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やなせたかし「絶望の隣は希望です!」

絶望の隣は希望です!

絶望の隣は希望です!

自叙伝「アンパンマンの遺書」('95年刊)を読み、やなせ先生の“その後”を知りたくなり、2011年に発行されたこの本も読むことにした。

「アンパンマンの遺書」の感想メモ

アンパンマンの遺書

アンパンマンの遺書

当時76歳だったやなせ先生が、遺書の意味も込めて初の自叙伝「アンパンマンの遺書」を刊行したのは今から17年前。
愛妻を亡くし、先生はその本でこんな言葉を残している。
「たしかにぼくは、前よりは自由になった。何をしても怒る人はいない。でもぼくは気力がない。あんまり何もしたくない」(P229)
功成り名を遂げたが愛妻を失ったやなせ先生が、“遺書”を書いた後、この長い年月をどのような心境で過ごしたのか。

今回は文章を書く形ではなく、談話をもとに構成した内容とのことだ。話はうまい人なので“口述筆記”を推敲した感じと思って読んだ。
以下、感想メモ。

目次は以下のような構成。

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はじめに
第1章 「奇跡の一本松」が教えてくれたこと
第2章 父の病死、母の再婚
第3章 戦争で思い知った本当の正義
第4章 オンボロアパートで日は暮れて
第5章 どん底の僕を救った「アンパンマン
第6章 天国の妻へ
第7章 やなせ流・長寿の秘訣
第8章 人生は“喜ばせごっこ”
第9章 絶望の隣は希望です!
第10章 明日を信じて
終わりに

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「はじめに」はこんな言葉から始まる。
「人生というのは本当に摩訶不思議です。僕のプランでは、漫画家としてそこそこの作品を描き、65歳まで仕事をする。そのあたりで引退し、カミさんに見守られながら、ささやかな人生の最期を迎える。(中略)ところが、僕が生き残った。65歳で引退するどころか、逆にそれからが忙しくなってしまいました。振り返れば、若い頃というよりは、なんと50歳ぐらいまで僕は、失意と絶望の連続でした。(中略)『もう、売れることはない、そろそろ引き際だ』−そう思ったとき、アンパンマンがヒットし始めたのです。もう60歳を遥かに過ぎていました。それから年を追うごとに忙しくなり、92歳の今も老体にムチ打ちながら現役で仕事をしているのですから、やっぱり人生は摩訶不思議です」
と究極の遅咲き人生を語っている。

「第1章 『奇跡の一本松』が教えてくれたこと」では3.11の大震災で思ったこと、津波に耐えて生き残った陸前高田の「奇跡の一本松」のことが語られる。
そして第2章から第6章までは半生を語ったもの。この部分は「アンパンマンの遺書」で語られた部分と重なる。

第7章以降が「アンパンマンの遺書」以降のやなせ先生の心境、行動を語ったものとなっている。
「七転八倒の病気人生」では、その後のすさまじい病歴が語られる。
腎臓結石、白内障、冠動脈の手術、膵臓炎、胆のう脾臓切除にヘルニアの手術も。さらには緑内障手術、重度の腸閉塞、腸閉塞手術は逃れたが代わりに糖尿病を発症。
そして2005年は腎臓がんと診断され左腎を摘出、手術後も転移が見つかり86歳から2年間で10回のオペを受けたという。

ただ、やなせ先生の語る口調は突き抜けて明るい。
「やはり、年老いて病気すると、そりゃあ、ガックンときます。僕は点滴の針をつけたまま外出したり、ベッドで寝ながら仕事したりと、常識はずれのことをしたけれど、実はこれがかえってよかったのかもしれません。寝たきり老人にならなかったからです。
それとこれだけ病魔に見舞われても屈しなかったのは、ナースが美人ぞろいだったのと、仕事が忙しくて、どっこい、まだ死ねないと気張っていたせいだと思います。やっぱり気力、元気がいちばん、なんのこれしき、なんとか回復して現場に復帰する。仕事に追われていると、自分が老人になっていることに気づかないまま“時”は過ぎていくのだと思います」(P177〜P178)
とのことだ。

この文章以降は、あっけらかんとポジティブにやなせ流健康術が語られる。
現在も毎日腕立て、腹筋を40回をこなすという。
そして朝寝とやなせ流食事健康法を楽しそうに語る。そしておしゃれについても。
ここまで元気な92歳はなかなかいない。
なんといっても現役で働いてるのだから。

もしかすると、先生の中では“老年期”が自分にとっての開花期という認識があるのかもしれない。
「僕は50代半ばまで代表作を生むことができず、“自分はいったい、何のために生まれてきたのだろう”とずいぶん苦労しました。でも、若いときに苦労したり悩んだりしたことが、いまの僕に活力を与えてくれる“宝物”になっているような気がします。(中略)長い間のさまざまな体験の蓄積があるから、そんじょそこらの若者なら動転してしまう出来事に遭遇しても、乗り越えることができるのです。僕はそう思っています。だから“老いとは、ただ失われていくだけの絶望の季節だ”というふうに考えている人を見ると、おい何をいってるんだよ、と哀しくなってしまう」(P199)
と語っている。

そして、“〜らしく”という言葉に先生は反発する。
「僕は、この“らしく”という言葉が好きじゃない。“らしく”というのは、そのものにふさわしい特質を備えているかどうか、ってことでしょうが、人間、人それぞれなのですから、別に“らしく”ある必要はないと思うのです。この延長線上にあるのが『老人は老人らしく』であり、『もう、いい年なんだから、そんな無茶はやめなさい』ということになります。これがどうにも僕には腑に落ちない。“いい年をして”という世間の常識は、高齢者の元気を奪い、枷をはめているようにしか思えないからです。せっかく面白そうなことが目の前にあるというのに、『もう年だから、みっともない』と尻込みする人がいますが、僕からいわせると、本当にもったいない。『この年だからこそ、やりたいものはどんどんやってみましょう』。こういきたいものです。老いはクヨクヨする時期ではありません。老いてこそ、何かをやって、ワクワクする。自由に生きることができる季節の到来なのです」(P200)
と、恐ろしいほどのポジティブな老人宣言をしている。

80歳になって作曲を始め、歌手デビュー。「もはや怖いものなしで恥知らずになっているから、平気のヘイちゃん。そんなわけで、僕の辞書には『もう年だから』はありません」(P202)とやなせ先生の“暴走”は止まらない。
「僕がやりたいことを全部終えるには、120歳くらいまで生きなければならない。とても無理、残念ですが、この世に生を受けた生き物すべてに寿命があるので仕方がない……」とまで語っている。

アンパンマンの遺書」のときととはまるで違ってポジティブな先生の言葉に圧倒されてしまった。

とはいえ、この本を読んで思ったのは、小難しくない言葉で人の心を打つことのできる先生の才能。


この本にはこんな詩も載っている。

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絶望の隣に

だれかが

そっと腰かけた

絶望は

となりのひとにきいた

「あなたはいったいだれですか」

となりのひとはほほえんだ

「私の名前は

希望です」

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この詩は不遇のときの自分を勇気づけるために書いた詩だそうだが、やなせ先生らしい詩だと思う。
この本のタイトルにも取られている詩だが、ふと読んで心動かされる言葉の連なりになっている。

先生の詩は大きく分類すると相田みつを系ではあるが、また違った味わいがある。
(実は相田みつをの詩をちゃんと読んだことはないので偉そうなことは言えないのだが)
私は相田みつをの詩や、やなせ先生の雑誌「詩とメルヘン」を読んでいた人間ではない。
だが、こういった詩を否定する気はない。
正直、やなせ先生の言葉に心動かされることも多い。


ただ、この本を読んで物足りない部分もあった。

先生がここまで前向きに考えられるようになった経緯についてもう少しつっこんだ言葉が聞きたかった。
富と名声は手に入れたにしても、愛妻を失い、病気で倒れてばかりでいた状況で前向きな気持を抱くに至った理由は何だったのだろう。
あと、先生の生んだキャラクター“バイキンマン”について。この本で少し語られているが、もっと突っ込んだ話が聞きたかった。

また気付いたことあれば更新する。

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その後、ほかの自伝を読んだ。



↓“オイドル”として開き直って人生を楽しむ先生の暴走ぶりが楽しめる。
「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく」の感想メモ


アンパンマンに登場するキャラクターのことなど、先生の創作論的なことが語られている。
「わたしが正義について語るなら」の感想メモ

どちらも先生らしい内容で楽しく読むことができた。