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国際多様性年、W.T.シートン生誕150周年、W.T.ヨシモト生誕100周年「大哺乳類展 陸のなかまたち」展覧会ガイド誌

先月、国立科学博物館を見学したときに、3Fのガラス張りのスペースに並べられた膨大な量の剥製が妙に気になった。
ほ乳類は115体、そして鳥類は164点になるという。

係員の人に尋ねると、その剥製のほとんどが日系アメリカ人2世のW.T.ヨシモトなる人物が狩猟したコレクションとのことだった。
興味を抱き、調べてみるとヨシモト氏のコレクションを特別展示した展覧会が過去に開かれていたことがわかった。

題して「大哺乳類展 陸のなかまたち」。
2010年3月〜6月に開催。
名目は「国際生物多用性年、E.T.シートン生誕150周年/W.T.ヨシモト生誕100周年」を記念しての展覧会だったようだ。
そのときの展覧会の公式ブック(?)がこの本。
この2人のほかに、写真家の故星野道夫氏も紹介されている。

この本を読むと、シートンについては彼の著書「狼王 ロボ」の基となった逸話が書かれてある。

イギリスの事業家の末っ子として生まれた青年シートンは、紆余曲折を経て子供のころから夢見ていた動物学者を志すことになる。そんな彼が二ューメキシコのクルンパ高原を訪れた。
シートンは、そこでロボと呼ばれる賢い狼に率いられた群れがウシを襲い、そして狼を退治しようとする猟師の罠をはねのけていることを知る。彼は農場主の依頼でロボ退治に乗り出すが、ほかの猟師と同様、銃も罠も毒餌も歯が立たなかった。しかし、やがてシートンはロボの弱点に気付く。ロボはブランカと呼ばれる白い雌狼に対して特別寛容な態度をとっていたのだ。シートンはロボのブランカに対する優しさを弱点として突くことにする。シートンはまず、ブランカを罠にかけて捕らえる。そして、ロボの心の乱れをついて、彼を捕らえることに成功する。だが、同時にシートンはロボのブランカに対する誠意に心打たれる。激しい悔恨の念にとらわれたシートンは以後、動物を殺さないことを自分に誓ったという。

こんな話の後にW.T.ヨシモトの略歴紹介が続く。

ヨシモト氏は1909年、ハワイで日系移民2世として生まれた。少年時代の貧しい暮らしを経て苦労のすえ建築業で成功、財を成した。レジャーとしてハンティングを始めたのは1957年、50歳近くになってからである。それ以降、毎年世界各地に出かけハンティングを楽しんでいたという。アフリカにハンティングに行った際、テキサス州の博物館から動物の標本収集の依頼を受けたことをきっかけに彼は獲物を剥製として保存するようになった。1995年までに156回のハンティング旅行に出て、哺乳類・鳥類・爬虫類の剥製は400点になったそうだ。その後、剥製をハワイの博物館に寄贈するが常設展から繰り下げられたことで、自身が経営していたボーリング場を改装して自分の博物館をつくりそこで剥製を展示していたそうだ。1997年にハワイでの展示をやめ、日本の国立博物館に寄贈することを決めたとのこと。

この本には、世界地図上にヨシモト氏のハンティングで訪れた場所に赤丸印をつけたハンティングマップ、ヨシモト氏の訪問先と狩猟した動物を記した年表が載っている。

シートンとヨシモト氏、随分と動物に対するスタンスが違うものだと思った。変な展覧会を開いたものである。

私は特に野生動物保護に関心・意見のある人間ではないが、20世紀の後半にもなって1人の人間がレジャーとしてこれだけの狩猟を行い、しかもそれを剥製として残した(同種のものも多いようだ)ということにはちょっと違和感を覚える。

これは、もやもやとした個人的な感想である。一応、記録として残しておく。



後日、気になったので国立科学博物館を再訪した。
室内のモニターを使うと哺乳類についての解説映像も見ることができる。。
ガラス内に動物の名前を書いた立て札を入れていないのはそれなりの考えがあってのようだ。
改めて見てみると、これだけの剥製が見れるということはなかなかのものではあるとは思った。

上野動物園にいたパンダのフェイフェイとトントンの剥製