落語”のようなドラマだ。

彼は、大多亮プロデューサーの下で書いていたトレンディドラマのことを落語、プロットを重視したドラマをアメリカン・タイプのドラマとしている。

坂元 (中略)僕はその頃ずっと大多亮さんと一緒にトレンディドラマをやっていて、プロデューサーとしては「大多さん育ち」だし、脚本家としては大多さんともよく組んでいた松原敏晴さんが好きだったんです。
そんなところに、アメリカドラマをベースとしたドラマが増えはじめました。
その時から「あ、今までの全然違う!」と僕は漠然と思ったんですけど、その流れが今もずっと続いていると感じています。
―― それは具体的にどういうことですか?
坂元 例えば、『あなたの隣に誰かいる』で鈴木さん(フジテレビプロデューサー)と仕事をした時の話です。
ユースケ・サンタマリアさん演じる主人公が、自分の子どもだと思っていた人間がそうではなかった、父親が違っていたということがわかって、その次のシーンというのがあったんですよ。
そこで僕は当然悩んでいるシーンを書いたんですね。
そうしたら鈴木さんは、「このシーンはどういう意味ですか?」って聞いてくるんです。
「いや、これは悩んでるんです」と答えると、
「悩むっておかしいじゃないですか? この人は今どっちを向いているんですか? 自分の子どもとして受け入れたんですか? それとも、その子どもを捨てようとしているんですか? どこを向いているかハッキリしてください!」て言うんですよ。
「いや、さっきわかったことなのにハッキリするわけないじゃん!」って僕はそこですごく揉めたんですね。
最初は何を言ってるんだろうこの人はって思ったんですけど、その時に初めて、ああ、今主流になってるドラマって全部これだったんだ、だからこの人もこういうことを言ってるんだ、アメリカドラマってみんなこうなんだっていうことに気いたんです。
職業的には素直に感動しました。それまで大多さんや松原さんが何をしていたかというと、ドラマの中でずっと「落語」をやっていたんですよ。でもこれからは落語の世界じゃなくて、こういう流れになっていくんだなって感じたんですね。だからなんとかこれを身に付けないといけないと思って、『西遊記』(2006年)や『トップキャスター』(2006年)では、できるだけ登場人物がどこに向いているかを明確にして動かして、それがお客さんに伝わるように作ろうと努めたんです。自分には向いてないんですが、そうやって何本も作ったんです。視聴率はまあとれる。そうするとまあ、疲れるんです(笑)。
トレンディドラマの頃は、多くは落語の世界で、痴話ゲンカでドラマをワンクール作っていたようなところがあるんですけれど、今ではそれがすっかりなくなってしまいましたよね。
主流が刑事ものやアメリカン・タイプのドラマになっている。
その中で昔のようなドラマも作りたいなあという気持ちで、僕は『Mother』や『それでも、生きてゆく』みたいなのを作ってるんですよ。

さらにこんなことも語る。

ドラマというのは対立する考えをもった二人の人間が会話をすることだと思っているので、その対立する様々な要素の中に「虐待」や「少年犯罪」というものもあるだろうということなんです。
書きたいのは、「相容れない人間たちが何を話すのか」ということに尽きるんですよね。
僕の仕事は会話を書くことで、会話は他者とするから面白い。
答えは僕にもわからないんです。その二人が仲良くなる姿を書きたいというわけでもないし、破滅する姿を描きたいわけでもない。(中略)僕自身はテーマにも興味がなくて、その二人が何をしゃべるのかが見たいという、ただそれだけなんです。

またこんなことも。

僕は黒沢清さんが大好きなんですけど、黒沢さんの映画の敵というのは「得たいのしれないもの」ですよね。


以上のコメントから、坂元祐二という脚本家は、
シド・フィールドの脚本術に代表される“目的を持った主人公が、葛藤しながらも行動、結末に至る”三幕構成で考えるドラマを書くことに抵抗があり、“落語のような会話劇”であり、黒沢清の映画のように“あいまいな要素”を含んだ作品を志向している
といってもよいのではないかと思う。

このコメントを読めば「それでも、生きてゆく」での最終回での、洋貴と双葉の突然の会話劇がどういうところからきたのかも納得できる気がする。
また、彼が一時期、「落語」のなくなったテレビドラマを離れ、舞台の仕事をしていたということも。

【感情を失った青年、文哉の物語の着地点について】
前回の感想メモで、私はこう書いた。

連続ドラマとしては、2つの問題が主軸となって描かれていく。
(1)殺人者・文哉とはいったい何者であるのか? 友人の妹である無邪気な少女を殺した理由は何なのか?
(2)被害者家族の洋貴と加害者家族の双葉の関係(恋愛関係)はどうなるのか?
連続ドラマなので多くのテーマを含んでいるのだが、上記の2つがこのドラマで重要なテーマであるように私には思えた。

と書いた。
(1)については、11回放送の連続ドラマだったということで、坂元はこう語っている。

11時間もかけて、「結局この人のことはわかりませんでした」というのはテレビドラマの作劇としてはおかしいと思うんです。だからテレビ屋としては敗北感でいっぱいで、本当にこの一年間ずっと心残りなんですよね。

ただ、私の見た感想としては、さすがベテランの作品なので最終的な着地点は作っていたと思った。
こんな着地点だ。
拘置所に収監された文哉は実母の顔が思い出せないと語る。
文哉の実母は、彼が子どもの時に心を病みベランダから落ちて亡くなっていた。文哉はそれを自殺と信じている。
そして、文哉の物語のラスト、
文哉から面会を断り続けられている洋貴は思うことがあり、文哉の実母の写真を探し求め、苦労のすえ写真を入手する。
文哉の父は、探し出した実母の写真を面会所で面会のガラス板に押し付けて文哉に見せる。
写真を見て、記憶を蘇らせた文哉は激しく激しく慟哭する。

母の面影を失い、心を失った青年が、母の顔を取り戻し、感情を取り戻す。
そんな着地点にはなっていた。
と思う。

【音楽について】
このドラマではラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番第2楽章」のピアノによる一節がしばしば流れている。
https://www.youtube.com/watch?v=47TkYRxxe14

それでも、生きてゆく オリジナル・サウンドトラック

それでも、生きてゆく オリジナル・サウンドトラック

↓名人によるチャイコフスキーのピアノ協奏曲とのカップリング
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

「ピアノ協奏曲第2番」はスランプに陥り、精神的な危機に直面したラフマニノフ催眠療法で精神的に復活した際に書かれた曲といわれている。
このドラマで流れる第2楽章アダージョは、そのメロディーがともかく美しい。
ウィキペディアでは以下のように書かれてある。

作曲の経緯
ラフマニノフの《交響曲第1番》は、今でこそ重要な業績と看做されているが、1897年の初演時には批評家の酷評に遭った[4]。私生活における問題も相俟って、ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱におそわれる。
しかし、1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させた。最大の難関として立ちはだかった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させた。初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得た。本作品の成功は、ラフマニノフがそれまでの数年間にわたるうつ病とスランプを抜け出す糸口となった。作品は、ラフマニノフの自信回復のためにあらゆる手を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈された[5]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95)
この曲のいきさつは何かで読んで知っていたので、ドラマの内容と重なるところも感じていた。ただ、この曲は坂元脚本のほかのドラマでも使われていたらしい。

長々とえらそうなことを書いてしまったが、実は1回通して見ただけなので、誤認もあるかもしれない。