見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

瀬々敬久監督、岡田将生・榮倉奈々主演の映画「アントキノイノチ」

遺品整理業に就いた若者を主人公にした人間ドラマ。
さだまさしの小説を映画化したものだ。
原作は未読。読む予定だ。
読んだら更新したい。

岡田将生榮倉奈々が好感のもてる誠意のある演技も見せている。脇の原田泰造も静かな演技でいい感じだ。
また、ワンポイントで出演する柄本明が印象に残るメリハリの利いた芝居を見せる。

で、この映画自体についての感想だが、
大人が熱意を込めて作ったものをあげつらうのは好きではないが、
主演の2人の演技に好印象を抱いただけに、
それをフォローする脚本、映像演出について非常に残念に思った。

アントキノイノチ」の脚本を瀬々監督と共に担当した田中幸子は、東京藝術大学の映画専攻脚本領域一期生である。
現在までに藝大教授でもある黒沢清の監督作「トウキョウソナタ」や「雷桜」「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」の脚本を手掛けている(いずれも共同脚本)。

ちなみに、
東京藝術大学では2005年に大学院に映像研究科を設置、
そこで脚本領域のコースを設けている。
現在脚本領域の教授をしているのは筒井ともみ。以前は助教授として田中陽造もいたようだ。
筒井は「それから」「失楽園」「阿修羅のごとく」「海猫」など森田芳光監督作を多く手掛けている脚本家だ。
代表作は「それから」になるのだろうか。

脚本を中心として物語創作の過程に興味がある私は、藝大の脚本コースというものからどのような作家が生まれるのか注目していた。
私立でない国立の大学、しかも“天下の藝大”による映像クリエイター育成のコースで生まれる脚本家である。どのような脚本家がでるのかと思っていた。

教授が筒井ともみ(初めは助教授だったようだ)というのも、そのキャリアから考えると星の数ほどいる脚本家の中から、なぜ彼女が選ばれたのか不思議ではあったのだが興味深く思っていた。

そんなこともあり、この映画がどのように仕上がるか注目していた。

で、見た感想だが、
まず、脚本に問題がある映画だったと思う。

見ていて「これ、変じゃないの」と思う箇所が多くある。
例えば、榮倉が片付け現場をコンパクトカメラで撮影しているシーンがある。
そして、その後、岡田と居酒屋で話をしているときに
「何で写真撮ってるの?」と聞かれた榮倉は「プロになる気はないから」
と答える。
コンパクトカメラでパシャパシャ撮っているたけで、「プロになる気はないから」と人に語ることはないと思う。

いわゆる省略をしたセリフのやり取りだと思う。
「何で写真撮ってるの?」
「いや、別に」
「もしかしてプロを目指してるとか?」
「プロになる気はないから」
そんな感じの部分を略していると思えるのだが、この省略は変だと思う。
なぜなら、とてもプロを目指している人が撮っているようには見えなかったから。

また、湾岸地帯でバスに乗る榮倉がハコ乗りさながらに顔を窓の外にだして、外の風を受ける場面がある。
気持ちはわかるが、こんな風に頭を窓の外に出したら運転手に注意されてしまう。
現実的にはあり得ないシーンだ。

あと、オープニングのシーンだが、インパクトを狙ったのかもしれないが意味不明だ。
主人公の暮らしているのはマンションである。
どうして他人の家の屋根の上に素っ裸で座っていることができるのだろう?
不法侵入?
普通なら警察ざただ。
あの映像が主人公の心象風景という風には思えなかった。
岡田が素っ裸で屋根の上に座っていればインパクトはある。
ただ、インパクトがあればどんなシーンを描いてもいいわけではないと思う。
→あれは自宅だったのではと人から指摘された。もしかしたら勘違いしてるのかも。未確認。

思いつきでシーンを書いているとしか思えなかった。しかも書きっぱなしで。
思いついたらそれが違和感ないように着地点を設定するのが脚本家の仕事だと思う。
見ていて、違和感を抱かせる行動、セリフが多く、見ていて興ざめだった。


さらにヒロインが●●●してから、ラストに向けての展開は大いに異論がある。
仕事として●●●●はしないでしょ。
ヒロインもそんなことされたら嫌だと思う。

カメラワークについても意図がよくわからないものがあった。
ズームするときのあの荒いカメラの寄り方は何なのだろう。
俯瞰からズームする際、非常にガタガタと荒く寄っていく映像が目立った。
ドキュメンタリー的にざらざらした印象をもたせるためにしていたのだろうか。
もしそうだったとしたらその演出は完全に効果をあげていない、というか逆効果で違和感のみを出している。
うつぶせで落ちて死んだ人間が、次のカットではあおむけになって倒れているのも気になった。
意図不明のカメラーク、シーンのつなぎが多く、ドラマに集中することを阻害している。

見ていて一番心を打たれたのが、おそらく10分程度の登場しかしていない柄本明の芝居だった。
留守電のテープを使った何ということのないちょっとした小話なのだが、
柄本が見せる芝居の切り替えの見事さに思わずホロリとした。
ただ、この部分に心を一番動かされたということ自体に大きな問題があるともいえる。

見たものにケチをつけるのは簡単だ。
苦労して作り上げた作品を簡単に言葉で貶めることができる。
なので、創作者が苦労して作り上げたものを否定的な言葉で簡単に切って捨てるようなことは、あまりしたくない。

特に、商業映画のような、色々な絡みにしばられ製作されているものは、製作サイドからの意向もあり、本当はこうはしたくなかったんだ、みたいなものもあると思う。

というのはわかるのだが、
それにしても、違和感のあるストーリー展開、映像、セリフの多い内容だった。

ともかく脚本が残念な映画だったと思う。
芸術映画の脚本を書く人なので、商業映画の脚本は向いていないということなのだろうか。

俳優さんたちは好感のもてる演技をしていたが、脚本、演出が残念な映画だった。
外国のどこかで賞をとったらしいが、ちょっと信じられない仕上がりだと思う。
もしかしたら、終盤の違和感ある展開を省いたバージョンがあるのだろうか、とか勘ぐってしまう。

この映画を見ていない人が、周辺情報と予告編の映像だけで、“商業的な派手さはないが良心的で深い内容の映画”とか思ってしまうことがあるとちょっと残念だ。
私も実際に見ていなかったら、そんな印象を抱いていたかもしれない。

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小説は現在読んでいる(11.12.01)。追って更新したい。