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佐野眞一の人物評伝「唐牛伝 敗者の戦後漂流」

 大御所ノンフィクション作家のバッシング後復帰第一弾となる力作

唐牛伝 敗者の戦後漂流

唐牛伝 敗者の戦後漂流

 

 60年安保闘争当時、全学連委員長だった唐牛(かろうじ)健太郎の評伝。

以下、帯の文章

五百万人の若者を熱狂させた60年安保のカリスマが何者でもない死を遂げるまで。
唐牛健太郎を書くことは私自身の過去を見つめ直す骨がらみの仕事だった。
-著者三年ぶりの本格評伝

表紙カバー裏にはこんな文章。

60年安保を闘った若者たちは、「祭り」が終わると社会に戻り、高度経済成長を享受した。だが、唐牛健太郎だけはヨットスクール経営、居酒屋店主、漁師と職を変え、日本中を漂流した。 

なぜ彼は、 

何者かになることを 

拒否したのか。 

ノンフィクション作家・佐野眞一が北は紋別、 

南は沖縄まで足を運び、1984年に物故した 

全学連委員長の心奥を描く。

 

60年安保闘争は、私が生まれる前の出来事である。世代的にはまったく遠い。
そしてこの“イベント”に、特に深い関心があったわけではない。
唐牛健太郎という人も名前は知っていたが、ずっと“からぎゅう”と読んでいた。
この評伝もノンフィクション作家・佐野眞一の復帰作ということでなければ読んでいなかったと思う。

割と興味本位的なところが動機だった。
この作品は大バッシングを受け、休筆活動をよぎなくされていた、佐野氏の復帰第1作だったからだ。

佐野氏は2012年に週刊朝日で当時大阪市長だった橋下徹論の連載を始めた。
だが、開始早々、橋下の出自について触れた際にその描写について橋下から訴えられた。
当時“大阪都構想”で橋下が世間的に注目されている存在だったこともあり、このことはワイドショーでも大きく取り上げられた。
さらにそれを契機に、今までの佐野氏のノンフィクション作家としての剽窃問題が取りざたされることになり、大バッシングを受けることになった。

バッシング時にはこのようなタイトルの本も出た。

 

年齢的なことを考えれば、休筆どころか引退しても不思議ではない。

バッシングを受ける前は、ノンフィクション作家として大御所といっていい位置にいた人だと思う。
そんな彼が、徹底的に叩かれて、再起作として書いたノンフィクションはどのようなものであるのか興味があったのだ。
力のこもった文章の書ける人なので、その再起作となると読み応えがあるのではないかと思ったからだ。

 

この本を読了後、唐牛の“心友”と自認する西部邁著作を副読本として読んだ。 

六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー

六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー

 

 

プロローグは以下の言葉から始まる。
ちょっと梶原一騎調(私の印象では)で一気に引き込まれた。
このプロローグとあとがきを通して、この作品についての感想メモを残すことにする。
本文については、興味深い点も多く、読み応えがあったということだけ記しておく。 

本文に入る前に、少々私の個人的な話にお付き合いいただきたい。
2012年末、私はインターネット上で日本のノンフィクションを殺した張本人だと名指しで批判された。
(中略)
ここで読者にぜひ知ってもらいたいのは、約3年間ブランク状態にあった私の偽らざる心境であり、なぜ再起にあたって60年安保闘争当時、全学連委員長だった唐牛健太郎をテーマにしたかという点についてである。P5

 

以下に続く続く文章は、ノンフィクションを書くことへの著者の並々ならぬ決意と熱意が伝わってくるものとなっていた。

休筆期間中、佐野氏は「不名誉なレッテルを張られたまま、ここで筆を折るわけにはいかない」と思いながらも仕事が手につかないほど相当に精神的に追い詰められたとのことだ。
そんな中「初心に帰れ」と自分の心に言い続けたという。

そして、ライバルと目していたであろう同年齢のノンフィクション作家・沢木耕太郎が“唐牛伝”を書こうとして果たせなかったことを知り、そのことがこの作品を書くモチベーションになったという。


以下にある“六月”とは60年6月の新安保条約が自然承認された月、ということである。

<その年の六月を境にして変化したのは私だけではなかった。日本の社会全体が大きく変わっていったという印象がある。潮が引くように何かが去っていったという感じを受けていたのだ。
どうして変わってしまったのか。それについて、やがて私はぼんやりとしたイメージを持つことになった。状況を劇的に変化させたのは経済の高度成長であったのだろうと。>(以上、沢木耕太郎「未完の六月」部分)
沢木が感じたこの思いは、私には痛いほどよくわかる。
考えてみれば、安保条約の批准によってアメリカに軍事防衛問題をすべて肩代わりさせた日本は、経済問題に一意先進できる国家になった。
そのことに気がついて以来、60年安保によって激変した日本を描くことが、私のライフワークになった。P9

このように語った著者は、“激変した日本”を切り口として
戦後教育の変貌を無着成恭という教育者を追った「遠い『山びこ』」、
メディアの肥大化を読売新聞の正力松太郎を通して描いた「巨人怪伝」、
消費生活の激変をダイエーの創業者中内功を通して描いた「カリスマ」、
高度成長の影響による日本的精神の劣化を民俗学者宮本常一パトロン渋沢敬三を通して描いた「旅する巨人」を発表。

さらに
「敗戦によって失った満州を国内に取り戻すゲームが高度経済成長だったのではないか。その仮説が私を新たな仕事に向かわせた」として、
甘粕正彦 乱心の曠野」「阿片王」
国内の高度成長を保証する代償として沖縄をとらえた
「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」「沖縄戦いまだ終わらず」
を書いた。

そして「つまり60年安保は、私の作品群の原点になっている」(P10)と語る。

その一方で、著者は、宮本常一の忘れられた日本人」を読んだのが13歳、60年安保闘争まっさかりの時であったと語る。

私は連日国会を取り囲む全学連デモの渦にも心奪われたが、そうした権力に屈しないアクチュアルな動きなど超越したような宮本の作品にそれ以上に魅了された。
そこには、安保闘争の怒りとは対極の反時代的といってもよい静謐で古雅な世界があった。それでいて、宮本の描く庶民の世界はいつも力強かった。そこには人として生まれてしまった者の歓びと哀しみが、一つの無駄もない言葉でみごとに描かれていた。
(中略)
宮本という人間は、なぜ一言で人の心をわしづかみにすることができるのか。なぜ、人々の営みに対し、これほど愛情をもって深々と省察することができるのか。
それが長年のフィールドワークの賜物だと気づくのは、ずっと後になってからだった。それを、イデオロギーに凝り固まった「大文字」に対抗する「小文字」言葉と名づけるのは、それよりもさらに後のことである。P10-P11

さらに、このように語る。

言い換えれば、60年安保闘争に刺激を受けた学生運動体験と、安保闘争当時、全学連のデモに負けない衝撃を受けた宮本常一の読書体験が、私のノンフィクションの骨格を作った。P17

そして佐野氏自身は取材の過程で、自分の現況も思いながら、このように綴る。

心無い中傷で人生のどん底に突き落とされながら、愚痴一つ言わず生き抜いた唐牛の強靭な精神は、私をどれだけ勇気づけてくれたかわからない。それが私を失意から立ち直らせ、これを書かせる原動力となった。P13


そして、このようにプロローグを締める。

私はなぜ学生運動に魅かれたのか。唐牛の評伝を書くことは、その回答に近づくことにもつながる。換言すれば、唐牛を書くことは私にとって、私自身の足跡を見つめ直すいわば骨がらみの仕事だった。P19


以降はあとがきの部分。

佐野氏は、「戦後日本の基礎工事は東大日共細胞によって成し遂げられた」とし、そこを基盤として、読売新聞の渡辺恒雄日本テレビの氏家齋一郎、西武セゾングループ堤清二歴史学網野善彦ら“エスタブリッシュメント”が生まれたことを書く。


そしてそれと比較して、日本共産党から分離し、60年安保闘争を主導したブント全学連からはそういった人物が出なかったことを指摘する。

そこで、戦後日本社会の変貌について、三島由紀夫の晩年の言葉を取り上げる。

三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる4カ月あまり前に発表されたエッセイ「果たし得ていない約束―私の中の25年」の文章である。

このエッセイの結びの部分は大変有名である。
<私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである>
三島が憎悪し続けた世界とは、一言で言えば、高度経済成長以降の急速に肥大化した日本の「大衆社会」だった。それを覚醒させようと、三島は決起して自死を遂げた。P392

そして、著者が敬愛する思想家・吉本隆明が三島の行動を留保つきではあるが認めたことも記す。

三島由紀夫の劇的な割腹死・介錯による首はね。これは衝撃である。この自死の方法はいくぶんか生きているものすべてを「コケ」にみせるだけのの迫力をもっている>P392

そして以下のように続ける。

60年安保闘争から10年後に書かれたこの二つの文章を読んで、私はブント全学連が“無意識”に目指そうとした世界がわかったと思った。
彼らは、60年安保闘争後、三島が言う「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残る」ことをうっすらと感じていたような気がする。しかし、だからと言って、その世界にいることを覚醒させるための三島の行動は、吉本が言うように、あまりに大時代的であり、馬鹿げていた。
ブント全学連は、三島の自死に10年先駆けて、将来の日本の姿に不吉な翳を感じ、警鐘を鳴らしたとは言えないだろうか。P393

そして、こう語る。

その唐牛を筆頭として、ブント全学連の幹部たちは、闘争終了後も、「大衆社会」に埋没することなく、己の信ずる道を進んだ。
唐牛を全学連委員長に抜擢した島成郎も、全学連の理論的支柱といわれた青木昌彦も、そして社学同委員長の篠原浩一郎や、全学連財政部長の東原吉伸も、政治や経済の世界に入ることを拒んで(拒まれてともいえるが)、ドラマチックな人生を歩んだ。P394

何もかも劣化する一方のこうした世の中に生きる私の目には、「敗者」となって世の中を「漂流」しながらも、高度経済成長の甘い果実とは無縁の世界を歩んだ唐牛以下の全学連幹部たちの生き方はなおさら清々しく映った。
(中略)
60年安保を闘った魅力的な男たちのその後を追った人生ドラマとしてこれを読んでいただければ、私のねらいはほぼ達成される。P395

 本文もさることながら「プロローグ」「あとがき」での作者の言葉が非常に読み応えのあるものだった。

ともあれ、現代史における佐野史観、そのあたりは興味深かった。

佐野氏の作品はノンフィクションだが、ドラマチックであり、そこでは奇妙な縁やつながりが描かれる。
実はその部分が過ぎるとまるで梶原一騎のような語り口となり、読んでいる分には面白いのだが、“私”が語り過ぎではないか、と思うところもある。
ただ、今回はいつもに比べるとより“小文字”で綴られた人間群像となっていたように思う。

人を引き付ける力のある文章を書くことのできる人だと思う。
佐野氏の著作はさほど読んでいなかったので、その後「旅する巨人」も読んだ。 

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

 

 こちらはまだ、初々しさも感じる、好著的内容だった。


引き続き彼の著作は読んでいくことにする。

とりとめのない長文なので修正するかもしれません。