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高木仁三郎「原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛」

“反原発”の作家・広瀬隆著作「FUKUSHIMA 福島発メルトダウン」に続いて、
脱原発”の本を読むことにした。

この本は、脱原発を代表する原子力関係の科学者・高木仁三郎が2000年に発表したものだ。
著者はこの書籍を出版した2000年の10月に死去している。
今回、
福島第一原発事故を踏まえて、今年の5月に文庫で復刻版として出版されたようだ。

「FUKUSHIMA 福島発メルトダウン」で指摘されていた福島原発事故の原因と思われる問題点が、
11年前に書かれたこの本で、筋道立てて誰にでもわかるように書かれていた。
その的確さは恐ろしいほどだ。

原発に対する自分のスタンスをはっきりと示した上で、
原子力の問題点をわかりやすく俯瞰した素晴らしい内容になっていた。

かつ書き手には扇情的なところがなく、おちついたトーンで文章が展開していることにも好感を抱いた。
“反原発”の広瀬隆はそのあたりときたま感情的になる部分もあるので、こちらのほうが自分としてはしっくりきた。

この本は“原発”だけのことについて語った本ではない。
20世紀に生まれ、
人類が画期的な新しいエネルギーとして夢と希望を抱いた“原子力”が結局人類の手には余るものだと、章ごとに項目を立て、その理由を論じたものである。
そして現実に私たちの生活に関わる原子力の利用方法としての“原発”の問題点について解説した本だ。
科学者としては比較的珍しく、原子力開発の歴史的な位置、国際社会、日本の社会構造も踏まえたうえで、原子力開発を俯瞰している点がこの原子力の“概論本”としての価値を高めているように思える。

著者は“神話”という言葉をキーワードに、その問題点を解説している。
以下9つの“神話”を著者は検証。
1.「原子力は無限のエネルギー源」という神話
2.「原子力は石油危機を克服する」という神話
3.「原子力の平和利用」という神話
4.「原子力は安全」という神話
5.「原子力は安い電力を提供する」という神話
6.「原発は地域振興に寄与する」という神話
7.「原子力はクリーンなエネルギー」という神話
8.「原子力はリサイクルできる」という神話
9.「日本の原子力技術は優秀」という神話

そして、それぞれの神話が現実とはかけ離れており、実現できなかったこと。
神話は結局“国家”に代表される組織の思惑によってつくられた(仕立て上げられた)“呪縛”であったと結論づけている。

示唆に富んだ指摘が数多くあったが、中でも、興味深かった点を挙げる。

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1.日本の原発においては政府の産業政策としての面が非常に強い。特に産業経済省(通産省)の思惑が大きい。
2.「放射性廃棄物をいつの日か無害化できるという期待があった」(P48)が、そのことは現状では非常に困難である。
3.原子力で膨大なエネルギーを取り出して、さまざまな用途で利用することが期待されたが、結局はお湯をわかしてタービンを廻す効率の悪い原発しかできなかった。
4.原発の安全性は、原子力発電所の安全性にばかり注目し、しかも工学設計上の安全という点に問題がしぼられて語られている。人的ミスへの配慮が少なすぎ、安全性においてはこれでは不十分である。

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湯川秀樹が'50年に発表した原子力についての詩「原子と人間」が本文中に掲載されている。
著者は、この詩から科学者を含め当時の知識人が原子力に抱いていた夢のエネルギーとしての“期待”と、放射能への“恐れ”を見ることができると語っている。

結局、著者が訴えていることは以下のように集約できるのではないだろうか。

“現在の人類のテクノロジーでは原子力への“期待”を現実のものとすることはできない。
そして残っているのは“恐れ”だけであり、それも克服することは非常に困難である。
それは原子力(放射能問題を含め)をコントロールできるテクノロジーを現在の人類は持ちえていないからだ。
そしてその目処は今のところない。
“恐れ”の部分は現実化した際に大惨事となる可能性がある。
ゆえに、できるだけ速やかに原発からの脱却をはかるべきである。”

ということだと思う。

原子力からの脱却を世界的、歴史的な視点で論じた好著だと思う。
この本で書かれていることは当分風化することはなさそうだ。

なぜかというと、
技術が進歩していれば、10年前に書かれたものが陳腐化することはあるが(IT関連など)、
不幸なことに原子力に関するテクノロジーにおいては、もはや現状では画期的な進歩は望めないからだ。
(この著作によればだが。もしかすると違うのかもしれないが、おそらく著者の指摘が妥当と思われる)。

原発事故直後、週刊文春の記事を読んだときに
立花隆は“工学設計上の安全”を根拠として原発の安全を語り、自家製原発の可能性があると主張していたが、あれは何だったのだろう?
この本を読む限り、彼の主張に妥当性があるとは思えない。
それなりの著作がある人物でもあるので、簡単に原発擁護派としてとらえず、
立花が原発についてどう考えているのか、彼の著作を読み、その真意を確認してみたいと思った。
ただ、この人、もしかしたら原子力については“専門外”で突っ込んだ調査・研究はしていないのかもしれない。

原子力神話からの解放 -日本を滅ぼす九つの呪縛 (講談社+α文庫)

原子力神話からの解放 -日本を滅ぼす九つの呪縛 (講談社+α文庫)

↓同じ著者の「市民科学者として生きる」もこの後読んでみた。こちらもいい本でした。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20111014/1318588212
そちらを読んで知ったことを追記。
著者は原発に対して“脱”と“反”に対するこだわりはないそうです。
ただ、原発開発黎明期からたずさわってきた人間として“脱”よりは“反”が自分に馴染むので
“反”という言葉を使っているとの事でした。