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映像、書物、音楽などについての感想

三浦建太郎の漫画「ギガントマキア」

ベルセルク」は大きな衝撃を受けた漫画だった。

あんな異形の禍々しい存在を漫画で体験したのは初めてだった。
ただ「ベルセルク」はかなり前に通読、新刊が出るときに読むだけなので記憶も薄れている。

今回同じ作者・三浦建太郎の新作「ギガントマキア」を読み、“日本のギーガー”という印象を強く抱いた。
ここに登場するさまざまな造形物は非常にギーガーを連想させる。
ベルセルク」ではここまでギーガー色はなかったような気がする。
ただ、これは私の感覚的な、根拠も確認していないなんとなくの印象なので違うかもしれない。
昨年、映画「ホドロスキーの『DUNE』」を見て、そこに登場したギーガー本人の風貌から「ベルセルク」に登場するゆがんだ容姿の変態男を連想した。
そこから来ているのかもしれない。


同じ“巨人”ネタということで「進撃の巨人」を意識せずに読むことはなかなか難しいが、別の世界観で作られた漫画だった


ウィキペディアでの「ギガントマキアー」の説明

ギガントマキアー」はギリシャ神話にあるゼウス率いるオリュンポスの神々と巨人族との戦いのことだ。
巨人族とは、母なる神ガイアがクロノスの子を宿して生まれたものである。

ギリシャ神話ではガイアは世界の始まりの時から存在した原初神で、世界そのものを象徴する母なる神だ。
ガイアの子どもウラノス、その子どもクロノス、その子どもゼウスと連なる系譜となっている。
そしてウラノスはクロノスに倒され、クロノスはゼウスに倒されている。

1巻しか読んでいないのでまだあいまいだが、多種族を排除、世界環境を支配しコントロールしようとする人間をオリュンポスの神々的なもの。
異形のものも含む多様な生命体のありかたの共存を図るガイア的な使命を託された存在が、主人公のデロスとプロメという設定となっているといっていいだろう。

そんな世界設定の中、巨大化するデロスと人間の念力によって動く巨人がプロレスを繰り広げるのが見どころとなる作品ということになるのだろう。

ただ、このストーリーであればこんなに禍々しい生物を登場させなくても物語をつづることができるのだが、そこに登場させてしまうのが三浦建太郎先生なのだろう。
ユニークな漫画家であることは間違いない。

どこまで話が続けられるかはわからないが、コミックが出る限りは読み進めていってみようと思う。