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立石泰則「さよなら!僕らのソニー」

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

12月15日号の週刊文春の書評に白石一文という人による、この本の1ページ半にわたる紹介文があった。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20111222/1324518879
「いやはやこんなに面白い本を読んだのは久しぶりだ。小説、ノンフィクションを問わず、ここ十年来で最高の読書体験の一つだった」とまで書かれてあった。
そこまで書いているならと読んでみた。

で、読んだ感想。
そこまでのものではなかった。

著者の立石泰則という人は'50年生まれ。経済誌編集者、週刊誌の記者などを経験してきた人のようだ。
最終章を含めると全8章。
各章の扉ページにはそれぞれの写真。そしてキャプションが付いている。

以下のような感じである。

第一章 僕らのソニー
ウォークマンとヘッドホンの写真
(キャプション)ウォークマン初期型(1979年)

第二章 ソニー神話の崩壊
ワイングラスを手に穏やかな表情で何かを語っている風情の出井元ソニーCEOの写真
(キャプション)颯爽と登場した出井伸之

第三章 「ソニーらしい」商品
工場でオープルリール式テープレコーダーの試作品(?)を作っている(?)技術者を向こう側から熱心に覗き込んでいる井深元社長の写真
(キャプション)井深氏の無理難題が「ソニーらしさ」


第四章 「技術のソニー」とテレビ凋落

ショールームでコンパニオンとともに写っている薄型テレビの写真
(キャプション)ブラビアのパネルはサムスンとの合弁

第五章 ホワッツ・ソニー
SONYのロゴがボディにペイントされた社所有の飛行機から降り立ち、スーツのボタンを締めながら得意げな表情(そう取れるような顔つき)の大賀元社長の写真
(キャプション)元声楽家大賀典雄社長就任に周囲は驚嘆

第六章 黒船来襲
出井→ストリンガーのCE0異動の際の経営陣の集合写真。
(キャプション)出井・安藤体制からストリンガー・中鉢体制へ

第七章 ストリンガー独裁
記者会見時のストリンガー前CEOのバストアップ写真
※キャプションなし

最終章 さよなら!僕らのソニー
ネクタイにシャツ姿の盛田元社長がオープンリール・テープレコーダーの並ぶ部屋でピアノの鍵盤を覗き込むようにして立っている写真
(キャプション)創業者・盛田昭夫氏のスピリットはいずこに…

この章題とそれぞれの写真・キャプションの組み合わせ想像できるような内容だ。
独裁者ストリンガーの章にキャプションがないのは、言わずもがなということか……

ものすごく大雑把に言ってしまえば、この本が述べていることは以下の内容と思える。

元々、ソニーという会社は、井深・盛田という2人の創業者が、戦後の復興の中で日本が世界に誇れる技術と企業理念を持つ会社を作りたいという夢を追い、築きあげていったものだ。
だが、その後の大賀社長の後継者の選択に間違いがあり、出井社長が誕生。
そして出井・ストリンガーの経営は時代の変化に合わせるということもあるが、結果としてソニーの“メーカーとしてのスピリッツ”を損ね、“米国風企業運営術”に振り回される凡庸な企業グループにさせてしまった。
私は、ソニーという会社に日本人としてある種の“思い”を託してきたが、そういうソニーという会社はもうすでにこの世に存在していない。
さようなら!僕らのソニー

こんな感じではないかと思った。

私自身はソニーという会社に特別な思いを抱く人間ではないので、復興期からの日本のメーカーが発展し、栄華を極めるが、日本が先進国となった後、発展途上の国からメーカーとしての地位を脅かされていくというのは、資本主義社会の必然ともいえるものでもあるので、ソニーの凋落について著者ほどには感慨深いものはなかった。

また、家電というものがコモディティ化していく時代でもあるわけなので、社内のイノベーションにおいてよっぽどのことがなければ、家電メーカー・ソニーという会社の失速もある程度必然といえる面もあると思う。ゼネラル・エレクトリック社と比較するのは乱暴な面もあるが、ソニーコングロマリット化していく趨勢は単純には否定できないと思う。

著者はここでテレビを軸にソニーの凋落を語っているが、家電のコモディティ化を考えると、出井のテレビに対する“冷たい”態度もそこまで否定的に捉えなくてもいいのではという気もする。

出井CEOの発言としてこんな言葉が書かれてあった。
「テレビ画面の明るさだとか解像力美しさなど問題にならなくなる。大事なのは中身(コンテンツ)であって、誰がその中身を作り、誰がそれを配信するネットワークを支配するかである」(P180)
確かに極端な発言ではある。
このことに対し著者は、このことは一般論としては成り立つかもしれないが、エレクトロニクス部門の売り上げが70%を占め、テレビ事業の売り上げが1兆円を超えているとき、メーカーのトップがテレビ画面の美しさなど問題ではなく、コンテンツやネットワークが重要だと言うことには大いに違和感を抱いた、と述べている。
ただ、企業が未来においても生き延びていくことを考えれば、現在ある大きな市場に必ずしも拘泥することはないともいえるのではないか。

とはいえ、出井という人に対する以下の言葉にはなるほどと思った。
「出井氏は何か勘違いをしてしまい、自分も世界経済を動かしているひとりになったとでも思ったのではないかと考えた。だから第三者のようにソニーを外から論評し、動かそうとしているように見えた。たとえば、その後出井氏は経営者に必要な資質として「抽象化する能力」を挙げるようになる。つまり、個別具体的ではなく、一般的抽象的に考える能力である」(P178)
“何か勘違いをした人”というのは確かに、出井の発言などから私もなんとなく感じていたことではあった。
出井は、著者と話しているときに、結局サラリーマン経営者ですからね、と著者が言ったことに対して「私はプロフェッショナル経営者です」と強く反発したことがあったそうだ。なるほどと思えるエピソードだった。

気になったのが、井出CEOの末期、出井批判の急先鋒であり、次期CEOの有力候補だったソニー・コンピュータエンタテインメント久夛良木社長がCEOにならずに、ストリンガーがCEOになったことに関しての推測。
出井はあわよくば院政を引きたいとの思惑から、自分のために米国で働いていたストリンガーを指名した面もあったのではと書かれてあった。

私企業のこととはいえ、もしそうであったら非常に残念だ。
英国人でアメリカに渡ったストリンガーは、結局ニューヨークのオフィスに常駐してソニーのCEOをやっているのだから。
アメリカのテレビ畑から育った彼は、日本文化に対する理解はそう深くはないだろう。
ストリンガーは日本の企業であるソニーというものにはおそらく興味はない。
古い言葉で言えば多国籍企業になったというこのなのかもしれないが、どこか違和感を感じてしまう。

新社長・平井一夫の文字もこの本には登場する。

ちょっと引用する。
「私はストリンガー氏に直接、『ネットワークに繋ぐ理由は分かりましたが、ではどこで利益を稼ぎ出すつもりなのですか。それを教えてください』と尋ねた。
ストリンガー氏は少し考えてから、こう答えた。
『それをいま、平井に考えさせているところだ』
『……』」(P245)
ストリンガー路線は当分続くと思われる。そしてソニーは、さらにメーカーではなくなるのだろう。


読んだ印象はざっとこんな感じである。
また何か思うことあれば更新する。

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ストリンガー体制は終焉を迎えたとのことだ。


http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20120226/1330244750
P150◆ソニートップ交代は“実質解任”だった! 退任を迫る社外取締役にストリンガーは最後まで抵抗した 立石泰則