ほしのよりこの漫画「逢沢りく」
- 作者: ほしよりこ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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話の進むペースが非常にゆっくりなので、時々まとめてウェブで読んでいる。
たまたま、気になることがあり、彼女の「逢沢りく」を読もうと思い、入手してみた。
この作品は、2015年の手塚治虫文化賞という漫画の賞の大賞を受賞したとのことだ。
大賞受賞作品を遡ると羽海野チカ「3月のライオン」、原泰久「キングダム」、岩明均「ヒストリエ」、村上もとか「JIN−仁−」、山田芳裕「へうげもの」、よしながふみ「大奥」、石川雅之「もやしもん」となっていた。
おおむね商業漫画でそれなりのキャリアのある人が選ばれているようだった。この流れからすると「逢沢りく」は異色といっていいかもしれない。
そしてアマゾンで書評を見ると絶賛の連続である。
オールジャンルの漫画の中でずば抜けて素晴らしいというくらいの勢いである。
彼女の作品は見て一目瞭然だが、かなり特殊なスタイルの漫画である。
「これも漫画」と言っていい類のものだ。
ここまで絶賛されることには少々違和感を抱き、読み始めた。
「きょうの猫村さん」は1枚絵を綴っていくものだったが、こちらは一応コマ割はある。
とはいえ非常にシンプルだ。
1ページを3段で割り、そこに3枚の絵を描き、吹き出しを書き入れた1ページが基本構成となっている。
1ページに1枚の絵という構成は最終ページのみである。
そしてコマを分割する線、吹き出し、その中のネーム、すべてがフリーハンドで描かれたものである。
使っているのは鉛筆なのだろうか?
素朴なタッチの作品である。
私は絵画的、映像的なセンスには自信がなく、さらに技術的なことについてはまったく知識がない。
絵の上手い下手について語る言葉を持っていない。
ほしのよりこの絵はうまいのか下手なのか、わたしには自信をもって語れない。
ただ、一読した後、何故か、また読みたくなった。結果、何回か読み直すことになった。
何か引っかかるものがあったのだと思う。
結論として思ったのは、この作者はおそらく絵はうまいのではないかということだ。
もしかすると技術的なことを学ぶ学校にも通っていたのではないか、くらいには思った。
後で確認したところ、美術系の学校に通っていたようだ。
物語についてだが、世界の設定、キャラクターは非常にわかりやすい。
ベタといっていいくらいだと思う。
東京と関西が舞台となる漫画だ。それぞれの設定はこんな感じ。
主人公の住む東京=本音を言わず、上っ面の付き合いで成り立っている清潔な世界。主人公とその家族は、その世界でスマートに生きている。心に引っ掛かるものを抱えているが、そのことに向き合うことを恐れ日常生活をやり過ごしている。
主人公が訪れる関西=濃い人間関係の中でにぎやかに本音もさらして生きている温かな世界。バカなことばかり言っているようだが、実は周囲のことに気を配り意外に細やかな人間関係が築かれている。
そして主人公はこんな感じ。
東京でスマートに生きる美人の女子中学生。恵まれた環境の清潔な世界で暮らし、不潔なもの、むき出しの感情をさらすような世界には、母親の意向で触れないようにして生きてきた。
そんな彼女が、上記の関西の世界の親戚の家で暮らすことになり、自分の中にあったむきだしの感情の動きを知っていく。
そんな話だ。
この部分だけを取ってみると図式的な作品ではある。
さらに、この漫画には、さらに分かりやすい存在が登場する。
その存在が物語、そして主人公の変化を推進することになる。
時男という幼児である。
自らを“時ちゃん”と呼ぶ彼は無垢な存在として描かれ、主人公が成り行き上関西に持ち込んだ小鳥から非常に懐かれる。
時ちゃんが“チイボ”と呼ぶその鳥は室内では時ちゃんの頭の上に乗って「きょろ〜きょろ〜」とさえずる。
まるで聖人のようである。
しかも主人公が頭に小鳥を乗せた時ちゃんに近づくとその鳥は、主人公を避けて飛び立ってしまうのである。
主人公は動物から懐かれない存在だからである。
その小鳥から懐かれる無垢な存在である時ちゃんはなぜか主人公を慕い、だが主人公は時ちゃんに対してつれない行動をとる。
なぜかというと自分の東京のスタイルが崩れてしまうからである。
その後、主人公は、時ちゃんが実は何か重い病を患い、長く生きることができないと診断されていることを知る。
そして物語の後半で時ちゃんは倒れ、手術を受けることになる。
皆が時ちゃんのことを心配するなか、主人公は淡々した態度を示している。
だが、手術の日、突然学校を早退、かばんも持たずに帰宅するなど、心ここにあらずといった奇妙な行動を取る。
だが、手術が成功したことを知らされても淡々とした言葉を返す主人公。
数日後、回復した時ちゃんと電話で話した主人公。
彼女は、あることがキッカケで感情を抑えるタガが外れる。
突然家を飛び出し、激走する主人公!
川辺にたどり着いた主人公は地べたに突っ伏して号泣する。
川辺を歩いていたカニがビックリするほどの大声で。
こんな話である。
このあたりの物語構造が誰でもわかり、共感できるように設定されていることがヒットの原因なのではないかと思った。
そして、この作品の素晴らしいところはベタな構造でありながら、“行間の表現”が非常に豊かで奥行きがあるところだ。
一度読んだときには、読み取れなかったことが再度読むと、ああそうだったのか、と納得させられる表現が多々ある。
多くの人にアピールできる大衆性を持ちながらも奥行きのある漫画だ。
一度読んだときには気づかなかったが、何回か読み直しそのことに気づいた。
この作家の作品を通して漫画を語ることはできない。
あまりにスタイルが独自だからだ。
だが、作品としては非常に優れたものではないかと思う。
1回目に読んでいたときは、昔のガロあたりにあったオルタナティブな漫画と認識していたが、そういう作品ではないだろう。
漫画のコンテみたいな作品だな、とも思ったが、そんなレベルの作品ではまったくなかった。
漫画賞で大賞を取ってもなんの不思議もない作品だと思う。
これを読んで、「猫村さん」も連載を読んでみたが、やはり面白い。
物語構造やキャラの分かりやすさと深いニュアンスのある表現。
「猫村さん」にもそれは感じた。
才能のある人だと思う。