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映像、書物、音楽などについての感想

ちばてつやの漫画「おれは鉄兵」(講談社漫画文庫版全12巻)

おれは鉄兵 全12巻完結 (文庫版)(講談社漫画文庫) [マーケットプレイス コミックセット]
おれは鉄兵 (1) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (2) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (3) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (4) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (5) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (6) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (7) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (8) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (9) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (10) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (11) (講談社漫画文庫)おれは鉄兵 (12) (講談社漫画文庫)

この作品はリアルタイムで読んでいた。アニメは見ていない。
奇妙で唐突な終わり方に拍子抜けした漫画だった。
図書館に文庫版があると知り、読んでみることにした。

連載時に子供だった私は主人公の鉄兵にはシンパシーを感じることができなかった。
鉄兵にはやんちゃで野性的ということではくくりきれない、いかがわしい部分、利己的で小ずるい部分もあり、読んでいて感情移入することができなかった。
単純に天真爛漫とは言いがたいキャラクターだったと思う。

以下、40年ぶり(!)に 読んでの感想メモ。

私は絵の上手い下手について、技術的なことはよくわからない。

ただ、この私でもこの漫画を読んで、ちばてつやという人が漫画が非常に上手い人だということは感じた。

絵の1カット1カットのコマのつなぎ、それをページに割り付けたコマ割りが上手い。スムーズに読め、かつ躍動感がある。
絵をページに割り付けて、分かりやすく、面白く、ダイナミックにシークエンスを描く手腕は、日本の漫画史上においてもまちがいなくトップクラスなのではないかと思う。
アクションシークエンスを読んでいるときの興奮、カタルシスは、現役トップクラスの漫画と比べてもひけは取らない。
剣道の対戦シーン、特にクライマックスの関東大会決勝戦での菊池との戦いには引き込まれた。
ここまで読んでいる人を引き付けるアクション・シークエンスを描ける漫画家はなかなかいないと思う。

ただ、この漫画、リアルタイムで読んでいたときも、ストーリー展開としては「変な漫画」だと思っていた。
埋蔵金を探して山奥で父親と暮らしていた野生児の鉄兵が、“文明社会”で暮らすようになる。
そして集団生活の中で我を張りながらも、努力と苦闘のすえに剣道の修行を続ける。
そして関東大会で団体、個人ともに優勝を獲得する。
だが、その後、研鑽した剣道の道や学園生活をあっさり捨て去って、父の船に乗り込み、海に沈んだ財宝探しの旅に出てしまう。

人間社会に入って見つけた唯一の自分の道である剣道の世界を放棄して、再びレールから外れた世界に旅立ってしまう唐突さにびっくりした。
今まで延々と描かれていた、鉄兵が勝負に執着していた剣道を中心とした学園生活はいったい何だったんだ、という感じである。
作者のちばは菊池戦を全力で描き、出させるものすべてを出し尽くしたことで、もう剣道のことを描くモチベーションがなくなってしまったのかもしれない。
ちばはあとがきで、元々題材に剣道を選んだことに特にこだわりがあったわけではない、と語っている。

最終ページの2つのコマは、こんな具合である。

ドッドッドッと去っていく海の彼方に去っていく船の姿に以下の吹き出し。
「無責任な鉄兵親子と八人の仲間をのせた砕氷船は、太平洋にのぼる朝日の中にすいこまれるように旅立っていった……」
コマの左下には「おひまい」の描き文字。

そしてその下のコマにはお茶を傍らに正座した作者・ちばてつやの姿。
「えー…ながいあいだ『おれは鉄兵』をかわいがってくれて本当に本当にホントにホントーにありがとうございました」
「またいつかお会いする日をたのしみに……」

講談社コミックスでは31巻になる大作としてはなんともしまらないエンディングではある。
剣道の対戦シーンなどは素晴らしいが、筋が通っていない作品ということになるのではないかと思う。
ただ、ちばはこのようにもあとがきで語っている。
「僕の場合は原作つきのケースを除けば、最初に描きたいキャラクターと最低限の設定だけを考えて、あとはそのキャラクターが動くがままに話を進めていくという描き方をするので、この作品についても特に鉄兵に剣道をさせようとか、こんな道に進ませようとか考えていたわけではないんです」
まあ、そういう作品ということなのだろう。
あとがきインタビューではちばは鉄兵というキャラクターが大好きで、好きなあまり可愛く描きすぎ、次第に少年からやんちゃな幼稚園児のような姿に変わってしまっていったと語っている。
文庫版の表紙を見ると、作者の鉄兵への愛情が良く伝わってくる。
1巻目からすでに幼稚園児の鉄兵である。
最終巻の無邪気な笑顔の鉄兵は素晴らしく最高である。


この文庫版には複数の教育関係の人が感想文を書いている。
その多くの人が、今の子供に失われた野生の輝きが素晴らしい、といった趣旨のことを語っている。
私の再読した印象は、この少年が現代社会にいたら確実にスポイルされるだろうな、だった。
はっきりいって鉄平のやることは無茶苦茶である。
そして、そのアウトローな無茶苦茶さが「自由奔放さ」として許された最後の時期が’70年代だったのだろう。

鉄平は物語のアーキタイプとしては明らかに「トリックスター」である。
「ヒーロー」では決してない。
子どものときの私はユングのことなど知らなかったので、「無茶苦茶な奴」という認識しかなかったが……。
そして、ちば、脚本協力の七三太朗もそんなことは意識することもなかったと思う。

トリックスターが主人公の物語ということであれば、支離滅裂なストーリーということも合点がいく。

作者の愛情による変化もあるが、ボーッとした風貌の少年が、我が強くやんちゃな幼稚園児のような少年に変わっていく。その点が興味深かった。

物語の序盤では、もっさりと、どちらかといえばぼんやりとした少年が、文明社会に入り、人間関係の中で自我に目覚めていく。
目覚めた自我の発露で「俺が俺が」と利己的に動くが、そんな中で周囲の人間との距離の取り方を自分なりに学んでいく。
対人関係が生まれたことで“我”が生まれ、周囲と衝突、さまざまなトラブルを起こしながらも、人間関係を構築できるように成長していく。
作者はさほど意識していなかったと思うが、そんな過程が見れる作品になっているように思えた。
物語の終盤では鉄兵も他社に対する思いやり、配慮もできる人間になり、魅力的になってきている。

解説でそのあたりを書いてくれる人がいればよかったのだが、ピンとくる言葉はほとんどなかった。「ジェンダー論」で鉄兵を否定的に書いている人の言説は驚いた。

例えば、現代の子どもたちにとって(特に男の子にとっては)、この作品を読み進めていくことは、おそらく、とても辛いことだと思います。「男はこうあるべきだ」というメッセージを感じ取りながらもページをめくるごとに、その疲労感はきっと増していくことでしょう。「勝たなきゃいけない。強くなくちゃいけない」という強迫観念が子どもたちにとって脅威になるやもしれません。

第9巻解説「男らしさ、女らしさ、自分らしさ」内海崎貴子(大学教員)

おれは鉄兵」に女性がほとんど登場しないこと、そこで描かれる女性像など突っ込みどころといえる興味深い点をこの人は指摘しているのだが、それにしても、そこまで書くか?という感じである。
この人は少年漫画というものをほとんど読んだことがないとしか思えない。「ワンピース」がそうであるように、“勝利を目指す”という少年漫画の大原則は今でも変わってはいない。

鉄兵のようなキャラクターは現在の漫画ではあり得ない。ただ、それは彼女の語るような意味ではないのだが……
この人が「のたり松太郎」を読んだら卒倒してしまうのではないだろうか。


また、古い漫画のことを書いてしまった。連載中の漫画も最近はまとめてかなり読んだのだが、書こうという段になると古い漫画になってしまうのはどういうわけなのだろう。

続けて、萩尾望都「メッシュ」、曽田正人「昴」「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」について書いてみたいと思う。