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五味康祐「秘剣・柳生連也斎」

秘剣・柳生連也斎 (新潮文庫)

秘剣・柳生連也斎 (新潮文庫)

同じ著者の「薄桜記」に続く2冊目を読んでの感想メモ。

五味康祐は昭和30〜40年代に時代小説を数多く手がけ、絶大な人気を得ていた作家だ。
私は、五味の読者世代よりも下であり、さらに時代小説は読まない人だったが、将棋の升田幸三のようにひげ面に和服の人で、オーディオ、麻雀、手相・観相などに通じ、そして交通事故で人を殺したことがあることは知っていた。

五味は、'53年に松本清張と同時に芥川賞を受賞、それから人気作家となった。
そして'80年に死去している。もう31年も前のことだ。
現在は書店に著作はほとんど並んでいない。図書館に言っても著作の多くは書庫行きとなっている。
松本清張が今でも根強い人気を得ていることから比べると、“忘れられた作家”といっても的外れではないと思う。

この短編集は「喪神」「秘剣」「猿飛佐助の死」「寛永の剣士」「桜を斬る」「二人の荒木又右衛門」「柳生連也斎」「一刀斎は背番号6」「三番鍛冶」「清兵衛の最期」「小次郎参上」の11編から成る。
解説は遠藤周作が書いている。

文庫の紹介文には“剣の世界を描いて右に出る者なしと言われた「剣豪小説」第一人者の精髄集”とある。

読んだ感想もその通りだった。
(「一刀斎は背番号6」は現代を舞台にしたものだが、ちょっとしたお遊び心で書かれたものだろう)

個人の権利、自由などといった理念とは隔絶した封建社会が舞台。
そこでの武芸者の生き死に様が、斬れ味鋭い文章で描かれている。
強い宿命観に基づく武芸者の世界に圧倒された。

薄桜記」の感想にも書いたが、私が五味康祐の小説を今さらながらに読もうと思ったのは、沢木耕太郎が時代劇について書いた文章に何か惹かれるものがあったからだ。

五味康祐「薄桜記」を読んだ感想メモ

沢木は自分にとって以下の2つを時代小説の本質と指摘し、五味と柴田錬三郎の作品にそれが顕著であると書いていた。
・運命は乗り越えようとして乗り越えられないものとしてあるとする認識論
・士はおのれを知る人のために死すというヒロイズム

今回2冊目を読み、巻末にあった遠藤周作の解説を読んで、自分が五味康祐の作品に惹かれるのはなぜかと考えた。
まだ、見えてこないのだが、今の時点では以下のようなことが思い浮かぶ。
とりあえず、列挙してみる。

・登場人物の“死”に対する恐れ、迷いのなさ。自らの死というものを常に意識している死生観
・世界を覆う宿命的なもの、悲劇的なもの
・登場人物は結果として迷いなく、行動的であること
・達人が一瞬の太刀で披露する芸術的ともいえる離れ業

ネットでちょっと調べたら、松岡正剛がウェブ上の「千夜千冊」で「柳生武芸帳」を取り上げていた。
松岡は結局“五味は時代劇で「自分が好きな日本」を描きたかったのだ。”と書いていた。
確かに、五味の小説の中には現在の世界にはない、しかしかつての日本にはあったかもしれない独特の美意識がある。
“美意識”というのは、あまり適した言葉ではないかもしれないが、今の時点ではほかに言葉が浮かばない。

この短編集の最初に収録されている「喪神」は芥川賞を受賞した作品。
ちなみに“喪神(そうしん)”とは意識を失うこと。喪心とも書く。
ドビュッシーピアノ曲「西風の見たもの」にインスパイアされて書かれたものだそうだ。
ドビュッシーとしては荒々しい曲だが、ドビュッシーでこの作品を思いつくというのはなかなかの感性だ。
この作家にさらに興味がわいてきた。

私はアルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリというピアニストが好きでかなりよく聴くのだが、彼の弾くドビュッシー前奏曲集にこの曲も収録されている。

素晴らしいピアニストなので万一、この文章を読んで興味を持った人がいたらぜひ聴いてほしいと思う。

今度、時間があればミケランジェリドビュッシー前奏曲集を聴きながら「喪神」を読んでみたい。

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻、映像第1集、第2集

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