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映像、書物、音楽などについての感想

タル・ベーラ監督の映画「ニーチェの馬」

週刊文春の記事を読んで、内容が気になった。


週刊文春0202 P117 この人のスケジュール帖 名匠の“最後の作品” タル・ベーラ
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20120212/1329060117

映画監督しては56歳の若さで“最後の映画”と称するタル・ベーラ。この発言にはったりめいたものを感じ、「ほんとかね?」と思ったのだが、実際にはどんなものなのか、予告編も見て気になった。

会社で、私の両隣に座る映画好きの2人にこの映画のことを聞くとすでに見たと言う。

先日、私が見たラース・フォン・トリアーと同様、“世界の崩壊”を描いたものだが、描き方が対照的であるとのことだった。

青山のイメージ・フォーラムに行き、夜8時からの上映で見た。

見る前は、眠ってしまうかと思っていた。
ところが、ちょっとないほどの濃密な映画体験ができた。
映画を見てここまで心奪われたのは1年ぶりくらいだと思う。


原題は「A Torinói ló」、英題は「The Turin Horse」
トリノの馬”という意味。“ló”はハンガリー語で馬だった。
154分のモノクロ映画である。

黒バックに文字が流れる。
そしてナレーション。
フリードリヒ・ニーチェがイタリア・トリノで過ごしていた際に、道で言うことを聞かず、御者に鞭打たれていた馬に彼が駆け寄った逸話のことが語られる。
馬を抱きながらニーチェは放心状態になり発狂、それ以降、その精神が目覚めることはなかったと。
そして、あのときの馬は何をしているのだろう…とナレーションは締めくくられる。

一転して、荒地を行く荷役馬車が映る。重々しく迫力のある映像だ。
抗うようにしながら進む馬を真正面の下からあおるように捉える映像。カメラは浮遊しながら、ワンカットでその姿を接近したり引いたりしつつさまざまな角度で追っていく。一体、どうやって撮ったのかと思う素晴らしい映像だ。
このシーンで一気に引き込まれた。

馬車は風の吹きすさぶ粗末な石造りの小屋にたどり着く。
以降、そこで暮らす初老の男とその娘の生活ぶりが描かれる。

朝、男は粗末なベッドで目を覚ます。
娘がやって来て右手の不自由な男を着替えさせる。
男は、パーリンカ(焼酎)を2杯飲む。
娘は、風の吹き荒れる原野を歩き、井戸で水を汲む。
そしてジャガイモを煮る。
2人はそれを手づかみで食べる。

これが何日も繰り返される映画である。
しかもワンシーン、ワンカットで。多分すべてそうだったと思う。

2人の間でやりとりされる言葉はほとんどない。
しかもその言葉は、基本「食事よ」といった生活上使われる最低限のものだけだ。
聞こえるのは小屋に激しく吹きつける風の音ばかりだ。

非常に寡黙な映画だ。
そんな2人の生活描写に、時折、弦楽器による重々しいテーマが通低音のように重なる。

単調な日々が続く中、世界は日を追うごとに荒廃し、風はびょうびょうと吹きすさび、
最後に世界は闇と沈黙に覆われる。

話だけ聞くと眠くなるような退屈な映画と思うかもしれないが、なぜかその映像に引き込まれた。
魂が震えるといっていいくらいに引き込まれた。

この映画にはいわゆる“一般的なドラマ”における“変化”や“葛藤”といったものはない。
さまざまな要素を足すことで作った映画ではなく、逆にさまざまなものをそぎ落として、最後に抽出されたものを提示した“映画”といっていいのかもしれない。
“純映画”“メタ映画”ということもできるかもしれない。
そして、この映画には見る者に、驚き、喜びを与えてくれる秘儀ともいえるような映像話法がある。

アレゴリー、メタファーなどという言葉で内容を説明することも可能のように思えるが、そうするとこぼれてくるものもあるような気もする。


私はラース・フォン・トリアーの「メランコリア」は退屈だと思ったが、この映画はチャプターの「2日目」ですこしあくびが出ただけで、あとは凝視するように映画を見続けた。

一人の映画監督が「最後の映画」と言うにふさわしい、極限まで映像表現を突き詰めた、とてつもない力作だと思う。

メランコリア」がさまざまな見せ場を作る、エキセントリックではったりめいた足し算の映画とするなら、
ニーチェの馬」は引き算による“秘儀”を見せる映画なのではないか。
そんなことを現時点では思っている。
秘儀という言葉が適しているのかはまだ確証はもてないが……

また、思うこと、勘違いなどあれば更新します。タル・ベーラ監督の映画はこれから見ていきたいと思う。DVDも出ているようだが、劇場で見たい映画だ。


私はタルコフスキーの映画を見ると強烈な睡魔に襲われる人だが、この映画で私は眠くなることはなかった。多分、シーン、カットのつくりが違うのだろう。

※この文章はシネフィルではない、タル・ベーラ監督の作品を今までに見たことない人間が、「ニーチェの馬」を見た感想だけで書いたものです。ちなみに1年前に見て心奪われた映画は「エンジェル ウォーズ」。そんな感性の人間が書いた感想メモなので、ラース・フォン・トリアーのファンの人は気を悪くなさらないでください。