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石原慎太郎「国家なる幻影 わが政治への反回想」

同じ著者による「私の好きな日本人」を読んで、
色々と取りざたされる、この人が国家というものに対してどのような認識を抱いているのかに興味を抱いた。
人としての在りどころとして、その核になるものとして“国”について考えていると語った彼の国家論を。
700ページ近いボリュームであり、1週間くらいかかりそうだ。
現在、100ページ台だ。文章としてはやや、散漫な感もある。

この時点で気になったのが、意外にこの人は自分の根本的な行動理念については書かない人なのではないかということ。

著者はベトナム戦争の従軍レポートをしたことで、ベトナムと日本の間に親和性を感じ、国家のありかたに色々と思うところあって参議院選への出馬を決意したと書いている。
だが、肝心な“色々思ったこと”についてははっきりと触れていない。
おそらく救国の理念ではないかと思われるが、具体的な明快な主張はない。
政治家を志向した具体的で根本的なことが書かれていないのだ。
そのことにちょっと驚いた。
高齢でもあり、いまさらそんな青臭いこと、という意識なのかもしれないが、アレレという印象だ。

とはいえ、この時点でも興味深い記述があり面白い。

この本によると著者自身は目立ちたがり屋では決してなく、
裏方で権謀術数をめぐらすのが得意な人間だそうだ。
また付箋をつけつつ読み進んでいくことにする。

などと思っていたら
P120あたりから、いわゆる右翼的ともとられる発言が出てきた。
太平洋戦争があったことで、植民地支配を受けた非白色人種国家が独立することになった。
明治百年行事において、天皇陛下万歳と叫んだ声が、石原氏、そして彼によれば会場にいた人々に巻き起こした“熱い熱狂”のことなど。
ここで、政治家が政治家たり得る最大の要件が情熱とするなら、その情熱を醸し出す始原的な土壌について、私はあの時あの場で突然感知させられたといえる。とそのことについて著者は書いている。

現在P140まで読んだ。
結論として、集中して読まなくてもよいと判断。飛ばし読みをすることにする。

気になった部分
P67 田中角栄首相が突然ウラニウムの買い付けに関して日本独自のルートを開発すると明言して外遊し、それがアメリカの逆鱗に触れアメリカの陰謀で例のロッキード事件が仕組まれ、世界中であった同種のスキャンダルが日本でだけ大問題となり、金権問題で総理の座を降り次期の座を狙っていた田中氏はその政治生命にとどめを刺された。
田中氏の失脚を喜んでいる面目は、原子力問題に反対するグリーンピースが米国オイル・メジャーの金で動いているという噂を知っているのだろうか。
P73 ひねった警句という意味ではないが、政治家が政治家たるための最低必要条件として選挙があり、地上より一段高い街頭宣伝車の屋根の上から大衆に向けて演説し続ける限り、一段高いゆえに当然よりよくものが見えるはずだ。さして高くないが、あの位置からの話しかけというのは象徴的なものがあるように思える。実際にわずか2メートル半程度だが、あそこに立つと日頃では不可能な視点を街中でもつことができる。そこに政治家が立つことはある意味で暗示的といえる。その眺めは特定の群集を相手にしてものとは違うアニメイティングな眺めだ。
P120 日本が起こした戦争こそが、実はヨーロッパの近代主義を終焉せしめたということを、彼ら(連合国側)は歴史の予感としてすでに知っていたせいだ。レーニンは「近代ヨーロッパの繁栄は、彼らの植民地における豊富な資源の収奪と奴隷に近い安価な労働力の使役のみにおいてあり得た」といっているがそれはまさにその通りだ。そしてその繁栄の構造を破壊させたのは有色人種が作った唯一の近代軍事国家日本の存在だ。日本が引き金引いて始まった太平洋戦争が、副次的にアジアだけでなく世界の植民地の独立をうながした。いたずらにそのことで高ぶることもないが、そのことを認識し持つべき自身はもったほうがいい。歴史に限らず人間の物事には必ず相対的な意味と価値があるので、戦争についてもただ善か悪かなどで評価をすることはできない。粗暴な二元論では本質的な意味なり価値を見出すことはできない。毛沢東著作「矛盾論」を評価。ここから先の右翼的な発言に続いていく。
↓に続く。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20110822/1313997208

国家なる幻影―わが政治への反回想