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見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

百田尚樹原作、山崎貴監督、岡田准一主演の映画「永遠の0」

映画 書籍

あまり興味のある映画ではなかったのだが、たまたまDVDで見る機会があった。

ことさら心を動かされたわけでもないし、特段不快な気分になることもなかった。
感想メモを残す必要もない映画と思った。

ただ、映画の根本的な部分で、見ていて合点のいかない点、妙に思った点がいくつもあった。

この映画については否定的なことを書いている人もいたが、“問題のある原作者”という見解から語っているものが目立った。
私が感じた疑問を書いているものは見かけなかった。
※これを書いた後に指摘自体はあったことに気づいた。興味がなかったのでそのような批判が目に留まらなかったのだ。

漫然と集中力を欠いた状態で見ていたので、私の映画読解力のなさからきたものと思っていた。
ただ、とても丁寧な説明で物語を展開する、“誰でも楽しめる”映画を作る山崎貴監督作にしては妙だなと思っていた。

その後、たまたま柳下穀一郎という人の「皆殺し映画通信」という本を読んだ。
2010年代の公開映画から、柳下氏が評価の低いとみなした映画を“公開処刑”している本だ。
そして、こき下ろす映画の突っ込みどころを詳細に具体的に記述しているのが特徴である。

皆殺し映画通信

皆殺し映画通信

この本で「永遠の0」を取り上げていた。
そこで確認できたことがあったので感想メモを残すことにした。

「皆殺し映画通信」については別の感想メモを残すことにする。

この映画、2013年公開映画では興行収入の邦画部門で1位。ウィキペディアによると、歴代の邦画実写映画で6位に位置するとのことだ。大ヒット作である。

ただ、私は鑑賞後「この映画は一体何が言いたかったのだろうか?」という印象を抱いた。

映画の構造は意外に入り組んでいてどこにポイントがあるのかよくわからない。
一言で説明できない映画なのである。

こんな話である。原作は読んでいない。役名は略す。俳優名で表記する。

司法浪人生の三浦春馬は、祖母の葬儀で、彼女が再婚していたことを知る。
そして現在の祖父・夏八木勲は再婚相手で三浦とは血のつながりがなく、血のつながりのある祖父は特攻隊で亡くなった航空兵の岡田准一であることを知る。
三浦は姉であるフリーライター吹石一恵に誘われ、実の祖父である岡田のことを調べる手伝いを始める。
三浦と吹石は、生前の岡田を知る人々を訪ね、彼の戦下における生き様を追っていく。

ドラマは、岡田の生きた戦時中と三浦の生きる現代を交互に描きながら進んでいく構成だ。

この映画、過去と現在が交互に描かれるが、一応、戦時中の岡田の生き様を描くことがメインだと思う。
だが、意外に岡田のキャラクターの描きこみが少ない。

映画での岡田の初期のキャラクター設定はこんな感じである。

感情に流されることなく的確な判断力と強い意志を持って行動できる優れた技量をもつパイロット。
彼なりの見聞で日本はアメリカには勝てないと冷静に判断している。
妻子のことを思い、ともかく自分は生き残り、日本に帰ることを誓っている。
出撃の際は攻撃から身を引く行動で臆病者と皆からそしられている。
その一方で、冷静沈着で胆力のある岡田を「とてつもなく強い人でした」と部下であった橋爪功は語っている。

私は映画を見ながら、臆病者とそしられながら妻子のために日本に帰ることを願っていた岡田が、特攻隊に志願するまでの“変化”を描く話なのかと思っていた。
一体どうして"強い人である"岡田が特攻隊を志願するようになってしまったのか?
見ているときはどんな物語になるかと期待していた。

だが、その“変化”がまったく描かれていないのである。
臆病者で実は強い人だった岡田が描かれた後、物語は現代に戻り、再び戦地の物語になる。

すると、岡田はいきなりやさぐれた姿で登場。
なんだかやたら、投げやりになっているのである。
そしてその勢いで岡田も特攻隊に志願という方向に物語が流れていく。

このあたり、柳下先生が詳細に記述されているので引用させていただく。

P370-P372
宮部は真珠湾攻撃成功で浮かれているときにも「空母を攻撃できなかったんだから失敗です……」と冷静に戦局を見つめているし、ミッドウェイでは「兵装転換しているところを襲われたらひとたまりもない!」とまるで未来を知っているかのように警告を発するスーパー合理主義者である。
だから当然戦局の悪化にも気づいているし、日本軍の精神主義も嫌悪している。精神主義で無駄死にすることにはどうしても納得できないがゆえに、臆病者とそしられながらなんとしても生き延びようとする。彼の原動力は妻と子の元に戻ることだった。横須賀に寄航したとき、妻松乃に会い、娘の顔をはじめて見る。
「必ず生きてあなたの元に帰ってきます。手がなくなっても、足がなくなっても。たとえ死んでも、生まれ変わって帰ってきます」
二人の結びつきがどこから来たものなのかは定かではないのだが「それは今なら愛と言われるものなのでしょう。そのために非難に耐えた宮部さんほど勇気のある人はいませんでした!」と橋爪功は語る。
(中略)
だが、そんな合理人間にして敗戦後まで見通している未来人宮部が、なぜ嫌悪していた特攻隊に乗り込むことになったのか?内地で教官として特攻隊員の指導をすることになっても、卒業試験に失格を出し続け、教え子を特攻させまいとする。特攻など無意味な作戦だと宮部はよくわかっているのだ。
(中略)
抜群の技量を持ちながら命を惜しむ宮部は決して許せぬ、いつかは乗り越えなければならない存在だった。だが昭和20年、鹿屋空軍基地で再会するに至り、まったくの別人になっている宮部を見て、景浦は仰天する。特攻隊の護衛機として教え子を次々に死地に送り届けている内に宮部はすっかりニヒリズムに陥ってしまったのだ。それにしたって、宮部は別に死を求めていたわけではない。景浦も、なぜ最終的に宮部が特攻に志願したのかはわからないと言うばかりなのだ。
映画においてはこれこそが最大の謎として語られる(コピーも「60年間封印されていた、大いなる謎」だ)。ところがこれ驚いたことに、最後まで見ても結局理由はわからないままなのである!すべてがわかりやすい山崎演出にして誰も理由を語らないので、どうやらこの最大の問題、山崎貴も答を知らないまま作っていたらしい。

監督・脚本の山崎貴が「答を知らないまま作ってしまった」というのは柳下先生の推論だが、脚本も書く山崎監督がこの根本的な問題の回答を省いて作品を仕上げたというのは、解せないものがある。色々諸事情があるのかもしれない。

柳下先生の指摘を読み、私の疑問も間違いではなかったということを知りちょっとほっとした。
とはいえ、これは作品として酷い。

そしてもう一つ違和感があったのが、岡田が特攻で死んで物語は終らなかったこと。
終戦後未亡人となった井上真央の苦境、そしてそこに現れた岡田の戦友(部下?)染谷将太。二人が結ばれるまでの物語が描かれる。
ここでは染谷が完全に主演である。
染谷、岡田、井上の関係においては妙な仕掛けがあるのだが、あまりピンとこなかった。
この染谷主演の部分、結構な時間を使っているので全体の物語のバランスを崩しているような気がした。
ここに時間を使うなら、岡田の変化について描くべきだろう。

ちなみに、柳下先生は生き残った染谷が、未亡人となった井上を岡田の指令のもとに引き取ったというドラマ設定に不快感を表明している。
私も不快感というほどではないが、わざわざ時間を設けてじっくりとこのエピソードをしっかり描いていることには違和感を覚えた。

以上、感想メモ。

追記
血の気の多い航空兵として岡田に突っかかり、その後岡田に心酔するようになった新井浩文演じる景浦。
その老境を演じた田中泯がいつものごとく妙で面白かった。
やくざの大物らしき設定のようだが、話を聞こうと自宅にやってきた三浦に、飾られた日本刀を見せ、「この刀は血を吸ってるからな」とかすごんだりする。
単なるおどし文句かと思っていたら、ラストにものすごいオチがあったのでビックリした。

井上真央「日本刀を持った男の人が乗り込んできて私を助けてくれました」

景浦がいなかったら、井上はヤクザの囲われ者となってしまったのだ!
三浦もこの世に生を受けていなかったかもしれない。
この部分が一番衝撃だった。
しかも劇中の説明はたったそれだけ!

田中泯、変な役者である。
さすが、ルー・リードの遺影の前で踊っただけのことはある。

田中泯がそんなことをしたいきさつを書いた感想メモ
今さらながら、ルー・リードの追悼特集号を読んでみた