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ジュリアン・コープ「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー 」02

上記の大著の読書メモ。
ジュリアン・コープ「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか-」01
からの続き

第1章の
1.マッカーサーの子供たち
2.日本のエクスペンタリズムの音楽(1951-69)
まで進んでいる。
2.の内容に驚いた。意外に好印象を抱いた。

著者は日本のロックを語る前に、'50〜'60年代の日本の現代音楽の作曲家の活動を書いている。

日本のロック史を書いた書籍で、
その前史として、現代音楽の作曲家の活動にある程度のボリュームを割いていた書籍を読んだ記憶はなかった、と思う。

通常は'70年代から日本のロックの歴史を語っているものが多い。その前にエレキ、みたいな。

とはいえ、私自身は
ある種の実験的なロックについては、現代音楽の流れから通低するものがあるのではと思っていたりした。
ただ、自分の知識も乏しく、さらにそのような視点から書かれた書籍もなかったのでそのあたりを俯瞰して知ることはできなかった。

それを外国人が書いているのである!

私自身は、実験的と称されたプログレッシヴ・ロックや、その一つの流れとみなされていたクラウト・ロックなどが好きで、
かつ'80年代の西武文化の洗礼も受けていたこともあり、現代音楽について
半端な知識はあったのだが、ここまでの文化史としての通時的ビジョンは持っていなかった。

著者の外国人ならではのざっくりとしてはいるが、それゆえにこその新鮮な時代認識に驚いた。
極東の島国の現代音楽の状況など良く調べたものだ。

黛敏郎、秋山邦晴、一柳慧といったロックのフィールドからはあまり語られることのない人物については私の知らなかった記述もあった。
そもそも若い人は一柳がジョン・ケージの元で学び、オノ・ヨーコと結婚していたことなど知らないのでは。

ただ、これがどう'70年代につながるのか……という疑問もある。まだ読み進めている途中なので。

なんで日本人がこの視点でまとまったものを書いていなかったんだ、という印象だ。
この本では事実関係の信憑性に疑問が出るのはしかたがないことなので、自国の日本人にこういったものを書いてほしかった。
この著作での提起を妄想のたわごとで済ます人も出そうなだけに……

おそらく、この後も明らかな事実誤認はたくさん出てくると思える。
だが、
現時点では、著者の間違いをあげつらってこの本を否定する気にはなれなくなっている。

また読み進めるごとに更新していくことにする。

↓に続く。
「JAPROCKSAMPLER ジャップロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか-」03