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クリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」



映画のお楽しみのため、先入観を持たないよう、まったく作品情報を持たない状態でこの映画を見た。

クリス・カイルという実在したネイビー・シールズの狙撃手の自伝の映画化ということも後で知った。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

フィクションと思い見ていた。
エンディングのシークエンスを見て、もしかして実在した人なのかと思い、帰宅後確認してそのことを知った。イラク戦争で4度出征。公式で160人以上を射殺した人物とのことだった。

この映画、どんな内容かといえば、素朴な正義感、愛国心から戦場に何度も赴いたひとりの優秀な兵士の活躍と変化、死に至るまでの過程を描いたものだった。

"熱く"正義や愛国を語ることはない。特定の価値観において物語を盛り上げるという演出は基本的にない。
イラク戦争に参加する主人公の行動の動機付けとして愛国、報復をモチーフとして提示、見る者の感情をあおることがない。
動機付けは最低限のシンプルなもので、くどくどと描かれることはなかった。

大きな動機付けの設定としては、主人公が少年時代に、食事中に父親から語られるシーンが印象に残った。
「人間には3種類ある。シープ(羊)とウルフ(狼)、そして羊を狼から守るシープドッグだ。お前は弱いものを守るシープドッグになれ」(大体こんな感じだったと記憶)という父親の言葉。
そして、主人公は、ひ弱な弟を守るために体の大きないじめっ子に立ち向かって相手を打ち倒す。
あとは9.11で世界貿易センタービルが崩れ落ちていく様子を主人公が見て、呆然として愛国心に駆られるシーンくらいだろうか。

そして、物語の後半、そのアンチとなるシーンが登場する。
精神のバランスを崩した退役後の主人公が、子供とじゃれているボーダーコリー(シープドッグ)を見る。そして子供にのしかかる姿に危険なものを感じ、犬に殴りかかっていくのだ。
主人公のアイデンティティーが何度もの出征で擦り切れ、崩壊しかかっていることを示すシーンだった。

見落としたものもあったかもしれないが、主人公を動かす動機とその消滅として描かれていたものはそのくらいだった。


さらに、イラク戦争の背後にある、さまざまな政治党派、パワーバランスなどなどの背景にある意味についての言及はない。

ともかく現場を描くことで終始する映画だ。
徹底して“戦地”に赴いた現場の兵士の物語として描かれている。

ポスタービジュアルには星条旗が意味ありげにあしらわれている。
だが、私は「この作品の舞台、イラク戦争でなくてもできるのではないか。極端に言えばアメリカ兵が主人公でなくても、中国兵、ロシア兵を主人公にしてもできるではないか」、見ていてそんなことを思った。
覇権主義国家の兵士の現場の物語」ということで語ることのできる映画に思えた。

イーストウッド監督本人も以下のようなコメントを残している。

「『アメリカン・スナイパー』は職業軍人や、海軍の将校、何らかの事情で戦地に赴いた人々を描いている。戦場では様々なことが起こるという見方以外に、政治的な価値観は反映されていない。」
"Pardon me for sounding defensive, but it certainly has nothing to do with any (political) parties or anything," Eastwood, 84, tells the Star.
"These fellows who are professional soldiers, Navy personnel or what have you, go in for a certain reason. Their commander-in-chief (U.S. President Barack Obama) is a Democrat and the administration is, and there's no political aspect there other than the fact that a lot of things happen in war zones."
ウィキペディアでの「アメリカン・スナイパー」の記事
thestar.comの「アメリカン・スナイパー」の記事

ラスト、退役後の主人公の死は字幕のみで簡素に語られる。
主人公の死に“反戦”というような特定の意味づけをすることは排除している。
そして数分間続くエンドロールはモノクロの無音である。

見た者の感情を方向付けることを排除しようとした映画と思えた。

悪い奴を倒して、満足感を得るという類の映画ではない。
また、その逆の反戦を強く訴えるという表面上の演出もない。

そして、この映画にはニューシネマや反ドラマ的な作品に存在する、強烈な異化効果をもたらす“力”はない。淡々としたエンディングである。


ということで着地点は商業ドラマとして“安心できる”腑に落ちる作りにはなっていないが、上映時間の132分はきっちりと商業作品として見る者を引き付ける要素を盛り込んでいた。
上映中に退屈することはなかった。


個人的には「許されざる者」以降のイーストウッドの映画の中では最上位に入る作品ではなかった。
ただ、それは好みによるものだろう。
そして“イーストウッドの”という言葉を除けば、私が普段見る映画としては最上位にくる映画だった。

私はミリタリー好きではない。だが、興味深いところもあったので、原作本を読んでみることにする。

ぶつギレの文章だが、とりあえず以上。