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シカゴ『VI 遥かなる亜米利加』

VI 遥かなる亜米利加

VI 遥かなる亜米利加

イギリス、ヨーロッパのプログレからパンク、ニューウェイブを主に聴いてきたのでアメリカン・ロックは詳しくない。
なので、今さらながら'70年代初めにおけるシカゴというバンドの魅力に気付き、彼らのアルバムの足跡を発表順にたどるささやかな音楽の旅をぼちぼちと続けている。
元々彼らについての情報はほとんど知らず、音を聴きながらライナーを読む程度の知識しかない中、音の軌跡を辿っている。
勘違い、聴き違いがあるかもしれないが、記録として残しておき、間違いに気付いた、印象の変化などがあれば更新していきたい。
今回は『VI 遥かなる亜米利加』だ。

実はこのアルバムがすぐに手に入らなかったので『シカゴVII』を先に聴いてしまった。
そして、あまりにもアルバムの“感じ”が以前と変わっていることに戸惑った。
何回も聴いて、なかなかいいアルバムと(特に“ジャズサイド”が)わかったが、あまりにとっちらかったアルバム構成に困惑したのは事実だった。

で、続けて『VI』を何度も聴いた。
『VI』を何度も聴き、徐々に『VII』の各曲のばらつきについて納得ができたような気がした。

『VI』は初期の直情径行ともいえるブラスロックからシカゴが徐々に洗練されたバンドへと変わってきている過程にあるアルバムなのではないだろうか。
『VI』ではもはや以前にあったような勢いで押す豪放な曲はない。
また、ロバート・ラム、ジェームズ・パンコウ、テリー・キャス、ピーター・セテラとそれぞれのメンバーがそれぞれの曲を持ち寄っているが、それぞれの音楽的志向がかなり違う方向を感じさせる。
そしてそのばらつきが過度になったのが『VII』なのではないか。

また『VI』で徐々にロックからポピュラーミュージックに軸足が移ってきている感もある。

今の時点ではブラスロック的要素を残していた『V』のレパートリーを多く披露していた『ライヴ・イン・ジャパン』がロック期のシカゴの頂点にあるアルバムだったのかもしれないなどとも思える。

『VI』についての現時点の感想だが、個人的にはロバート・ラムの曲が非常にいい。
訳も載っている米版の解説では、ドン・ヘックマンというライターは、ロバート・ラムの曲をジョン・レノンの曲に比して語っている。
ジョンとは資質的にはかなり違うものがあるが、ロバート・ラムの曲にある独特のナイーブさは確かにジョン・レノンの世界に通じるものもあるように思える。
ピアノによる弾き語りの1「お気に召すまま」、どこか厭世的な歌詞が印象的な6「誰かが僕を」、ホーンをフィーチャーした厭世感と喧騒が錯綜するイメージの7「ハリウッド」あたりは、このアルバムでの聴きものだと思う。

資料を読むと、
シカゴのレコーディングは今回の『VI』からアルバムのプロデューサーでマネジャーでもあるジェームズ・ウィリアム・ガルシオが建てたカリブー・ランチというスタジオで行われるようになったとのことだ。
サウンドの変化はこのあたりのところが影響しているのかもしれない。
スタジオでじっくりと曲を練ることでできることがシカゴのサウンドを変えたのかもしれない。
あと思いつくものとしてはビーチ・ボーイズとの交流か……

ボーナス・トラックとしてソウル・シンガー、アル・グリーンをゲストに迎えて披露した12「タイアード・オブ・ビーイング・アローン」という曲が聴ける。アルの歌も素晴らしいが、曲の前後のやりとりが非常になごやかでいい雰囲気だ。
アル・グリーンは「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第14位とのことだ。

ただ、邦題の「遥かなる亜米利加」とは何を意味しているのか?
相変わらず、当時の日本でのシカゴ担当のディレクターのセンスが私には理解ができない。