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ジョナサン・サフラン・フォアの小説「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のタイトルの意味について。映画との比較

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

2月に映画を見て、原作を読みたいと思っていた。
やっと読むことができた。


映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の感想メモ

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映画を見たときにウェブでの感想が気になり、いくつか見たのだが、小説を読んだ人は映画については厳しい言葉が多かった。

この小説の訳者あとがきに、内容説明としてまとまったものがあったので引用させてもらう。

「(この作品で描かれるのは)9.11同時多発テロ父親を亡くした少年オスカーのささやかな冒険と、第二次世界大戦ドレスデン爆撃に端を発した皮肉な運命だ。この作品は事件からの二年間を振り返るオスカーの物語を軸に進められる。ある日、オスカーは父親のクローゼットで花瓶のなかに封筒を見つける。その封筒には赤いインクで「ブラック」と記され、一本の鍵が入っていた。これは何のカギだろう? それに『ブラック』ってどういうこと? 父親のことを知りたい一心から、オスカーはその鍵にぴったりの錠前を求めてニューヨークじゅうの人々を訪ねてまわりはじめる。はたして、その鍵の謎は解けるのか? そしてオスカーは父親の死を受け容れることができるのだろうか?」(訳者・近藤隆文 P478)

小説、映画ともにこんなストーリーである。
ただ、映画においてはかなりの改変がある。

で、読み終えた感想。

個人的には、どうもこの小説、読んでいて集中できず“乗れなかった”。
じっくりと作品を読みこんでいくことができなかった。

ただ、私がその前に読んでいたのが「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」である。
あまりに世界が違いすぎた。
あちらの濃密な“男の世界”にどっぷりと浸って読んでいたせいか、こちらを読んでいても作品世界から置いてけぼりをくってしまった感がある。

ただ、この作者の世界は私の好みとはちょっと違うところがあるのかもしれない。
私からすると“センシティブでクレバーであることをひけらかす”ところがちょっと鼻につく気がした。

ということで、感じるところが少なかったので、感想メモとして残そうと思うことがあまりない。

私自身は、原作よりも映画版のほうが好みかもしれない。
映画の方が、小説よりはベタだがドラマチックにはなっている。

ただ、集中して読めなかったので、またいつかこの本を再読することがもしあれば、印象は変わるかもしれない。
読了後にパラパラページをめくってみると、よさげな内容という雰囲気ではある。

とりあえず小説と映画で違う点について興味深かった点を書き残すことにする。

◆映画では、マックス・フォン・シドー演じる“同居人”が主人公の少年と共に“鍵穴”を求めてニューヨーク市内のブラックという性の人を訪ねてまわるが、原作では違う。
少年の住んでいるアパートの1フロア上に住んでいた元ジャーナリストの老人“ミスター・ブラック”が少年と共に行動する。
このミスター・ブラックのキャラクターは非常に魅力的で、私がこの本を読んで気に入ったのはこのミスター・ブラックが登場している部分だった。

◆映画のラスト、主人公の少年はセントラル・パークであるものを発見する。
このシークエンスは原作にはまったくない。映画版での創作部分だ。原作小説を評価している人はこのシークエンスがやりすぎと思うのかもしれない。
ただ、私は先に映画を見てしまった。
商業映画なのだから、この部分はあってよかったと私は思っている。
落としどころ、救いはほしい。

◆小説は映画版よりも情報量が多いので、主人公の祖父母のドイツ・ドレスデンでのことも書かれてある。祖父は彫刻家を目指しており、ドレスデン時代は祖母の姉が恋人だった。その姉はドレスデンの空襲で死亡する。ドレスデンの町が爆撃されるシーンは凄惨で容赦ない描写が続く。小説を先に読んだ人はこのあたりが省かれていることで物足りなさを感じるかもしれない。

◆映画は少年の行動を追ってストーリーが進むが、小説では祖母の手紙、祖父の手紙が、主人公の鍵穴探しのストーリーに挿入されるようにして進んでいく。
この手紙の部分は暗い海の底から聞こえるつぶやきのようで、私にとっては正直読みやすいものではなかった。

◆原爆投下後の広島市内について男性が語る証言テープを主人公が学校の授業で流すシーンが登場する。この部分は映画ではなかったと思う。ただ、見てから3ヶ月以上なので、このシーンがあったのを忘れているのかもしれない。おそらく資料で“ヒロシマ”を調べた作者の創作と思われる。出典については巻末にないので。
ドレスデン爆撃、広島の原爆投下、9.11テロ。
これらは人間性を蹂躙する理不尽な巨大な暴力ということでくくられるだろう。
そういったことで、広島の原爆投下のことが書かれたと思われるが、このテープ再生場面はとってつけたように非常に唐突で、爆発における科学的な現象を主人公が「ぐっとくる」と語るさまには正直、違和感を覚えた。もちろん、原爆投下のことを主人公がちゃかしているのではないが。
このシークエンスの受け取り方は読む人それぞれと思うが、私はこの部分を読んで引っかかるものがあった。もちろんいい意味ではなく。
疑問だったのが、この被爆者は英語で答えていると思われること。どうして英語がしゃべれたのだろう。

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ということで、タイトルの“EXTREMELY LOUD & INCREDIBLY CLOSE(ものすごくうるさくて、ありえないほど近い)”という言葉が何を意味しているのか、私にはわからなかった。読解力がなくて恥ずかしい。

結論からすると映画版を先に見てしまった私としては、映画のほうが好みだったということになりそうだ。

後で読み返してまた更新するかもしれない。

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その後、タイトルの意味について気になったのでいくつかのサイトを見た。

映画を見て小説を読んでいない人の中には、“ものすごくうるさくて、ありえないほど近い”のは主人公の母親ではと書いている人もいた。
映画だけだとそういってもいいかもしれない。

ただ、小説のほうは主人公と母親の絆についてはタイトルにおくほどのものではないように思えた(もちろん大きなものではあるが)。

ほか小説の文中に“ものすごくうるさくて、ありえないほど近い”という言葉が出てきた箇所からタイトルの意味するものを書いているブログもあった。

http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120406/p1

この人の小説引用部分を使わせていただく。
以下のように書いてある。

“春と秋の渡り鳥の季節、霧深い夜に鳥たちを混乱させないように塔を照らす明かりが消されるのですが、その結果、鳥たちはビルに飛びこむことになります」「毎年、一万羽が窓にぶつかって死ぬんだよ」と、ぼくはルースに、ツインタワーの窓について調べていたときにたまたま知ったことを伝えた。「けっこうな数の鳥だな」とミスター・ブラックが言った。「窓もけっこうな数よ」とルースが言った。ぼくはふたりに告げた、「そう、それでぼくは、ビルにありえないほど近くなった鳥を探知して、別の高層ビルからものすごくうるさい鳴き声を出して鳥を引きつける装置を発明したんだ。鳥はビルからビルにはねるんだよ」。「ピンボールみたいだな」とミスター・ブラックが言った。「ピンボールって何?」とぼくはたずねた。「でも鳥たちはけっしてマンハッタンを離れない」とルースが言った。「それはいいね」とぼくはルースに告げた。”(P338〜P339)


この部分、確かに“ありえないほど近い”“ものすごくうるさい”という言葉が使われている一節である。

明かりが消えたため、ビルの窓に激突して死んでいく年間1万羽にもなるという渡り鳥。
その鳥がありえないほどビルに近くなったときに、ものすごくうるさい鳴き声を出して鳥を引きつける装置。
ものすごい近くなると、ありえないほどうるさい呼び声がする。

これをメタファー(隠喩)としているということになるのだろうか。

ちょっと釈然としないところがある。
タイトルは先に“ものすごくうるさくて(EXTREMELY LOUD)”があり、
その後に“ありえないほど近い(INCREDIBLY CLOSE)”の順番になっている。
腑に落ちない。

引用しておいて申し訳ないが、
ここで書かれているのはイコールでつながるようなメタファーではなく、イメージを喚起するものの一つという感じではないのだろうか。

色々思ったのだが、自分なりに至った結論は以下のようなものだった。
確信に至ったものではないのだが。

主人公オスカーを精神的に苦しめ不安にさせ、恐怖に陥れるもの。
それは父を殺した9.11テロ、ドレスデンの爆撃、広島の原爆のように理不尽で恐ろしい暴力の存在なのだ。
その存在は常に彼にとって“ものすごくうるさくて、ありえないほど近い”ものに感じられるということなのではないだろうか。
オスカーはだから、街を歩くときはタンバリンを叩いてその“ものすごくうるさくて、ありえないほど近い”恐怖をしのいでいるのではないだろうか。


結局、そんなことを思った。


さらに言えば
主人公の名前オスカーは、「ブリキの太鼓」のオスカルにつながるのかもしれない。

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さらに追記。

ヒロシマナガサキダウンロード」という映画のサイトを見たら、北米在住の被爆者は1500人いるそうだ。
http://atopusstudio.wordpress.com/documentary/
知りませんでした。

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