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よしながふみ「愛がなくても喰ってゆけます。」

漫画家・よしながふみによるコミック・エッセイ。
いわゆるグルメ・エッセイと思って読んだ。

よしながを投影したキャラクター“YながFみ”が、都内各地の料理店を巡るという趣向になっている。
そしてYながの相方となるのが、同居人でいながら恋愛関係・肉体関係のない大学の後輩・S原。

ただ、読んでみたらエッセイではなかった。エッセイめいたフィクションである。
冒頭の但し書きにも「この話は全てフィクションです。実在する人物とは一切関係ありません。ただし、この物語に登場するお店はすべて実在しています」と書かれてあった。

以下、漫然と思ったこと。

まず、主人公の造形描写が、通常のコミック・エッセイとは違う。
24年組でいえば大島弓子、近年の大御所では西原理恵子など、コミック・エッセイの主人公の姿は、極端な誇張、簡略化で記号・アイコン化して描かれていることが多い。
自分のことなので、カリカチュアライズしないと照れくさくて描けないというのもあるだろうし、エッセイというものがある程度誇張して書かないと面白さが出ないなど、コミックエッセイというものの構造上の理由もあるのかもしれない。

しかし、この作品ではすっぴんの描写から化粧で塗り固めた描写まで、主人公、登場人物はあくまでも通常のストーリー漫画と同じ描線で描かれている。
よしながのストーリー漫画と同じ描線で、“Yなが”とその周囲の人間が描かれているのだ。
自分自身をいつも描いているフィクションと同じ絵の世界に置いている。

というか、“Yなが”=よしながではないのだ。
読んでいて、初めは違和感があったのだが、フィクションと割り切ることで楽しんで読むことができた。

第9話の“合コン編”では、“Yなが”は気に入った男をこびるようなまなざしで見つめながら「バチコーン」という擬音(オノマトペ? 漫画的にはなんというのだろう?)とともにウインクをしている。
実際にこんなことはしないだろう。ましてそれを漫画に描くなんて。
恥ずかしくてできるわけがない。

この漫画で、よしながの生活ぶりを真に受けるのは的はずれのような気がする。

私自身は作者の暮らしぶりとかよりも、地図を見れば場所の雰囲気もわかる所ばかりだったので、単純に「ああ、あそこにこんな店があるけど、そうなんだ」的に、店の料理をストーリー仕立てで読ませる漫画として楽しむことができた。
料理の描写も詳細で、行ってみたいと思う店もあった。
比較的リーズナブルな価格の店が多いのもうれしい。
ガイドブックとかではなく、足とクチコミで見つけた店という感じだ。
やはり杉並近辺が作者の地元なのだろうか。

しかし、冒頭に登場するすっぴんの“Yなが”の描写にはびっくりした。
おっさんかと思った。

どうでもいいことだが、
作者が漫画の世界に登場する作品として、なぜか私は梶原一騎・原作「プロレス スーパースター列伝」を思い出した。
そんなことを連想するのは私だけだろう。

愛がなくても喰ってゆけます。

愛がなくても喰ってゆけます。