見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

五十嵐太郎編・著「ヤンキー文化論序説」続き

読了した。

1.ヤンキー文化とはなにか
2.ヤンキー系表現の世界
3.地域社会のなかのヤンキー
4.ヤンキー文化の射程
の全4章構成になっている。
1.〜2.までは面白く刺激的な読み物なのだが、3.〜4.については
ネタとしての引きの弱さ、正直言って一部書き手の文の弱さもあり面白みは減った。
ただ、最後を締める斎藤環
「ヤンキー文化と『キャラクター』」という論文が素晴らしい。
ここでさまざまな人が書いていたことを総括したものとなり、さらにその先に進もうというスタンスを示した内容となっている。

宮崎駿が「湘南爆走族」を高く評価していたことなど、
気になった部分をここにメモするつもりだったのだが、後半の論文を読んでその意欲がなくなったのでメモは省く。

先達による過去文献として宮台真司の映画「国道20号線」評、ナンシー関のコラムが掲載されている。
巻末にはヤンキー文献ガイドとして参考図書の紹介がある。こちらは充実している。
図書館で探して読んでみたいものもあった。

メモは残さないつもりだったが、
斎藤環の論文は非常に示唆に富んだことを多く書いていたので備忘録としてメモを残すことにする。

◆「文明」が「生活に欠くべからず合理性」であるとすれば、「文化」とは「生活に欠くべからず非合理性」である。
ナンシー関は芸能界を支配する美意識の大部分がヤンキー的なものから出来ていてることをあっさり指摘した。
◆疎外の対象としてのヤンキー性でなく、われわれ自身にも内在されている「裡なるヤンキー性」に注目したい。
浜崎あゆみのコンサート会場そばに停まっていた車がヤンキー仕様だったこと。
矢沢永吉浜崎あゆみ という変遷。
◆文化としてのヤンキーを論ずる角度には色々あるが、一貫して関心を向けているのは、個人の美意識にひそむヤンキー性。これは不良文化という言葉を使ってしまっては、ただちに霧散霧消していまう儚い美学である。
◆斎藤はナンシー関が見出した問題意識の踏襲をこころざすものとして、「不良の美学」ならぬ「ヤンキーの美学」を研究していきたいと語っている。そしてヤンキー美学のサンプルを挙げている。
◆「日本人の美意識を野放しにしておくと、結局は金閣寺ができてオシマイだなあ」という言葉に衝撃を受けたという斎藤。
◆ヤンキーにおける過剰さを追求する様式性についての考察。
◆そしてその「様式」を規定するのは「キャラクター」である。という説。
◆ただこの「キャラクター」については文字数の関係が深い解説は書かれていない。
ここから先は自著を準備中である。

“個人の美意識にひそむヤンキー性”か。
非常に興味深いテーマだ。


とりあえずこのへんでおしまいにする。

ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説