見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

1つで2つの趣向が楽しめるディズニーのCGアニメ映画「ベイマックス」

映画を見ていると、「これは傑作なのではないか、この後いったいどうなるんだ?」と"傑作の予感"でドキドキする作品が時々ある。
ただ、ほとんどの作品は見続けているとストーリーをけん引する謎が解け、物語が収束していくエンディングへの過程で、期待の大きさに対してアレレとなってしまう。

今回の見た「ベイマックス」は私の中では、傑作の予感→アレ?→ラストでアレレ???の流れとなった映画だった。

「日本映画の父」などと言われる牧野省三は、映画が魅力的なものとなるための3つの重要なポイントとして以下のものを挙げていた。
1.スジ(ストーリー)
2.ヌケ(映像)
3.ドウサ(この場合キャラクター)
である。

このポイントを踏まえて、この映画についての自分なりの感想を書き、ラストのアレレの部分について触れてみたいと思う。
ただし、1回映画館で見ただけで、資料にもあたっていないので的外れなところもあるかもしれない。

以下、感想メモ。

2.「ヌケ(映像)」、3.「ドウサ(この場合キャラクター)」はよかったと思うが、1.「スジ(ストーリー)」について腑に落ちないところがあった。

まず2.ヌケ(映像)について。
これは非常に魅力的だった。
サンフランソウキョウという架空の都市が舞台だが、サンフランシスコと東京をミックスした街並み、景観が素晴らしかった。
ともかく細部まで丁寧に作られている。そして絵的にも面白い。
主人公が動き回る背景の"世界"に魅了された。
私にとってのこの映画の最大の魅力はこの点にあった。

そして3.ドウサ(この場合キャラクター)。
これもまあよかった。アニメにおける人物造形、性格づけについては得意としているディズニーなので違和感なく作品世界に入り込むことができた。
日本人(日系人?)の少年が主人公だが、日本人の私から見ても違和感なく見れた。
ベイマックスも赤いアーマーを装着した戦闘モードのときはロケットパンチを放ち、空を飛ぶというマジンガーZ(?)のような活躍を見せる。
そういった目で見るお楽しみの部分は多い。
だが、一方で主人公の内面での葛藤や変化ということにはあまり重点を置いていないように感じた。

映像的には「アメコミをCGアニメ化した作品としては画期的なのではないか」と、中盤あたりまで見ているときは思った。
ただ、私は視覚造形的なセンスと見識については自信がないので、これはあくまで私個人の感想としてである。
その方面の有識者がどう判断しているのかは私は知らない。

引っ掛かったのは1.スジ(ストーリー)。そしてそれに伴う登場人物の内面の葛藤、変化だ。

映画館で見ていたので、ストーリーのポイントとスタートからの経過時間のチェックはできなかった。
ただ、冒頭から映像でつづられていく物語のテンポの良さは抜群だったことは間違いない。
素晴らしい映像であれよあれよと物語が進み、退屈することがない。

ただ、主人公のモチベーションと行動、その結末に至る収束の過程がどちらかといえば平板なのだ。

兄の死はお約束的な展開だったが、それは物語としてある程度仕方がないと思う。
問題なのは、その事件で欠落状態に陥った主人公の少年の充足状態に至るまでの行動、過程が取ってつけたもののように感じられたことだ。

この映画、おおざっぱに以下のようなストーリーである。

◆天才工学少年の日常生活→大好きな兄の不慮の死→心の傷(欠落状態)→迷走→仲間ができる→欠落状態からの回復→クライマックス(伏線の収束)→エンディング(ヒーロー誕生!)

これに並行して主人公と悪者の戦いが描かれる展開だ。

定型的ではあるが、王道ストーリーのひな形である。
このひな形から躍動感のある傑作ストーリーが生まれるか、おきまりの定型的なものになってしまうかは個々の作品の仕上がりしだいだと思う。

その点において、この映画はテンポは非常にいいがストーリーの作りとしては平坦なものを感じた。
型通りに物語が進み、ダイナミックさに欠ける印象を抱いた。
行動のモチベーション、感情のうねり、収束点について説得力に若干欠けるものがあったように思えた。
そして葛藤が弱いのだ。
映像は見せ場満載でテンポよくストーリーは進むので見ていて飽きることはなく、抜群に面白い。
だが、引っかかるものがない。
後半でストーリーを止めて、盛り上がりを作ってはいたが、上滑り感は個人的には感じた。

具体的詳細についての説明は省くがそんなことを感じた。


次に一番引っかかったクライマックスのことを書く。
以降、ラストの部分の説明になるので、
ネタバレかどうかはわからないが、行を開けておくことにする。





テレポーテーション実験で異空間に飲み込まれた女性を救うためベイマックスと主人公は壊れかかったテレポーテーション装置の入り口に飛び込み、異空間に浮遊する女性を助けようすとる。
(主人公はベイマックスの背中に乗って空を飛ぶのだ)
無事女性を救出し、帰還しようとするが異空間の出口間近なところで、飛来してきた物体とベイマックスが接触、推進装置を壊されてしまう。
推進能力を失ったベイマックスは、自らを犠牲とすることで女性と主人公を助けることにする。
腕のロケットパンチを発射、その推進力で女性と主人公を異空間から押し出すのだ。
ロケットパンチの推進力で出口に向かう2人。反動で異空間の奥に消えていくベイマックス。
この物語の最大の"泣ける"クライマックスだ。

これはよかったのだが、そのあとが腑に落ちなかった。
生還した主人公は、虚脱感に満ちた生活を送る。
だが、ある日残されたロケットパンチの腕の手のひらが兄の残したベイマックスの外部メモリーを握りしめていたことを発見する。
主人公はそれを見て狂喜、そのメモリーを基に新たなベイマックスを"複製"するのだ!
そして主人公は、この映画の冒険で仲間として活躍した大学の先輩たちとコスプレヒーロー集団を結成、
日夜、世界の平和のために戦うことになる!
もちろん、新たに作られたベイマックスとともに!!!

これがエンディングとなっている。

これはないのではないか。

異空間に消えたベイマックス本体には、主人公の兄の残した初期メモリーには含まれていない主人公たちと過ごした大事な記憶が残っているはずなのだ。
初期メモリーよりも、そちらの方が重要なのではないか。

初期状態の外部メモリーで複製。
新たにつくった存在で、積み重ねた記憶を持つ失われた存在にそのまま置き換えてしまうことができるヒーロー。
この行為というのは極端に言えば、一緒に暮らしていた犬が死んだら、クローン技術で同じ見た目の犬を作り、かつて飼っていた犬のことなど忘れて楽しく日々を送っていく。
それに近いものがあるのではないだろうか。

この部分については大いに引っかかった。
ただ、この点をほかの見た人間に話したら、「あの外部メモリーは経験も上書きされたものなのではないか」と言われた。
そうなるとまた、印象も若干変わる。
だが、ただ、簡単に置き換え可能なパートナーというのは如何なものだろうか、という感は残る。

手塚治虫の「鉄腕アトム」では、交通事故で息子を失った天馬博士が息子の代わりとしてアトムを作り出すが、そこにはさまざまな感情のしがらみや葛藤、絶望、喜び、失望、などなどのドラマがあった。
「ベイマックス」は、60年以上前に描かれた「鉄腕アトム」から比べてもあまりにシンプルな、身も蓋もない話のように思える。
映像の素晴らしさと内面描写の空虚さとの落差が激しすぎる。

ただ、この映画のターゲットはキッズで、癒し要素もある単純明快なアクションアニメとして作られたと思われるので(アメコミのCGアニメ化)、変に葛藤や心に引っ掛かるものを設定していない作りにしているのかもしれない。

しかし、それにしてもこのエンディングには個人的にはがっかりした。
ほかの収束の仕方があったのに何故このような形にしたのかと思ってしまう。
この部分については、もっとじっくりと描いてほしかった。
そうすれば印象も変わったかもしれない。

ということで、中盤以降、物語の展開、着地点での伏線の収束の仕方など個人的に腑に落ちない点がいくつかあった。
だが、見せ場は満載で終始テンポはいい。
娯楽映画として誰もが面白く見れるであろうという点では間違いないだろう。
計算に基づく成果を挙げている映画という感じだった。
ただ、それ以上のもの、「これは何なんだ!」という見ているときの驚きはない映画だった。

このページ右カラムにある(PCだと見れます)映画は、私が大きく心動かされた映画だ。
世間が傑作といおうが珍作といおうが、これらの映画の衝撃は私の中に残っている。
「ベイマックス」はこのリストには絶対加わらない映画だった。
跳び抜けた“何か”がない気がする。
作品のバランスを崩すことになつても、跳び抜けた“何か”がある作品が私の大好きな作品だ。

上記の日米2つのポスターを同時に見ると分かる“癒しとアクションの共存するアニメ”。
このお題はこなした作品だとは思う。


また「X-MEN」におけるマグニートー=イアン・マッケラン的な顔の悪役の登場、赤いアーマーを付けての「アイアンマン」を思わせる飛行シーン描写などアメコミ(マーベル)映画を意識した映像はなかなか面白かった。


以上