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佐野眞一のノンフィクション「あんぽん 孫正義伝」

あんぽん 孫正義伝

あんぽん 孫正義伝

2011年に週刊ポストに連載していたものに加筆・修正を加えた孫正義の評伝。
“あんぽん”は孫正義が韓国から日本に国籍変更するまえに使っていた苗字・安本を音読みしたもの。

作者は「東電OL殺人事件」などの佐野眞一
彼の本は何冊か読んでいる。
読み応えがあり、おおむねドラマチックな内容となっているのだが、若干物語への作りこみがあり、作者の自分語りが強い人という印象だった。

今回は、著者としてもかなりの思い入れがあるようで
“本書は死の直後に発表されてベストセラーとなったスティーブ・ジョブズの評伝に負けない面白さ”と自身で語る自信作のようだ。

で、読んだ感想メモ。ちょっと錯綜するかもしれないがつらつらと書いてみる。

とても読みやすい。そして面白い。非常に面白いといっていいと思う。
多分誰が読んでも面白いというのではないだろうか。

ただ、この面白くて読みやすいという点が実はクセモノのような気がする。
孫正義という素材を、佐野眞一という取材力、筆力のあるノンフィクション作家が思うように表現した小説のようにも思えてくる。
読み終えて、あー面白かったで終わってしまった感もある。

付箋をつけて、感想メモをまとめようとしたのだが、個々のエピソードとか登場するキャラは面白い。だが、結局突き詰めて何がいいたいのかということになると
“作者が孫正義に対して感じたいかがわしさは何か”について語っただけ、ということになってしまうようにも思えた。

結論としては、こんな印象だ。
この本は孫正義がどこに向かっていくかについて書いているものではない。
孫正義というキャラクターがどのようにして生まれ形作られたかを書いたノンフィクションである。

太陽光発電のことについて書いているが、ここで注力されていることは孫の一族がかつて日本の炭鉱で働いていたということとの因縁についてである。太陽光発電に関する孫の思い描く未来像が書かれているわけではない。


この本で、作者は孫正義という人物を“いかがわしさ”という言葉をキーワードに語ろうとしているようだ。

そういう意味で、作者が“過去の人”である孫正義の父に対して過剰な思い入れを抱くようになり、彼に対してかなりのページを割いているのはわかるような気もする。
孫の父は、極貧生活からエネルギッシュな活動で大金持ちに成り上がった人物である。
おそらく作者にとっては孫の父は理解でき、過激な言動はあるにしても愛すべき存在として受け入れることができるのだ。
ここで描かれている父親は典型的な“成り上がり在日朝鮮人”である。

だが、孫正義自身については、その出自は判明しても彼の向かう方向を分析することは、世代の問題もあり著者には難しいということなのではないか、などと思った。

そして気になった点。
取材の質と量が半端でなく充実しているノンフィクションであるが、孫の人となりを語るについて大きな欠落点がこの本にはある。
そのことは、作者は文中でははっきりと書いていないが、読み進めていくとわかる。
作者は孫正義の母親に取材することができなかったのだ。
結果として母親からの影響を語ることのできない孫正義像ということになっている。
教育方針については、母親の考えが強く影響していたということがこの本を読むと分かる。
ただ、その部分についてはこの本では空白となっている。

これだけの綿密な取材をしていることから、母親に何度も熱心なアプローチしたことは間違いないだろう。
ただ、母親は頑なに取材を拒否したと思われる。
拒否した母親とのやりとりなどは興味深いところではあるのだが、そのことはこの本ではまったく触れられていない。

漫然と速読したら気付かなかったかもしれない。

とはいえ、これだけ読み応えのある評伝を書ける人はあまりいないだろう。

読んでいて、気になった部分の抜粋を転記する。

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P58 その危うさは、孫がこの村(孫の祖父が暮らしていた故郷の村)で味わった故郷喪失感と密接につながっているのではないか。その故郷喪失感が、孫の気持をアメリカ一辺倒にさせる見えない原動力になったのではないか。さらにいうなら孫正義にいかがわしさを感じさせるというなら、そのいがわしさは、彼を過去に向ける目をつぶらせ、ただ未来に目を向けるように強いた日本の近代の歴史のいかがわしさにあったのではないか。

P178 私が孫に感じるいかがわしさの根源は実はそこにある。飛躍的な技術革新を目の当たりにしたとき、それに子どものように疑いなく飛びつくのではなく、一度は立ち止まり、その技術が生まれてきた歴史の背景について、じっくりと考えをめぐらせなければならない。そうした真摯な態度を忘れたとき、人間は過去を葬り去る愚を犯すだけでなく、本来の未来を見失う愚も冒す。

P216 孫が成功者となった理由は、コンピューターという“黒船”に最も感性が豊かな思春期に遭遇した僥倖はじめ、さまざまあげられるが、孫が成功した理由をズバリ一言でいえば、きわめて選球眼にすぐれたギャンブラーだったからだといえる。孫正義は好機到来と見れば、いつも一気に勝負に打って出る。決裁権者は孫ひとりの完全ワンマン体制だから、決済にハンコがいくつも必要な会社はいくら歯がみしてもスピードでは絶対ソフトバンクにかなわない。

P218 日本には、新参者が出現すると、バッシングしろといういやらしい風土がある。

P219 では、孫に対して感じるいかがわしさやうさんくささは、どこから来るのだろうか。
孫は「経済白書」が「もはや戦後ではない」と高らかにうたった翌年、鳥栖駅前の朝鮮部落に生まれ、豚の糞尿と密造酒の強烈な臭いの中で育った。日本が高度経済成長に向かって駆け上がっていったとき、在日の孫は日本の敗戦直後以下の極貧生活からスタートしたのである。その絶対に埋められないタイムラグこそ、おそらく私たち日本人に孫をいかがわしいやつ、うさんくさいやつと思わせる集合的無意識となっている。高齢化の一途をたどる私たち日本人は、年寄りが未来のある若者をうらやむように、底辺から何としても這い上がろうとして実際にそれを実現してきた孫の逞しいエネルギーに、要は嫉妬している。

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後でまた更新・修正したい。

書いた後でこんなことをふと妄想した。

著者は人物伝を書くときにはその人間の内臓に迫らなくてはだめだ、という趣旨のことをこの本で書いていた。

それを受けて考えるとこの本、
人物伝を木に例えるなら、“根”と“幹”の部分に注力した評伝といえるのではないだろうか。
ベクトルとしては過去に向かっていることは否めない。

なので、
これを受けて、若くて知性と洞察力のあるライターが木の“枝葉”、そして“花”と“実”“毒”の部分に注力した続編があれば、2巻で孫正義伝としては完璧となるのではないだろうか。
その際は孫の母のインタビューも入る形で。

そんなことを思った。

追記。
2012/10/23
このやり方で橋下徹に迫ろうとしたら、拒否されてしまった。