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宮崎駿、丹羽圭子による映画「コクリコ坂から」の脚本

宮崎吾郎の映画と脚本がどのように違っているかに興味があったので読んでみた。

脚本のはじめに但し書きがある。
監督は脚本をもとに絵コンテを書き、スタッフはその絵コンテを手にして映画を制作する。完成した映画は、さまざまな事情・理由で変更が生じて脚本通りにならないこともある。そのあたりも実際の映画と比較すると面白いかもしれません。といった趣旨の文章である。

で、読んでみたのだが、個人的にはことさらに興味深いものはなかった。
情感はあまり盛り込まない、ざっくりした脚本という印象だった。
脚本として本来あるべきものという感じ。
“絵”のつくりについても詳細な指定はない。
あの映画の映像はやはり、宮崎吾郎の意図したものだったと確認できた。
そのくらいである。

ということで、
むしろおまけとしてついている宮崎による「企画のための覚書」、鈴木プロデューサーによる「企画はどうやって決まるのか」の方が興味深く読めた。

脚本を宮崎と共同で担当してる丹羽圭子という人のことはよく知らなかった。
鈴木プロデューサーによると、彼が雑誌アニメージュの編集長をしていたときの部下だった人とのことだ。
たまたま編集部に来た脚本家の一色信幸が丹羽を見かけたことで、彼女と一色が松竹シナリオ研究所の同期だったことが判明。クラスではシナリオが抜群にうまく“天才少女”と噂もされていたと一色が語ったそうだ。だが、彼女は特にシナリオを書いていたことは鈴木には語っていなかったらしい。
彼女の文章を評価していた鈴木が、その後脚本を依頼するようになったのだという。

宮崎との脚本の作業の進め方だが、以下のように進められたそうだ。
企画・設定・プロット・アイデアを宮崎が出し、それをホワイトボードに書き、宮崎が内容をしゃべりまくる。
しゃべりながら思いついたことをさらに次々としゃべりまくる。
それを聞いて丹羽が一晩で原稿に書き起こす。しかもつじつま合わせも済ませて。
そしてその間に宮崎はさらなるアイデアを考え、翌日のミーティングで継ぎ足していく。
その作業の繰り返しで原稿を作成していったという。
ただ、宮崎の頭の回転の速さ、もしくはそのすさまじい“朝令暮改”に過去、共同作業したシナリオ・ライターはみな脱落していったという。
彼女だけが、続けて宮崎についていけたのだという。

鈴木プロデューサーによるとほかに複数の企画があったが、それが潰えて今回「コクリコ坂から」になったそうだ。

当初考えていたは、“やかまし村”“ピッピ”シリーズで知られるアストリッド・リンドグレーンの「山賊のむすめローニャ」だった。
だが、その企画がピンと来るものにならなかったので、次に山本周五郎の「柳橋物語」を検討したという。
だがその企画もつぶれて「コクリコ」となったと語っている。

ちなみに「柳橋物語」は「江戸時代に起きた地震と洪水と大火で大混乱に陥る江戸の街を背景に、若い男女の話が絡む」という話だそうだ。
柳橋物語」が映画化となっていたら、地震と洪水という題材だけに今年は公開はできなかったもしれない。

脚本 コクリコ坂から (角川文庫)

脚本 コクリコ坂から (角川文庫)