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広井良典による岩波新書「ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来」

 

 人類史を俯瞰した上で、“資本主義”を分析、エコな未来社会を語る

たまたま手に取ったことで読み始めたのだが、
読み応えのあるいい本だった。

ブックカバー裏にある言葉、書誌はこんな感じ

富の偏在、環境・資源の限界など、なおいっそう深刻化する課題に、「成長」は解答たりうるか――。近代科学とも通底する人間観・生命観にまで遡りつつ、人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味。定常化時代に求められる新たな価値とともに、資本主義・社会主義エコロジーが交差する先に現れる社会像を、鮮明に描く。

 

著者の広井氏は奥付を見ると科学史、科学哲学、そして公共政策を学んできた人のようだ。 厚生省勤務の経験もあるようだ。
「あとがき」には思うところあって東大の法学部から教養学部に転じたと書いている。

科学史を学んできた立場から、"科学"を切り口にその資本主義の歴史を解説している明快な言説が私には新鮮であり、読み応えのあるものだった。

おおざっばにいうと、前半が著者による分析、後半が未来に向けての提言となっている。
私は前半の部分が非常に面白く、興味深く読めた。

この本は「人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味」という壮大なテーマの内容だ。参照文献のリストも10ページに及んでいる。
ところが非常に読みやすい。グラフなどの図版も使いながら、非常にわかりやすく人類史の見取り図を提示している。
この大きなテーマで、ここまで制御され明快な“絵”を書ける著者に感服した。

以下、感想を書くが、わかりやすいとはいえ、大変な情報量を新書1冊に収めたものである。
気になった部分のさわりについてのみ書くことにする。

著者は「序章」で人類史を俯瞰した際に、3つの拡大・成長期があったとする説を紹介する。
第1の拡大・成長期は狩猟採取を行うようになった段階、
第2の拡大・成長期は農耕を行うようになった段階、
第3の拡大・成長期は工業化を進めるようになった段階
である。

そして第1、第2の拡大・成長期にはそれぞれ成熟・定常化の時代が訪れるが、第1の定常化には農耕、第2の定常化には工業化と新たな拡大期が訪れ、人類の拡大・成長が続いてきたと解説する。

そして第3の拡大・成長期を担った工業化の時代が(近代)資本主義の拡大の時代と重なるというのが著者の意見となっている。
そしてそこに大きく関わってきたのが科学(技術)の発展である、というのが著者の論説の肝である。

著者はここで、工業化による拡大・成長期が、現代において成熟・定常化の時代を迎えつつあるとしている。
そして、その見解のもと、工業化の時代と共に両輪としてあった資本主義以降の「ポスト資本主義」を考えるということが著者の訴えるものとなっている。

この「拡大・成長」と「定常化」のサイクルについて著者はこのように語る

ここですこし考えてみたいのは、こうした人間の歴史における「拡大・成長」と「定常化」のサイクルは、そもそもいかなる背景ないし原因から生じるか、という点だ。
結論から言えば、それは人間の「エネルギー」の利用形態、あるいは若干強い表現を使うならば「人間による“自然の搾取”の度合い」から来ると考えられるだろう。
(中略)
人間の歴史にそくして見た場合、それが最も素朴な形態をとるのが狩猟採取段階であり、アフリカで生まれたホモ・サピエンスは、狩猟採取の場を各地に求めながら地球上に広がっていったことになる。
(中略)
やがて、おそらくこうした狩猟採取のみでは十分な食資料確保が困難であるような(相対的に条件の悪い)場所に広がる中で、人類は約1万年前に農耕という、新たなエネルギーの利用形態を始めることになった。比喩的あるいは現代的に言えば、植物に太陽エネルギーを吸わせて栄養分を作らせ、それを管理・収穫して食べ自らの栄養分とする営みと言えるだろう。こうして人々は狩猟採取よりも構造化された「時間的秩序」の世界を生きることになった。
(中略)
農耕はその拡大・成長の過程で「都市」を生み出していくが、やがてこうした農耕段階も、後でふれる資源・環境的制約にぶつかって成熟・定常化する(それが大づかみに言えば私たちが“中世”と呼ぶ時代に重なることになる)。
しかし人類は、さらにエネルギーの利用形態を高度化させ、言い換えれば“自然の搾取”の度合いを強め、さらなる拡大・成長期に向かことになる。
それがここ200~300年の工業化の時代であり(中略)石炭や石油の大規模な開発と使用がその中心となる。
思えばこれらの「化石燃料」は、文字通り生物の死骸が数億年という長い時間をかけて地下に蓄積されていったものを一気に燃焼させてエネルギーを得るという性格のものだ。多少の前後の幅はあれ、そのような数億年の蓄積を200~300年という短期間でまもなく使い尽くそうとしているのが現在の人類である。
同時に、人間の歴史の中でこの第三の拡大・成長と定常化のサイクルの全体が、(近代)資本主義/ポスト資本主義の展開と重なるというのが、本書の基本的な問題提起となる。(P3-P6)

 そこで著者が未来の可能性として示しているのが「超(スーパー)資本主義」と「ポスト資本主義」の相反する2つの方向である。 

超(スーパー)資本主義について著者はこのように語る。

こうした歴史の巨視的把握を行うと、その延長に自ずと浮かび上がるものとして、次のような(逆の方向の)議論がありうるだろう。
それは「人間はこれまでも常に次なる「拡大・成長」への突破してきたのだから、むしろこれからの21世紀は「第四の拡大・成長」の時代となるはずだ」という議論である。「はじめに」の内容ともつながるが社会的な次元では「超(スーパー)資本主義」のビジョンとも呼べるものだ。
私はそのような技術的な突破の可能性があるとしたら、以下の三つが主要な候補として考えられると思う。
すなわち第一に「人口光合成」、第二に宇宙開発ないし地球脱出、そして第三が「ポスト・ヒューマン」である。
(中略)
そして第三のポスト・ヒューマンは、「はじめに」でもふれたように、人間そのものの改変によって、現在の地球の資源的・環境的有限性を乗り越えるという志向を含むものだ。

 著者は「はじめに」の冒頭で、SF映画「トランセンデンス」を枕にシンギュラリティ、そして「ポスト・ヒューマン」について語っている。 

トランセンデンス DVD

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実はこの映画のコンセプトの土台のひとつになっているのは、アメリカの未来学者レイ・カーツワイルが以前から行っている「技術的特異点(シンギュラリティ)」をめぐる議論である。
カーツワイルは近い未来に様々な技術(特に遺伝学、ナノテクノロジー、ロボット工学)の発展が融合して飛躍的な突破が起こり(=技術的特異点)、そこでは高度に発達した人工知能と人体改造された人間が生まれて最高の存在が生まれ、さらには情報ソフトウェアとしての人間の意識が永続化し、人間は死を超えた永遠の精神を得るといった議論をしている(カーツワイル(2007))。

 

以降、本論では科学(技術)と資本主義の進歩、拡大について興味深い考察を展開している。
このあたりは非常に読み応えがある。

後半では「ポスト資本主義」を支持する立場から共生、緑の福祉国家といった論を展開している。
だだ、この部分、ありきたりの言説とまでいうと失礼になるが、前半ほどに読んでいて興味深く感じられることはできなかった。

ともあれ、前半の世界の把握については、新鮮なところもありとても興味深かった。
時々再読してみたい本だと思った。

先日、橘玲という人の書いた「『読まなくてもいい本』の読書案内:知の最前線を5日間で探検する」という本を読んだ。

著者は、20世紀後半の科学者の業績を基に、"知の最先端""知の見取り図"を描こうとしていた。 

だが、大風呂敷のわりに枝葉を描くだけで、全体像の提示にまでは至っていなかった感があった。
そのあたり、読んでいてもやもやしたものが溜まっていた。

「ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来」 はそのもやもやをある程度解消してくれるものだった。そして見解がまったく反対である点も興味深いとこだった。


橘氏の志向しているものは明らかに「超(スーパー)資本主義」である。ポスト・ヒューマンに期待を抱き、そこで「哲学なんてものは消滅してしまう(かもしれない)」と書いている。


橘玲氏と広井良典氏、どちらが科学や文明についての知見が深いかといえば、広井になると思う。
ただ、現実的な視点というところでは「実も蓋もない」ことをいう橘氏のほうが、地に足がついているのかもしれない。人間というものは欲深いものなので理想の世界にはなかかな進まないと思う。
ただ、「哲学がなくなってしまう」くらいの人類史におけるドラスティックな変化があるかというと、それはなかなかないんじゃないの、という感もある。

両者の間のところで社会は進み、その中で革新的に進む部分は進んでいくということになるのではないだろうか。

各章だては以下の構成

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はじめに-「ポスト・ヒューマン」と電脳資本主義

序章 人類史における拡大・成長と定常化
-ポスト資本主義をめぐる座標軸

第I部 資本主義の進化
第1章 資本主義の意味
第2章 科学と資本主義
第3章 電脳資本主義と超(スーパー)資本主義 vs ポスト資本主義

第II部 科学・情報・生命
第4章 社会的関係性
第5章 自然の内発性

第III部 緑の福祉国家/持続可能な福祉社会
第6章 資本主義の現在
第7章 資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義
第8章 コミュニティ経済
終章 地球倫理の可能性 — ポスト資本主義における科学と価値

参考文献
あとがき

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