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アーシュラ・K・ル・グウィンの小説「ラウィーニア」

 

ラウィーニア

ラウィーニア

 

 メタ小説の形式を通して描かれる古代ローマ帝国以前のイタリア、そして女性

数年前に「ゲド戦記」(「アースシー」)シリーズを読んで以来、ル・グインという作家のことがずっと気になっている。
著作もその後、断続的ではあるが、読み続けている。
だが、感想メモは残せていない。
読んで感銘は受けるのだが、それを文章にまとめるのがどうもうまくいかない。
彼女の小説は基本的にエンターテインメント作品だ。
作品世界に入ることが難しい読み物ではないと思う。

だが、読んだ内容、感銘を受けた部分について自分なりに言葉に置き換えようとすると、うまくいかない。
書いていることが、思っていたことに一致しないというか、まとめきれずにこぼれ落ちててしまう印象がある。
私の理解力、文章力もの不足もあると思う。
だが、簡単なまとめの文章ではすくいきれない複雑に入り組んだ内容が作品に盛り込まれているのが大きな理由ではないかと思っている。

そしておそらく、だから私はル・グインの作品に惹かれているのではないかと思っている。

今回読んだ「ラウィーニア」についても同様だった。

うまくまとまるかわからないが、読んだ記録として、感想を書くことにする。

この小説はル・グインが70歳代の後半に書き上げた長編だ。そして現在87歳という年齢を考えると、これが最後の長編ということになるのだろう。


アマゾンに掲載されている書誌はこんな具合

内容紹介
SF/ファンタジー界に君臨するル・グウィンの最高傑作、ついに登場! 英雄叙事詩アエネーイス』に想を得て、古代イタリアの王女として生きた一人の女性の数奇な運命を描いた、壮大な愛の物語。

内容(「BOOK」データベースより)
イタリアのラティウムの王女ラウィーニアは、礼拝のために訪れた一族の聖地アルブネアの森で、はるか後代の詩人ウェルギリウスの生き霊に出会う。そして、トロイア戦争の英雄アエネーアスの妻となる運命を告げられる―古代イタリアの王女がたどる数奇な運命―叙事詩アエネーイス』に想を得た壮大な愛の物語。SF/ファンタジー界に君臨するル=グウィンの最高傑作、ついに登場!2009年度ローカス賞(ファンタジー長篇部門)受賞作。

 この小説は作りがちょっと変わっている。

古代ローマの詩人ウェルギリウスの一大叙事詩アエネーイス」を基に、ル・グインが主人公の妻となった女性、ラウィーニアを語り手として物語を再構築した作品なのである。
さらにこの小説では、ラウィーニア自身はウェルギリウスの創造上のキャラクターと描写される。
物語ではラウィーニアが語る世界に"創造主"でもあるウェルギリウスが現れ、そこでのやりとりがあり「アエネーイス」の物語が始まるというメタ小説的な構造になっているのだ。
そして、その物語構造については明確には描写されない。あいまいにぼやかしたものとなっている。

作品を書くに至った経緯を作者は「著者あとがき」でこのように書いている。

この小説の設定、あらすじ、登場人物は、ウェルギリウス叙事詩アエネーイス』の後半の六歌に基づいている。
かつてヨーロッパや南北アメリカでは、ある程度の教育のある人なら誰でも、アエネーアスの物語を知っているという時代が長く続いた。
トロイアを起点とするアエネーアスの旅、アフリカの女王ディードとのロマンス、アエネーアスの冥界訪問は共通の知識であり、詩人、画家、オペラ歌手などにとっては言及の対象や引用の源、また題材としてもなじみの深いものだった。中世以後、ラテン語は死後といわれながらも、ラテン語文学によって生きつづけ、作用を及ぼし、影響力をもつものだった。しかしそういう時代は終わった。前世紀の間に、ラテン語の教授と学習は衰退し、専門的な学術分野だけのものになった。ラテン語がほんとうに死んでしまえば、ウェルギリウスの声もついに沈黙せざるを得なくなるだろう。それはほんとうに残念なことだ。ウェルギリウスは世界有数の詩人なのだから。
ウェルギリウスの試作品は、非常に深いレベルで音楽的なので、その美しさは音の響きと語順に深く結びついており、本質的に翻訳不可能だ。ドライデン、フィッツジェラルドのような人たちでさえ、その魔法をつかまえることができなかった。しかし、このテキストと一体化したいという翻訳者の渇望は抑えきれないほど強い。その渇望のゆえに、わたしは、この叙事詩からさまざまな場面や予兆をとりだして、それらを小説にした。いわば、異なる形式に翻訳したのだ。その翻訳は部分的であり、中心より周辺にスポットをあてたものだ。けれども、忠実であろうと心がけた。そして、私がこの物語を書いたのは、何よりも、かの詩人への感謝の表明、つまり愛をささげる行為だ。(P355-P356)

翻訳者あとがきによると、ル・グインは中学校でラテン語を習ったが中断。大学院のときにまた勉強したが、詩作品を読みこなすまで至らなかったという。
それが70代になってから一念発起してラテン語を学び直して「アエネーイス」をラテン語で少しずつ読み始めたのだという。
そして、「ウェルギリウスの声を聴く喜び」に浸るうちに、「ラウィーニアの声が彼女の言葉を語るのが聞こえてきて」本書を書き始めたとのことだ。

私自身はウェルギリウスについては世界史の授業で名前を覚え、ダンテの「神曲」でダンテの地獄・煉獄界をめぐる際の案内人くらいのことしか知らなかった。

アエネーイス」の内容は短く書くと以下のようなもののようだ。

トロイア戦争でギリシアに滅ぼされたトロイアの王子アエネーアスの一党は地中海をめぐる放浪の旅を続け、予言に導かれ現在のイタリアにたどり着き、そこでラテン一族との戦いを経てそこに王国を立ち上げた。そして、その血統は後のローマの栄光の時代を築いた初代皇帝アウグスティヌスに受け継がれていった。

その後岩波文庫版「アエネーイス」も手に取ったが、古めかしい韻文でもあり、読むことは断念し、訳者序言とあとがきのみを読んだ。

序言で、訳者の泉井久之助はこのように書いている。

この訳書は、古代ローマの国民詩人として当時すでに一世に仰がれ、今も詩宗として世界的に尊重されるウェルギリウス(ヴァージル)が、トロイアの英雄アエネーアースによって、そのさまざまの受難と苦闘のすえ、ついに神助のもとにローマ国家創建の礎がおかれた次第を、華麗かつ勇壮に歌った長篇の叙事詩アエネーイス』の全訳である。

あとがきでこのような言葉。

詩は、その主人公、トロイアの英雄アエネーアースが、最後に宿敵トゥルヌスを倒すところでにわかに終わっている。

「ラウィーニア」では、その後も描かれている。
アエネーアスがラテンの地で王となってからその3年後に没したこと、さらにその息子らの時代についても語っている。

 

 

ということで、感想なのだが、他の人のネット上での書評などでは
序盤での物語の設定を描写している部分は読みづらいが、その後はものすごく波乱万丈の面白い物語展開がある。
というように書いている人が多い。

私自身は、現代人の読み物とするとそこまでの娯楽作としての面白みはなかったような気がする。
ただ、現代の言葉、文化のフィルターを通したところではあるが、古代ラテン世界の雰囲気、空気感は読書しながら感じることができた。
それはなかなか興味深く非常に味わい深かった。

本文の始まりと、ラストの部分が素晴らしい。

冒頭の文はモノローグが延々と続き、おぼろげなものから次第に形をとっていく"わたし"ラウィーニアの存在が語られる。
この部分は、初読の際はかなり読みづらかった。だが本文を読み終えた後に読み直すと、格別の味わいがあった。

こんな言葉から始まる。

わたしは自分が誰だったか知っている。わたしのものだったろう名を人に告げることができる。
けれど、いま、わたしが存在するのは、わたしが書き記す文字列の中だけだ。

物語のラストでは、語り手であるラウィーニア、物語の主人公であるラウィーニア、ウェルギリウスの創作により不死の存在となったラウィーニア。
さまざまな様態のラウィーニアが混然となってとらえどころのないものに変貌していく。

最後の言葉が心を打つ。

ほんのときたま、わたしの魂が女として目を覚ますときがある。そんなとき耳を澄ますと、沈黙が聞こえる。沈黙の中に、彼の声が聞こえる。

 

 私の読んだ感想からすると、古代ギリシャ、ローマの文化が欧米のように根付いていない日本ではやはり、誰にでもおすすめできるわかりやすい小説ではないような気がする。

ただ、前作「西のはての年代記」に心を動かされた人なら読んでみる価値はあると思う。ル・グインの創作者の意識として通じている部分がある。そして、「西のはての年代記」にあった一種独特の“感じ”はこの作品にもある。
「西のはての年代記」については、また再読したときに感想を書いてみたいと思っている。

 

ギフト 西のはての年代記? (河出文庫)

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ヴォイス 西のはての年代記? (河出文庫)

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パワー 上 西のはての年代記? (河出文庫)

パワー 上 西のはての年代記? (河出文庫)

 

 

パワー 下 西のはての年代記? (河出文庫)

パワー 下 西のはての年代記? (河出文庫)